第14話 カズハとレオ
「――なぜ偶然ではないと?」
店員が去るのを待ってあやめは問う。
「たまたまにしては多すぎるからね」
言って、井上はコーヒーをすする。
「それはいつから起こっているのです?」
「うーん……彼が小学生の頃からだったかな。――そんなことより、熱いうちに食べたら?」
「え、あっ、はい」
焼きたてのアップルパイに載せられたバニラアイスが溶け始めている。あやめはフォークとナイフを握って端を切る。
「――しかし、多すぎるとはどういうことなのでしょう?」
「貴家さんが何人の女のコと付き合ったのか、知らないんですか。ま、野暮な話ですけど」
「えぇ」
切り分けたパイをぱくっと頬張る。さっくりとしたパイと甘さ控えめのリンゴの食感がとても良い。これでこの価格なら損はない。
「――どう? 美味しい?」
「はい」
「良い笑顔をしますね」
「はい?」
「貴家さんには勿体無い」
(まただ――あの瞳……)
井上の目の奥に不思議な色が宿る。暗いドロドロとしたものを連想させる目。こんな光を宿す人物に、いまだかつて会ったことはない。
「なんで彼は女のコに人気があるんでしょうね。不公平だと思いますよ」
「貴家さまは回りに気を遣って生きておられます。それが回りの好感度を上げているのではないでしょうか」
ため息混じりに呟く井上に対し、あやめは思ったままを口にする。
「そういう言い方をされると、僕は傷つくんだけどなぁ」
「傷つきますか?」
井上が言わんとするところがよくわからない。あやめは首をかしげる。
「――緒方さんは貴家さんのどこが好きなの?」
「へ?」
食べる手をピタリと止めて目を瞬かせる。
「好きなんでしょう? 前のカノジョが気になるくらいなんですし」
「えっとそれは……」
あやめは困った。
(何とお答えすればよろしいのでしょうか? 正直に自分の目的を話すわけにはまいりませぬし)
そこまで考えて、別のアプローチを考える。
(貴家さまのどこが好きなのかという問いなのですから、思うように答えれば良いのですよね。貴家さまを好いているのも間違いではありませぬ)
しかしそれは恋愛感情なのだろうか。
あやめはよくわからない。
「後学のために教えてよ」
「……貴家さまは優しい方ですから、そこが一番好きですね」
「優しいですか。彼、誰にでも優しいですがね」
「誰にでも優しいから、好きなんですよ」
監視をしていたのだからよくわかる。彼がどんな基準をもって多重世界シンドロームの力を使っているのかも。決して私利私欲のためには使わない。誰かを幸せにするために率先して使っている。
それだけではない。多重世界シンドロームの力がなくても、困っている人には声を掛け、迷惑を掛けている人がいれば注意する。貴家礼於とはそういう人物なのだった。
「しかし、彼はうわべだけの偽善者ですよ?」
「何故そんな言い方をなさるのです?」
井上は組んだ手の上にあごを乗せてあやめをまじまじと見つめる。
「本当のことだからですよ」
「それはあなた様の主観でございます」
むっとして、あやめは言う。貴家のことを悪く言われて腹が立っていた。
「ならば、少なくとも僕にとっての真実であると、あなたは認めてくださるわけだ」
「…………」
井上にそう言われてしまうと反論できない。
「恋は人を盲目にさせると言いますが、あなたもその状態のようですね。それで公平な調査ができるのですか?」
――公平な調査ができるのですか?
「……はい?」
井上の台詞を反芻してみて、奇妙な箇所があることに気付く。
(この方はどこまで知っているのです?)
あやめの背筋を冷たいものが伝う。
「いえ、こっちの話です」
言って、彼はコーヒーを飲む。空になってしまったらしく、井上は店員にお代わりを頼んだ。
「――貴家さんは、神様に気に入られているんですよ」
新しいコーヒーにはミルクを足さなかった。ブラックのままで一口すすって切り出した井上はあやめを見なかった。
「小さい頃からずっとね。――小学校低学年の頃、僕の家族と貴家さんの家族とカズハの家族とで夏休みに旅行に行ったんです。どこかの島だったかな。帰る前日になって、彼は帰りたくないと駄々をこねました。そしたら、そのとき発生していた台風が急に進路を変えてこちらに向かってきたのです。おかげで行程は一日延びました」
「よくあることですよ」
台風が進路を変えて進むことはざらである。予報の精度に確実性があるとは言い切れないからだ。
「小学校の林間学校で、僕らは隣県の山へ行きました。バスで向かったのですが、途中で彼、お腹を痛めてしまいましてね。サービスエリアで三十分くらい停まったんです。そしたら、その先で多重衝突事故が起きていましてね。停まっていなかったら確実に巻き込まれていただろうと言われています」
「それは大変でしたね」
あやめはあえて的外れなことを言って返す。井上が話したこのエピソードは初耳であったが、それが多重世界シンドロームと関連があるのかはわからない。真正面から返すのは得策ではないと判断した。
井上はつまらなそうな顔をして続ける。
「中学の頃、彼が宿題を忘れるたびに先生が急に休んだり、彼がこれはテストに出ると宣言すれば本当に出たりしました。カンニング疑惑も上がりましたが、結局証拠が出なくてそれきりです」
「当然です。貴家さまは不正をはたらく人ではありませぬ。井上さまは信じていないのですか?」
