第38話 ゴキブリと少女漫画

〇■☆◆


 少し後日談を語ってみよう。


 〈クズ部長〉はゴキブリのごとく、しぶといヤツだった。

 浴室内でスマホを壊して、証拠の動画と脅迫していたメッセージを上手く消去したらしい。

 何日か拘留こうりゅうされた後、驚いた事に証拠不十分で、一旦釈放いったんしゃくほうとなってしまった。


 日本の司法は一体どうなっているんだ。


 俺はいきどおりと、《美幸》に危害がおよぶことを危惧きぐして、〈クズ部長〉の自宅周辺をさぐってみた、要はその辺をウロウロと歩き回ったんだ。


 いかにも俺が怪しかったのだろう、上品そうなご夫人に、声をかけられてしまった。


 「何をされているのですか」


 「えぇーっと、あの、その〈町田〉さんが釈放されたと聞いて」


 あちゃー、正直に言うヤツがあるか、もう帰った方が良いな。


 「もしかして、ご主人ですか」


 「そうですけど」


 どういう質問なんだろう、良く分からんな、答える俺も良く分からん男だ。


 「良くいらっしゃいました。 外では何ですから、どうぞ中へ入ってください」


 案内された家の表札が、〈町田〉だったため、俺は言われるままお邪魔させて貰った。

 鬼が出るか蛇が出るかおにがでるかじゃがでるか、分からないけどこのために来たんだ、虎穴に入らずんば虎子を得ずこけつにはいらずんばこじをえずだ。


 鬼は出なかったが、鬼なった妻が出て、結果的に虎子が得られた。


 紅茶をご馳走になりながら、〈町田部長〉の奥さんが語ってくれた内容は、まず〈クズ部長〉は釈放された後直ぐ、行方不明になったということだ。

 今も見つかっていないらしい。


 奥さんは、「弁護士にもクズがいて、警察組織の中にもクズがいるのよ」と溜息を吐いていたけど、慌てて「釈放のことなのよ、〈あなた〉が心配することはもうないわ」と付け加えてくれた。


 〈クズ部長〉が行方不明になった経緯けいいを訪ねると、少女漫画に例えて話をすると言ってくれたが、少女漫画に例えるってなんだろう。


 私の印象に残っている漫画に、とても美人だけど不幸な少女が、思いを寄せてくれていた不良に復讐ふくしゅうを果してもらう、恋愛ものがあったわ。

 不幸な少女とずっと思い続けていた不良が、最後には結ばれる良い話よ、途中で不良がちょっとやり過ぎの面はあったのだけど、お話だから。


 それともう一つは、いつも洪水を起こす暴れ川に、立派なせきを建造する内容なの。

 貧しい少年が人柱ひとばしらとなって村人に幸福をもたらす、感動的な漫画だったわ。

 堰は今なら砂防ダムかしら、人柱の貧しい少年は、現代じゃ倫理観にとぼしい中年が適任だと思うわね。


 うわぁ、怖い話だよ。


 〈美幸〉は告白の中で、確か他にもおどされている女性がいたって言ってたな。

 砂防ダムは隠し場所か、昔の刑事ドラマにあったような気がする。


 「私は行方不明になってくれて、大変ありがたいと思っているのです。 町田との間には息子がいるのですが、町田が父親では不憫ふびん過ぎます。 いない方が百倍良いと思うでしょう」


 「はいー」


 「うふふっ、それはそうですよね。 それとこれは奥様への慰謝料です。 大した額ではありませんが、町田の預金の一部ですから遠慮なさる必要はありません。 もっと差し上げることが出来れば良いのですが、もう一人の方はうつになってしまわれたのです。 申し訳ないのですが、そちらを優先させて頂きました」


 「本当に貰って良いのですか、お子さんに必要では無いのですか」


 「おほほっ、〈あなた〉は良いお人なのですね。 私は〈クズ〉を掴んだので、奥様が羨ましいですわ。 ご存じのように父は専務を拝命しておりますし、私も働いているのです。 ご心配にはおよびませんわ。 別居したことにより、目が行き届かなったことを後悔しているのです。 だからご遠慮なさらずに、新婚旅行にでも行っていらっしゃいよ。 うふふ」


