第6話 デートではなくて


「わぁ……」


 あやめは自由に泳ぎ回る魚たちを前に思わず感嘆の声をもらした。


「ここはオレのお気に入りの場所だ」


 教室にある黒板を二倍に広げたくらいの水槽に貼り付いてまじまじと眺めているあやめの隣に来ると、貴家は告げた。


 駅前からバスに乗って、揺られること三十分ほど。向かった先は市の中心から外れた場所にある水族館だった。この水族館は市が経営しているもので、他に植物園と動物園が併設されているがいずれも規模は小さい。その中でも、市内を流れる川に住む魚を展示した大きな水槽は有名で、小学校の校外学習では必ず見に行く場所となっていた。


「案外と空いていて静かなところも良いし」


 休日の午前であるが人の姿はまばらで、目玉である川の生物が展示された水槽の前にいたのはあやめと貴家だけだった。


「こんなにたくさんの種類の魚があの川に住んでいるのですねぇ。知りませんでした」


 あやめは市内を流れる流留(るる)川を思い出しながら言う。


 上流で支流であるからかとても幅の狭い川であるが、その周辺は自然が多く残されている。サイクリングロードが整備されていて、川沿いを散策する人も多いようだ。そこは貴家礼於を最初に尾行したときに行った場所でもあった。


「見に来たこと、ないの?」


「えぇ」


「この町の人間じゃないのか」


「はい」


 あやめは素直に答える。この水族館が地元の人間であれば飽きるほど訪れる名所であることは知っていた。


「最近越して来たもので」


 付け足して、あやめは貴家に微笑み掛ける。警戒されないための演技のつもりだったが、偽ることの苦手なあやめが自然に振る舞えたのは、心から楽しいと感じていたからだった。


「最近、ね」


 どうも貴家はあやめから何かを聞き出そうとしているらしい。期待した反応がなかったのを悔しく思っている様子が表情に出ていた。


「――なんでオレをつけていたんだ?」


 貴家は視線を水槽に向けて問う。短刀直入な問いだ。


「気になったから、では理由になりませんか?」


 あやめも視線を水槽に向ける。地味な色の小魚が群れをなして泳いでいるのが目に入った。


「なるほどね。オレはてっきり森のくまさん状態だったのかと思っていたけどな」


「逃げろと言っておきながら、落とし物を届けるために追いかけたって歌ですか?」


 クスッと小さく笑いながらあやめは問う。


「そう」


 貴家はあやめの問いに肩を竦めて見せる。


「落とし物に何か心あたりがあるのですか?」


「うーん。あると言えばそうだし、ないと言えばちょっと違うような気がする程度にね」


「と、仰いますと?」


 自分に質問が向けられないようにあやめは話を促す。地雷を踏まないように慎重に選びながら。また、任務も忘れてはいけない。あの意味深な台詞の真意を聞かねばならないのだ。


(――しかし、落とし物と例えたものに興味があるのは本当ですが)


 あやめは横目で貴家の表情をうかがいながら答えを待つ。


「――もしも、なんだけど」


 貴家は小魚の群れを目で追いながら口を開く。


「そこの魚の群れがぱっと散って、偶然にハート型になったら素敵だと思わない?」


「え? ハート型に、ですか?」


 無邪気な振りをして、貴家が指し示した小魚の群れに目を向ける。


「こんな小さな水族館だ。訓練でそうなるってことはきっとない。だから、偶然に、とても自然に、そう見える瞬間が起きる」


 呪文のように貴家が告げたまさにそのとき、小魚がぱっと散った。


「あ」


 そしてハート型を作ったかと思うとすぐに元のまとまりに戻ってしまう。


「見てた?」


 貴家があやめを見ながら問う。


「そ……それはただの暗示ではなく?」


 ハート型に見えたのはわずかな間だけだ。貴家の台詞でイメージをすりこまれた結果、脳が勝手にそのように処理したのかもしれない。


「暗示だよ。催眠術みたいなもんだ」


「ですよね」


 多重世界シンドロームの発動を感知できなかったので、これはただの思い違いであるとあやめは結論付ける。こういう誘導はよくあることだ。


「で、これとワタシの問いとの接点がわかりませぬが」


「オレはさ、ずっとコレがその類いなんだと思っていたんだ」


 貴家が何を言っているのかわからない。あやめは彼を見て首をかしげる。


「コレとは?」


「願いを優先的に叶えてもらえる現象」


 いきなりあやめが知りたかったことを告げられて、彼女は目を瞬かせる。


(えっ……? 今、なんて?)


