情報保管庫(アーカイブ)

第16話 良い報せと悪い報せ


「――泣いたのか?」


 雨の街から帰ったあやめは、縁の部屋に入って顔を合わせるなり問い掛けられた。


「あ、いえ、これは……」


 慌てて顔を隠すが、立ち上がった縁はつかつかとあやめに近付く。


(うう……きっとお叱りになります……)


 綾瀬ミコトに対しての態度を思い出し、あやめは身構える。


「貴様を泣かすとはけしからんヤツだ」


「へ?」


 顔を覆っていた手をどけて縁を見ると、彼女はいつも以上に不機嫌そうな顔をしていた。


「あやめを泣かせて良いのは私だけだ」


 言って、縁は優しくあやめを抱き締めた。


 その行動に、あやめはびっくりして身体が固まる。


「ふ……意外か?」


 その声は不機嫌そうな顔からは想像できないくらい柔らかく穏やかなものだった。あやめは余計に戸惑う。


「だ……だって霧島さまが……」


「貴家礼於はこうしたりはしなかっただろうからな」


「!」


 あやめは縁の腕の中で目を瞬かせる。


(霧島さまはワタシがして欲しかったことに気付いていらっしゃる?)


 鼓動がわずかに早まる。


「――あの少年がそうしなかったのは賢明な判断だ。弱っている女を抱き締めるのは卑怯なやり方だ。だから、貴様はヤツに求めるべきではなかった。さぞかし困っていたことだろうな」


 言って、縁はあやめの頭を撫でる。


「しかし私は女で、しかも上司だ。業務に精神面のサポートも入っているが、これは仕事だからそうしたのではなく、私がしたくてやったことだ」


(ご自身の行動を弁解していらっしゃる……?)


 縁の行動が意外で仕方がない。


「――ったく、衝動でしたことを口で説明するほど野暮なことはないな。貴様が鈍感だということを痛いほどわかっているからこそ、説明してやっているんだからな! 察しろ!」


 その態度にあやめはクスリと小さく笑う。


「照れ隠しにそんなことを言わなくてもよろしいではありませぬか。ワタシは嬉しく思っております。霧島さまこそ、察して下さいませ」


 縁は優しい人間だ。照れ屋であるがために、少々口が悪くなるだけで。


 胸の奥がほっこりと温かい。あやめは心の底から感謝していた。雨で冷えた身体を温めてくれてもいるとあやめが気付いたのはもっとあとのことではあったが。


「貴様は変わった訳じゃない。成長したんだ。こんな我々のような異端者でも、成長するものなのだな」


 言って離れた縁の頬は、らしくなく紅潮していた。彼女の白い肌に朱が映える。


「成長……ですか」


 時の流れは一律であれど、肉体も精神もともにその流れから外れている委員会(モイライ)所属の能力者たち。そんな特殊な存在であっても成長はするとの縁の台詞に、あやめは実感が湧かない。


「私には変化としか映っていなかったが、下界の者たちに言わせれば成長のほかにないだろう。――なに、悪いことではない。不安がることはないぞ」


「はぁ……」


 言われても、あやめはやはりよくわからなかった。


「――この職についてからだいぶ長いが、貴様のように明らかな成長があった者を見たことはないな。これも委員長(モイラ)の洗脳が解けたお陰か」


 言って、縁は愉快そうに喉の奥で笑う。新たな発見を喜んでいるというより、委員長(モイラ)を出し抜けたことに優越感を得ているという感じだ。


「――さて、あやめ」


「はい、なんでございましょう?」


 気持ちを切り替えた鋭い声に、あやめは姿勢を正す。


「良い報せと悪い報せがあるのだが、どちらから聞きたい?」


(良い報せと悪い報せ?)


 一体何のことだか見当がつかない。


「えっと……ならば良い報せから」


 あやめが促すと、縁は眉をわずかに寄せる。


「……普通は悪い報せから聞かないか?」


「えっあっ? そういうものでしょうか?」


「まぁ良い。些細なことだ。――良い報せとは、現委員長(モイラ)のことだ」


「委員長(モイラ)様の身に何かあったのですか?」


 縁から委員長(モイラ)に関しての良い報せと言われたところで、あまり良い話だとは思えない。縁と委員長(モイラ)の仲が悪いのは、鈍いあやめでもよく知っていることだ。


「あの者は間もなく引退する」


「い、引退ですか?」


(委員長(モイラ)職を降りるということでしょうか?)


