第17話 監査部(ノルニル)



 監査部(ノルニル)は委員会(モイライ)が設置されている建物から離れた場所にある。正確には別館であり、縁の事務室がある並びの奥の扉からそこに行くことができるのだが、委員会(モイライ)と監査部(ノルニル)を隔てる扉はほとんど施錠されていて自由に行き来できない。その扉の鍵を持っているのは監査部(ノルニル)の役員たちと委員会(モイライ)の色付き上位能力者たちだけであると、廊下を歩いているときに縁が説明した。


「――監査部(ノルニル)はこことはだいぶ勝手が違う。迷わぬようにしっかりついて来いよ」


 やがてたどり着いた巨大な扉の前で立ち止まると、縁が口の端をわずかに上げて告げる。


「そんな魔の巣窟みたいな言い方せんといてえな」


 茜が苦笑混じりに指摘すると、縁は喉の奥でくっくっくと笑う。


「貴様はあそこを魔の巣窟だと思っているのだな」


 返されて、茜は目をぱちぱちさせて頬を膨らます。


「意地悪やなぁ。引っ掛けたん?」


「自滅しただけであろう?」


 そんなやり取りをしている縁と茜の姿に、あやめは気持ちを和ませる。


(霧島さまは監査部(ノルニル)の方々といるほうが好きなのでしょうか)


 普段委員会(モイライ)で不機嫌そうにしている縁が、今はとても楽しそうに見えた。こんなやり取りをしている縁の姿を、今まであやめは見たことがない。


「――どうした?」


 黙ったまま二人を見ていたあやめは、縁に訊ねられる。


「いえ。大丈夫です」


「そうか? ――なら、開けるぞ」


 首を上げても見えにくい一枚岩の扉。抽象的なレリーフが施された重そうなそれが、縁の手が触れるなり動き出す。


(うわぁ……)


 赤い絨毯と銅(あかがね)の扉が並ぶ白壁の廊下。地響きをともなって開かれた扉の先は、委員会(モイライ)と同じような廊下が続いている。しかし同じなのはそれだけで、空間のいたるところに数列や文字列が浮遊していて見通しが悪い。それらは何かの情報の一部らしく、あやめが委員長(モイラ)に報告で読み上げる文章と似ていた。さらに監査部(ノルニル)の能力者らしき人たちが各部屋を行ったり来たりしているのが見える。それぞれが書類なり情報端末なりを持ってばたばた走り回る様子は、普段から物静かな委員会(モイライ)の様子とはだいぶ異なる。


「いつ来ても混沌としているな。監査部長(ノルン)はこの状態を改善する気はないのか?」


 やれやれと言った様子で縁が文句をつける。神経質だとも言えるほど几帳面で常に落ち着いている縁にとって、この状態は信じがたいのだろう。


「今は特に忙しいんよ? 仕方あらへんやん」


 肩を竦めて答え、茜は先を行く。


「ぶつからないように気ぃつけてな」


 あやめに対する気遣いを見せると、数列や文字列、行き交う人々を器用に避けて進む。後ろを縁が何喰わぬ顔で追うので、あやめも慌てて追いかける。


 監査部(ノルニル)も委員会(モイライ)の所有している敷地と同じ規模があるようだ。なんとなく委員会(モイライ)とは、隔てる扉で左右対称となるように造られているようにあやめには感じられた。


 言葉を交わすことなくしばらく進むと、建物の端、委員会(モイライ)でいうところの会議室に当たる部屋の前にやってきた。茜はそこに到着すると立ち止まる。


「ここが情報保管庫(アーカイブ)や。この中に入るとすぐに過去に跳ぶことになるから、自分の意思を強く持って、惑わされんようにな」


 説明する茜の台詞の意味があやめには入ってこない。


「あの……過去に跳ぶという状態がよくわからないのですが……」


 疑問を感じたあやめは茜に問う。


「うーん。そやな。思念波(テレパス)に映像がついた感じかなぁ。一方通行やし、目の前で何か起こっていてもこちらからは手出しできへん。また、他人の意識が流れ込む影響で、現在の自分なのか、過去の誰かであるのか混乱する者もおるんよ。慣れない人は酔うこともあるさかい、強く自分を持っておきなよ?」


(これから貴家さまの過去に踏み込むことになるのですね……)


 あやめは貴家に対し申し訳ない気持ちになる。仕事で必要とはいえ、無断で過去を暴くのはいい気持ちにはなれない。まだストーキングしているほうがマシだ。


(すみませぬ、貴家さま。ワタシの調査が甘かったばかりに……。ここで見たことは誰にも口外致しませぬゆえ、お許しくださいませ)


 心の中で詫びる。貴家が許してくれることを信じて。


「――大丈夫です。伊予さま」


「そんじゃ、行きまっせ」


 開かれた扉の先は真っ暗で何も見えない。部屋の中を観察できないだけでなく、その部屋の床さえ深い闇に閉ざされて判別がつかない。


 そんな部屋の中に、何の躊躇もなく茜が入る。扉をくぐったと思うと同時に彼女の姿は闇の中に消え、続いて縁が飲み込まれる。最後にあやめが扉を抜けた。


 一歩部屋に踏み出したとき、その視界がめまぐるしく変化したことにあやめはついていけなくなる。上下左右がわからなくなり、やがて重力の方向さえ怪しくなってきた。


(何、これ……)


 酔っている場合ではない。先に行ったはずの茜や縁からはぐれる訳にもいかない。


(しっかりしなくては、ワタシ)


 遠くで声が聞こえる。定時報告で使い慣れた思念波(テレパス)に似て、頭に直接響いてくる声。


(誰……?)


 次第に視界が安定し、像を結んでゆく――。

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