 言葉を詰まらせたままでいると、貴家はプッと小さく笑った。


「あれ? あやめはバカにしないの? 勘違いだ、くだらないってさ」


 この場にいたのが霧島縁であればその通りの台詞を吐いただろうとあやめは想像する。しかし、その告白を聞いたのはあやめだけだった。


「いえ……なかなか自分に偏った思考だとは思いましたが……」


「まぁね」


 言って、貴家は歩き出す。水槽に用がなくなったようだ。


 あやめは貴家の後ろをついてゆく。


「――何故、そんな話をワタシにするのです?」


「君が、ずっと待っていた人間なんじゃないかって」


 端から聞いたら気障な台詞だ。しかし、その口調には恋愛感情のようなものはない。


 貴家はホールの中心にやってくるとぴたりと立ち止まり、あやめと向き合った。真面目な顔をして貴家は続ける。


「君が――貝殻のイアリングを持ち逃げした熊を狩りにきた猟師じゃないかなって」


「どういう意味です?」


 あやめは腑に落ちない。納得のいく説明が欲しい。


「君がこのオレの力をなくすことのできる組織かなにかのエージェントだってことは確信しているんだ」


 当たらずとも遠からずの指摘。あやめは動揺しないように気を引き締める。


「何を持って確信を?」


 探るような真っ直ぐの視線をあやめはしっかり受け止める。貴家の思考の流れに興味があった。


「オレが考えた通りなら、この条件で解決するはずだ。――つまり、オレの能力が本物ならば、その証明をしてみせろ、と」


「それだけで、ワタシをあなた様の想像から生まれた謎の組織の調査員に決めつけるのですか?」


 やんわりと微笑んであやめは告げる。


 ――無理に嘘はつかなくて良い。嘘をついたらさらに嘘を重ねなければならなくなるからな。もしもそうなってしまった場合は、貴様に勝機はないと思え。


 霧島の下につくようになった初めの頃に教えられた台詞が浮かぶ。その当時はさほど重要に思えなかったあやめであったが、今ならなるほどその通りだと感じられた。


(ワタシには辻褄を合わせ続けられる保証はありませぬ)


 貴家はふぅと息を吐く。


「案外と口がかたいんだね」


「口がかたいかどうかは別として、よく突拍子もない話を思いつくものだと感心しているのは事実ですが」


 何を知りたいのか、あやめには貴家の意図がわからない。


「何故、君はこんな話をするオレをバカにしない?」


「他人(ひと)を馬鹿にする趣味はありませぬ」


「なるほどね」


 再び貴家はため息をついた。


「どうも人選を誤ったようだ。オレにしては珍しい」


「どういう意味です?」


 首をかしげるあやめに、貴家は苦笑する。


「オレはな、この力が勘違いや偶然じゃないなら、オレには不要なものだって思っているんだ。万能な神様の落とし物を拾って自分のものにしてしまったみたいな感じだし」


(あぁ、ですから落とし物を返しそびれたクマさんなんですね)


 あやめはようやく貴家が何を言いたいのかわかってきた。


(ですが……)


 しかし貴家の気持ちを理解すると同時に、胸の奥でモヤモヤとしたものが広がっていく。


(――それなら委員長(モイラ)様にとっては都合が良いかも知れませぬ。でも、それは最善でしょうか。いえ、そうではなくて……)


 あやめが葛藤している間も貴家は続ける。


「だから、この力を消してくれる人物がオレの前に現れるように願ったんだ。なんでオレにこんな力が与えられているのか、それを説明できる人間を、ね」


「それがワタシであると?」


「そう」


 貴家はあっさり頷く。


「オレの前に現れる人物も細かく指定した。どうせならむさっくるしいオッサンよりも可愛い女のコがいいな、とか」


(――元々委員会(モイライ)は女性で構成されていますから、少女姿の能力者に会う確率は高いですが)


 あやめの上司である霧島縁にしても、十代後半の少女の姿をしている。委員会(モイライ)本部内でもその姿をある程度の年齢幅を持たせて変えられるので基本的には自由なのだが、およそ二十歳前後の姿で固定している人間が多かった。


 貴家の台詞は続いている。


「一目でその人だとわかる格好だと探すのがラクだな、とか」


 そう言われて、あやめは縁に指摘されたことを思い出す。


 ――服装で印象を残せば顔を覚えられまい。


 よく考えてみれば尾行するのに目立つのは良くないはずだ。縁がこのような指示を出したのは、本当に顔を覚えられないためだったのか。


「あと、オレのことを『さま』付けで呼んでくれたらちょっとびっくりするなぁ、とか」


(へ?)


 何か肝心なことに気付きつつあったあやめであったが、貴家の聞き逃せない台詞に目をぱちくりさせる。


 貴家はあやめの反応に満足したらしく、ぱちっとウインクした。


「――そのほかいろいろ」


「あ、あの……」


(『さま』付けって仰いましたよね?)


 あやめが口を挟もうとしたが、貴家は続ける。


「神様が本当にいるとして、彼がここまで正確にオレの願いを叶えてくれるとは驚きだよ。思っていた以上に気が利いているよね」


 貴家の口がやっと閉じられた。あやめは疑問を投げることにする。


「本気でそう思っていたのですか?」


「今さらオレが変人だと理解した?」


 にやりと貴家は笑む。


 あやめはその問いに対して首を横に振る。


「そういう話ではありませぬ。――その、『さま』付けの話です。心からそれを願ったのですか?」


「だってそういう呼び方で他人を呼ぶ人間なんてそうそういないぜ。しかも、オレみたいな庶民に対して使う人間はほぼ皆無だろう。これに関しては何人もの女のコに告白されたときに検証したから確証に近いね」


「なんてこと……」


 あやめは頭痛を感じる。


(指名されていたとは驚きました。委員会(モイライ)にまでその意志が届いていると考えて良いのでしょうか?)


 片手を額にあてて情報を整理する。


(正確な情報が必要ですね。霧島さまに報告し、監査部(ノルニル)に協力を依頼したほうが良いかも知れませぬ)


「――どうした?」


 はっとして意識を正面に向けると、貴家の顔が目の前にあった。かなり接近している。


「はぅっ?!」


 あやめは咄嗟に後ろに下がる。どうやら黙りこんでしまったあやめを心配して顔をのぞきこんだところだったようだ。


「な、なんでもありませぬ! 少々考えごとをしていただけしてっ!」


 鏡で確認しなくても頬が赤くなっているだろうことはその熱からわかった。慌ててあやめは顔を伏せる。


「考えごと、ね。大したことじゃないといいけど」


 これで話は終わりだと示すかのように貴家は再び歩き出す。


 あやめは深呼吸をして気持ちを落ち着けると彼を追った。


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