井上の言い方が気に掛かり、あやめは問う。
幼馴染みであれば、小さな頃から貴家のことを知っているはずである。貴家がどんな人間であるのかは井上がよく知っているに決まっている。貴家がそんなことをするような人間ではないときっと言ってくれる。
あやめの期待に、しかし井上は意外なことを告げた。
「だって、その噂を流したのは僕なんですよ?」
「!」
「偽装工作までしたのに、シロになるんだもんなぁ。完璧だって思ったのに」
「どうしてそんな……」
「それだけではありませんよ」
井上は口の端を歪めて続ける。
「小学校の高学年から彼はよく告白されるようになりました。はじめのうちは断っていたみたいですね。彼はカズハ一筋だったから」
「あれ? ですが、他にも付き合った人はいるって……」
貴家が一葉を好きであったのなら、他の女のコから言い寄られても断るという姿勢は納得できる。しかし、他にも付き合った女のコはいたはずだ。井上から聞いただけの情報ではあるが、そこに矛盾が生じている。
「振られたんです。貴家さん、カズハに。それで別の女のコと付き合うことにしたんですよ」
「それでもおかしくありませぬか?」
「カズハの本心は別にあった。彼女が貴家さんを振ったのは、彼を異性として見ることができなかったからというわけじゃなかったんですよ。――もっとも、小学生がどこまでそんなことを意識していたのかは謎ですが」
言って、井上は喉の奥で笑う。
「――高校に入るとき、僕たちは三人とも世継学園を受験して、三人とも合格しました。そのときに、カズハは貴家さんに告白したんです。貴家さんはちょうどその頃誰とも付き合っていなくて、すぐに交際はスタートしました。半年くらいは何事もなく付き合っていましたかね。ほかの女のコと付き合っていたときは数週間以内に怪我をさせていたっていうのに、不思議でしたよ。やっぱりデマだったんじゃないって、カズハは笑っていました」
しかし、一葉は不慮の事故で亡くなっている。
「学年が上がった頃のことです。一葉はイジメを受けるようになりました」
「!」
「僕とカズハは同じクラスで、貴家さんだけが別のクラスだったんですがね。貴家さんは彼女がイジメられていると知って、何度も助けに入りました。もちろん、僕だって彼女をかばいましたよ。カズハは気丈な女のコでしたから、屈せずに学校に通っていましたね。理不尽なことを許せない少女だったんです」
そう話す井上は、貴家のことを語るときと違って穏やかな顔をしていた。
「中間テストが終わった頃のことでした。久し振りに二人はデートに出掛け、その帰りに一葉は事故に遭った。彼が家に着いた頃、救急車のサイレンが響いていて、その直後にカズハの母親から電話があったそうです。即死だったと聞いています。貴家さんはすぐに病院に駆けつけ、彼女の亡骸と対面しました。その場には僕もいました。だって、僕は目撃者でしたから」
「目撃……!」
幼馴染みが轢かれる場面を見ていて、それなのに平然と語ることができる、その精神があやめには理解できない。
「あれはひどかったなぁ。可愛い女のコだったのに、その顔を潰されてしまって。葬式のときは綺麗に復元されていましたけど、本当に無惨な姿でしたね」
井上は感情のこもっていない口調で告げる。
「そんなことがあってから、貴家さんは誰とも付き合わず、土日は外を出歩くようになりました。しばらくは魂が抜けてしまったみたいにさまよっているだけだったんですがね。――彼の悲しみもわからないわけじゃないんですよ。両親の海外赴任について行かずにこちらに残ったのは、カズハと同じ高校に行くためだったんですから」
それだけ、貴家は一葉のことを大切に想っていたのだ。
あやめは胸が苦しい。
「ようやく元気を取り戻し始めた頃、緒方あやめ、あなたが現れた」
「……はい?」
ここで自分の名を呼ばれるとは思っておらず、あやめは首をわずかにかしげてみせる。
「気付いたら貴家さんの隣にあなたがいました。彼はもう誰とも付き合わないと思っていたのに」
井上の台詞に力がこもる。
「え? ですけど、ワタシは――」
カノジョではないし付き合ってもいない。そう続けようとしたのに、井上の台詞に遮られる。
「最愛の人が死んで四十九日が過ぎたら別の女のコと付き合う――それはおかしい。カズハが一番大事だと言っていたのに」
「あの……ですから……」
「僕はそんな彼を許すことはできない」
井上の瞳には暗い炎が揺れていた。強い怨みを宿した炎。
その真っ直ぐな想いは、例えネガティブなものであっても、あやめにある事実を想像させるに充分なものを持っていた。
(――ひょっとしてこの方は一葉さまのことを……)
「井上さまは一葉さまのことが――」
あやめが言い終える前に携帯電話の着信音が鳴り響く。
「あ、失礼」
それは井上の携帯電話あてだったらしく、彼は片手で謝ると席を離れた。
(――なんでしょう、この間の悪さは)
完全に井上のペースになっていることに、あやめは気付く。
(彼もまた、多重世界シンドローム発症者であるのでしょうか。――ならば、こちらもそのつもりで挑んだ方が良いかも知れませぬ。委員長(モイラ)様が見つけていらっしゃらない人間であるならなおさら)
あやめは井上が戻って来るのをじっと待った。
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