 あやめは今まで聞いたことのない事態に首をかしげる。


「あぁ。――実はもう、交代の準備は進んでいる」


「?」


「近いうちに《朱の紡ぎ手(クロトー)》、《碧の導き手(ラケシス)》らにより告知がされるだろうが、先に説明しておくとしよう。そこに座れ」


 ソファの空いている場所を指して勧められたので、あやめはそこに腰を下ろす。縁の正面にあたる場所だ。


「――前に訊ねられたが、委員長(モイラ)は代替わりをしている。奴らにも我々と同じように寿命がある以上、そうせねば成り立たないのだ」


 あやめは相槌を打って先を促す。


「そして今、代替わりを知らせる時空震が起きた。前回の委員会(モイライ)内の地震がそれだ」


「あのときの、ですか」


 その場に立ち会ったわけではなかったが、縁の部屋に散らばった書物の数々については記憶に新しい。


「以前から兆候はあった。本来なら洗脳が強いはずの調査員たちの統制不良があげられる。貴様が委員長(モイラ)に対して意見したのが良い例だな」


「はぁ」


 あの行動にそんな裏話があったとはつゆ知らず、あやめはきょとんとしたまま頷く。


「つまり代替わりは委員長(モイラ)となる者の寿命に依らず、その者の能力の衰えによっても行われるわけだ」


「となりますと、次の委員長(モイラ)となる方はどなた様なのです? 委員会(モイライ)内から出るのでありましょう?」


 今の委員長(モイラ)がどこからやってきた何者なのかをあやめは知らない。当然のように首をわずかにかしげて問う。


「委員会(モイライ)内からとなると語弊があるな」


「と、仰いますと?」


 少し唸って答える縁に、あやめはさらに問う。


「多重世界シンドローム発症者の中から、次の委員長(モイラ)は決められる」


「!」


 簡潔な縁の返事。あやめは驚きのあまり息を飲む。


(多重世界シンドローム発症者の中から選ばれる……)


 果たしてその候補者の中に貴家の名はあるのだろうか。あやめは期待と不安とが混じる気持ちのまま縁を見つめる。


「――しかしここで困ったことが起きた」


「困ったこと?」


「候補として補佐していた者たちが次々に死亡しているのだ」


「死亡って……あっ」


 ここのところ続いていた多重世界シンドローム発症者の死去。それも自然死ではないという。あやめは詳しくは知らないが、他の多重世界シンドローム発症者の手により行われた形跡があるとの話で、現在も継続的に調査されているはずだ。


「一番有力であった綾瀬ミコトの主は早々に退場。次点となっていた人間も上から順に姿を消している」


「となると、亡くなった彼らよりも強力な能力でもって実行していることになりますよね」


 多重世界シンドローム発症者であれば、自らの死を強く望まぬ限り、寿命以外で死ぬことはまずない。運命(さだめ)に対しての割り込みには必ずその力をもって抵抗するからだ。また、補佐役がいる状況下においては、彼女たちも対処するはずなので基本的にはそのような事態にはならない。


 つまりそれらを覆すためには、彼らの能力を上回る力がなければならない。委員長(モイラ)や上位の能力者たちと並ぶ力を有していることになる。


「しかし、我々が補佐役を派遣し監視下に置いている中にそれだけのポテンシャルを持った人間はいない。現在、残っている監視対象者たちはいずれも端末にしかなりえない」


 手元にある情報から論理的に導かれた答えを縁は隠さずに告げる。


「まだ未発見の発症者の手による犯行であると?」


「私が思うに、だがな」


 そうであれば面倒だと言わんばかりの嫌そうな表情で頷く縁に、あやめは気掛かりなことを問うことにする。


「――力で選ばれるとするならば、その者が次の委員長(モイラ)になるのでしょうか?」


「いや、私の手で犯人は抹殺する」


 抹殺というと聞こえが悪いが、縁の言うそれは《断ち切り手(アトロポス)》としての力でもって、多重世界シンドロームの力を無効化することを指す。能力者でない場合は、その動機に繋がる出来事の記憶を抹消して、それ以上の行動を封じるだけ。命を奪うことがないとはいっても、その行為自体はそれに等しい。その人間のアイデンティティーの否定に近いのであるから。


「――そうなると、次の委員長(モイラ)の座はどうなるのです? このままでは委員会(モイライ)の存続に関わります」


「実は次期委員長(モイラ)には、貴家礼於をと思っている」


「!」


 きっぱりと言い切ったにも関わらず、縁は表情を曇らせて続けた。


「そこで、悪い報せになるが――貴家礼於を委員長(モイラ)とするために、私たちは彼の過去に潜入する」


 ――私たちは彼の過去に潜入する。


(あれ?)