 こりゃ怖い人だな。

 俺達が新婚旅行に行ってない事を事前に調べて、家の周りをうろつくことまで想定していたんだろう。


 〈クズ〉だけど子供まで作った旦那に、起こったことを何も気にしていない、冷徹さも持っている。

 ひょっとしたら、〈クズ部長〉の居場所をポロっと、道端みちばたこぼしたんじゃないかな。


 冷酷と言うか、度胸があるって言うか、容赦ようしゃない人なんだな、嫁が〈美幸〉で本当に良かったよ。


 〈美幸〉にしたことを考えると、〈クズ部長〉に同情する気はさらさら起こらないけど、うーんとうなってしまいそうだ。


 アパートへ帰って心配してくれていた〈美幸〉に、奥さんの話を聞かせたら、「知らない人だけど〈みすず〉さんが可哀そう」と泣き出してしまった。

 「〈みすず〉さんがいなかったら、私はもっとひどい目に遭わされていたの」と泣き続ける〈美幸〉を俺は抱きしめることしか出来ない。


 少し経って泣き止んだ〈美幸〉は、「これで全てが良くなるんだね。〈あなた〉は〈みすず〉さんも救ったんだよ。 さすがは私の夫だけはあるね」と微笑んでくれる。


 ちゅっとキスをしてから、封筒を開けると百万円も入っていた。


 「これで新婚旅行へ行けって言ってたよ」


 「良いの。 行きたかったんだ。 どこへ行くの」


 「えぇ、場所はこれから考えるんだよ」


 〈美幸〉は俺が抱きしめているのに、行先を真剣に考えているらしくて、目を閉じ黙り込んでしまった。

 まぁ、良いか、泣かれるよりはずっと良い。



 「あんた、いい加減にしなさいよ。 エレベーターがない五階に住んでいるって、どう言うことなの。 妊娠したらすっごく危険じゃない」


 〈美幸〉の同僚の経理部の女性が、俺の机をバーンと叩き目を吊り上げて怒っている。


 「へっ、急にですね。 でもありがとうございます。 〈美幸〉の心配をしてくれたのですね。 真剣に引っ越しを考えてみます」


 「うっ、それなら良いのよ。 あっ、皆さんお騒がせしまして、どうもすみません」


 〈美幸〉の同僚は、簡単に俺が折れたためか、消化不良のような顔で帰って行った。

 下痢げりかも知れないな。


 下痢の女性のことを俺は本気でありがたいと思っている、〈美幸〉は虐められるどころか、本気で心配してくれる友人が出来たんだ、こんな喜ばしいことはない、記念に新しいハンドバックを買ってあげよう。



 言い忘れていたがかなり前に、焼き肉屋の大将には謝罪を済ましている、杵の弁償も当然ながら実施済だ。


 「〈葵〉さんに聞いたんだが、嫁さんを助けるためだったんだな。 すげぇな、兄ちゃん。 杵の弁償は貰っておくけど、代わりにうちの割引券をあげるから、いつでも来てくれよ」


 大将は半額の割引券を何十枚もくれた、一生のうちに使い切れるかとても心配になる。


 ついでと言ったら、またモップで叩かれるけど、〈葵〉さんにもお礼をする事にした、考えたあげく高級タオルが良いと考えた。

 汗を流しながら、俺をバシバシしていたからだ。


 「おぅ、感謝する心って言うものは一等大切なものだ。 若いのに分かっているねぇ。 モップの精神棒が効いたかねぇ。 わははっ、若けぇからこれをやるよ、葵ホテルチェーンをよろしく」


 〈葵〉さんも割引券をたばでくれた、葵ホテルチェーンか、何軒ラボホテルを所有しているんだろう。

 〈美幸〉に全部行ってみようと言ったら、「はい」と言った後に、どうしてか「もぉ」と言われて脇腹をつねられた、とても理不尽なことだと考える。


 それと〈美幸〉の実家に住むことに決めた、〈おばあちゃん〉は泣いて喜んでくれたけど、寂しい思いをさせていたんだと自分を一発殴っておく。

 〈美幸〉は何も言わないで、優しくぜてくれる。


 家は揺れに耐えられように基礎と躯体くたいを強くして、二階は防音と防振にすぐれた改造をほどこすことになった。

 今まで貯めていた預金をぶっ込むことになるが、気持ちの良い性活のためなら、しいはずが無い。


 連休を使って新婚旅行にも行った、俺の係長昇任の祝いも兼ねてだ。


 葵ホテルチェーンはリゾートにもホテルを所有していたんだ、割引券があるからそれは使うよな、すげぇお金持ちだから痛くもかゆくもないだろう。


 係長昇任は専務の娘さんの手回しじゃなくて、俺の実力だと思いたい、きっとそうだ。


 リゾートの海水浴場で、〈美幸〉は黄色のビキニを着て浮き輪に掴まっている。


 「ふぅん、やっぱり私にビキニは似合わないよ」


 「いや、良く似合っているよ。 おっぱいもお尻もすごく魅力的だ。 うへへっ」


 「あっ、ちょっと、見られちゃうから、触らないでよ」


 「うははっ、減るもんじゃないから良いだろう」


 「もぉ、朝から抱いたくせに、このエロ男め」


 そう言って〈美幸〉が俺の顔面に水をかけてくるのが、いと可愛いな。


 夜は打ち上げ花火を見に行った、俺も〈美幸〉も浴衣ゆかただ、〈美幸〉の下駄げたから聞こえてくる「からん」「ころん」の音が風情を誘う。


 「きゃっ、音が大きい」


 〈美幸〉が怖い振りをして俺にしがみついてくる、俺だけに見せるこのあざとさが大変良い。


 「うわぁ、綺麗だね。 私、打ち上げ花火を初めて見るんだ。 連れてきてくれて、ありがとう」


いじらしい事を言う、〈美幸〉ももちろん良い。

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