 あやめは縁の台詞に違和感を覚える。


「……ワタシも、ですか?」


「他人(ひと)の、とりわけ好きな奴の過去を暴くことはやりたくないであろうが、もはや猶予はない。上長命令として拒否を禁ずる」


 台詞の文面は厳しいものであったが、縁の声には迷いがあって弱々しかった。


「う……。し、仕事なら仕方がありませぬ。しかし、委員長(モイラ)とするために過去を探る必要性がワタシにはわかりませぬ」


「通常であれば補佐している間に適性をみるのであるが、そんな悠長なことを言っている時間はない。そこで直接過去を見て、その判断を行う」


「何故、霧島さまは貴家さまを推すのです?」


 ふとした疑問をあやめは口にする。


「人物をみて選んだわけではない。ただ、死亡した多重世界シンドローム発症者の順位と彼のポテンシャルを比較した場合、充分に機能できると判断した。――それに」


 他に何があるのだろうか。あやめは首を小さくかしげる。


「それに?」


「順位としては奴も殺害対象となりうる位置にいるというのに、危険が迫っているようには感じられない。ひょっとすると、犯人との間になんらかの繋がりがあって見逃されている可能性がある。――それを考慮した上で、過去を探ることにしたのだがな」


(もしや、犯人って……)


 あやめは井上を思い出す。彼もまた、多重世界シンドローム発症者である可能性が高い。


「あの……」


 あやめが報告を行おうと口を開いたところで、扉が叩かれた。


「はい」


 縁はそちらの対応のために返事をすると立ち上がる。


「霧島はん、準備が整いましたで」


 あやめには聞き覚えのない少女の声。独特なイントネーションで話す喋り方にも馴染みがない。


「あぁ、わざわざすまないな」


 言って扉を開けると、廊下にはポニーテールの背の高い少女が立っていた。巫女装束であるのは、あやめが好んで侍女服を着ているのと同じ理由だろうか。


「なぁに言っとるん。これがうちらの仕事やさかい、気にせんといてぇな」


「それもそうなんだがな」


 苦笑を浮かべる縁の顔の向こうの少女とあやめの目が合う。その拍子に少女はにかっと笑んだ。


「可愛らしいお嬢さんやな。委員会(モイライ)の能力者かいな?」


「は、はい」


(委員会(モイライ)の能力者かどうかを訊ねるなんて珍しい方ですね……どの能力を扱うかを訊ねられたことはありますが)


 あやめがいぶかしげに見ていると、縁が二人の間に立ち、はっとした表情を作る。


「――そうか。よく考えてみたら、あやめが監査部(ノルニル)の能力者に会うのは初めてであったな」


「あぁ、そうなん? ま、そもそも委員会(モイライ)の一般能力者が監査部(ノルニル)の能力者と会うことは、そうそうあらへんもんな」


 言って、うんうんと少女は頷く。


(ということは、監査部(ノルニル)所属の方?)


 不思議そうな視線を送るあやめに、縁は左手を巫女装束の少女に向ける。


「紹介する。彼女が今回過去のある時点まで案内してくれる伊予茜(イヨアカネ)だ。分析者(ヴェルダンディ)能力を持っている」


「どうもー。伊予です。よろしゅう」


 名乗って、茜はぺこりと頭を下げる。


(分析者(ヴェルダンディ)能力? どんな能力なのでしょう?)


 説明されても、あやめには監査部(ノルニル)所属の能力については知らないも同然なのでイメージできない。


 続いて縁は右手をあやめに向けた。


「で、彼女は調査の補佐役に命じた導き手(ラケシス)能力を持つ緒方あやめだ」


「緒方あやめです。よろしくお願いいたします」


 縁の紹介を受けて立ち上がったあやめは丁寧に頭を下げる。


(細かいことは気にしないようにしましょう。貴家さまの過去を探るために監査部(ノルニル)が動いてくださるのですから)


「それで早速だが」


 それぞれの紹介を終えたところで、縁は本題を切り出す。


「我々はこれからすぐに貴家礼於の過去に潜入する」


「い、今からですか?」


 あまりに突然すぎて、あやめは心の準備ができていない。過去に潜入するとはつい先ほど伝えられ同伴することを求められたが、まさかこんなに早いとは思っていなかったのだ。


 縁はため息混じりの声で答える。


「そのための準備を伊予にしてもらったのだ。――通常ならば分析者(ヴェルダンディ)だけではなく、観測者(ウルド)もいるべきなのだが、調査に借り出されていてな。幹部クラスの分析者(ヴェルダンディ)である伊予にお願いしたわけだ。彼女なら足りない分も補える」


「幹部クラスって大袈裟やなぁ。分析者(ヴェルダンディ)のトップで仕切っているだけやん」


 茜がさらりと告げた台詞を聞いて、あやめはびっくりする。


(トップで仕切っている、ですって?)


 つまり茜は、委員会(モイライ)でいうところの色付き上位能力者ということなのだ。


(何より、霧島さまの信頼を得ている時点ですごいことに思えるのですが)


 あやめは縁の様子をみて、不安な気持ちが払拭された。何も心配することはない、自分の仕事に集中して全うするだけだ。


「話がそれたな。――とにかく、早急に片付けたい。あやめ、心の準備は良いか?」


「はい」


 戸惑っている余裕はないらしい。急かす縁の台詞に、あやめは頷く。


「ならば向かいましょか。監査部(ノルニル)の情報保管庫(アーカイブ)に案内しまっせ」


「任せる」


 茜の声に縁が返事をすると、三人は部屋を出たのだった。

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