一瞬の夏~天使が微笑んだ夜~
Youlife
第1話 いつもと違う光景
お盆を迎え、東京から中川町へと向かう高速バスは首都圏からの帰省客で満席だった。
みゆきはお腹に新しい命を宿していた。すでに安定期に入ってはいるものの、健太郎は今年は帰省せずに東京に留まることを提案した。しかし、みゆきは健瑠の成長を両方の親に見せてあげたいと健太郎に懇願し、結局例年通り中川町へ帰ることになった。
中川町へと向かうバスの中には、賑やかな家族連れに交じって、三十代から四十代ぐらいと思しき中年男性や同年代位の女性が単身で座っているのが目についた。
今までの帰省と違う風景に、一体何事かと健太郎は頭をひねった。
「久しぶりだな、藤田」
健太郎の後ろから、聞き覚えのある声が耳に入った。
「あれ? お前……
「そうだよ。高校卒業以来だから、二十年ぶりだな」
後部席には、健太郎の高校時代の同級生である
雄吾は目を細めながら、健太郎の隣で眠る健瑠をじっと見つめていた。
「なあ藤田、お前の隣に座ってるのって……」
「ああ、息子の健瑠だよ。後ろに座っているのが妻のみゆき。お前にはまだ言ってなかったけど、俺、五年前に結婚したんだ」
「そっか……いいなあ、もう家族がいるんだね。俺は仕事に追われっぱなしで出会いのきっかけすらなくてね。親もついにしびれを切らしてさ、『今年から中川町でも婚活イベントやるから、お前も参加しろ』って言われて、本当に久しぶりに実家に帰ってきたんだ」
そう言うと、雄吾はポケットから折り畳んだちらしを取り出し、健太郎に見せた。
「中川町主催 夏の婚活パーティー! 男女ともに二十代~四十代の在住者、出身者であればOK……か」
健太郎は興味深そうにちらしを眺めていた。自分が未婚だった時代にも、こういうイベントをやってほしかった、と、心の中で呟きながら。
やがてバスは、健太郎の家の近くのバス停に到着した。
健太郎一家に続くように、単身で乗っていた中年男女が続々とバスから降り始めた。雄吾も大きなキャリーケースを手にタラップから降りてきた。
「じゃあな、雄吾。無事に彼女見つかるといいな。時間が合ったらどこかで飲もうぜ」
「ああ、そうだな……」
雄吾は力の無い声で話すと、健太郎と違う方向へとぼとぼと歩き始めた。
真っ青な夏空がどこまでも広がり、ギラギラと輝く夏の太陽の光が容赦なく地面に照り付けていた。みゆきはバスを降りた後、しばらく快調に歩いていたが、途中で立ち止まってその場にうずくまった。健太郎は慌ててみゆきの元へ駆け寄り、お腹を抱え苦しそうな様子を見せるみゆきを背中から支えた。
「大丈夫ですか?」
健太郎が後ろを振り向くと、心配そうに地面に座り込むみゆきを真上から見つめる若い女性の姿があった。
「手で押さえている所を見ると、ひょっとしてお腹の張りですか?」
「はい。さっき長い時間バスに乗ってたから、気付かないうちにちょっとお腹が張っちゃって……」
みゆきが苦しそうに症状を伝えると、女性はキャリーケースをその場に置き、みゆきの隣に座って何度もお腹や背中をさすりはじめた。時々額の汗をぬぐいながら、必死にマッサージを続ける女性の顔は真剣そのものだった。
「ねえ、健太郎さん……」
「どうしたみゆき、まだ痛むのか?」
「違うわよ……私よりも、健瑠から目を離さないでくれる? あの子、気づかない間にどこかに飛んで行っちゃうから……」
みゆきは苦しそうな様子でそう言うと、健太郎に対し手を振って前を見ろと促した。健太郎が振り向くと、健瑠はいつの間にか二人の元を離れ、道路沿いにしゃがみこんで草むらに手を突っ込んでいた。
「こら、何やってるんだよ! 草むらからヘビでも出てきたらどうするんだ!」
健太郎は大声でたしなめ、健瑠の手を掴んだ。すると健瑠は健太郎の目を見て、涙をボロボロと流し始めた。
健太郎は泣きじゃくる健瑠を抱きかかえ、何度も頭や背中をさすった。
しかし、いくらあやしても、健瑠は草むらを指さしたまま、ずっと泣き続けていた。
「もう、いつまで泣いてるんだよ? 草むらの中にヘビさんやハチさんがいたら、怪我しちゃうだろ?」
「だ、だって……いたんだもん」
「何がいたの? 面白いからって何でも触りたがるのは、健瑠の悪いクセだよ」
「でも……」
健瑠は泣きながら、草むらの方向をじっと見つめていた。
「どうかしたんですか?」
健太郎の真後ろから、穏やかな口調の男の声が聞こえた。健太郎が振り返ると、そこには髪が薄い小太りの男性が立っていた。男性は暑い中にも関わらず上下スーツを着込み、額にはうっすらと汗をかいていた。
「ごめんなさい、うちの子が泣き止まなくて……思い通りにならないから、ぐずっただけです。お気になさらないで結構です」
健太郎は男性の問いかけに、苦笑いしながら言葉で答えていた。しかし健瑠は泣きはらした真っ赤な顔で、相も変わらず草むらの方向を指さしていた。
「ちがうの……いたんだもん……おっきいのが」
「おっきいの?」
すると男性は、健瑠の指さす方向を見て、草むらに近づいていった。
「ああ、これか」
男性は突然二本の指を草むらの中に突っ込むと、大きなカマキリを手にして健瑠の目の前に差し出した。
「これ! これ!」
健瑠は嬉しそうな顔で、大きなカマを振りかざし威嚇するカマキリを指さしながら歓声を上げていた。
「ダメだよ、健瑠。カマキリのカマで怪我したらどうするんだよ?」
健太郎は健瑠の体を片手で制すると、男性の目の前に立ち、申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
「あの、お気持ちはありがたいんですが、息子が怪我すると困るので虫は結構です」
すると男性は健太郎の方を振り向き、その手にそっとカマキリを乗せた。
「お父さんですよね? お渡ししますから、息子さんに見せてあげてください」
男性は健瑠の目の前でにこやかな表情で手を振り、この場から去ろうとした。健瑠は満面の笑顔で「ありがと!」と叫び、手を振り返した。
「待ってください!」
健太郎は大声を出して、男性を呼び止めようとした。
「息子のために足を止めてくださって、ありがとうございました。出来れば、何かお礼をしたいのですが……」
「いや、実はちょっと急いでるので、お気になさらずに」
「ひょっとしてお仕事中ですか? 暑いのにスーツを着込んで」
「いや……私、これから婚活パーティーに参加するつもりでして。恥ずかしながらこの歳まで結婚はおろか、彼女すらいなかったものですから」
「え? 婚活パーティーですか? 実は私も行くんですけど……」
その時、みゆきの身体をマッサージしていた女性が、驚いた様子で大きな声を上げた。
「え……そうなんですか?」
男性は、みゆきと女性のいる方向を振り返った。
「私、看護師をしているのですが、仕事が忙しくて出会いの機会がないものですから、親の勧めでこの町の婚活パーティ―に参加するために帰ってきたんです」
「そうですか。じゃあ、あとで会場でお会いできるといいですね」
「私もお会いできるのを、楽しみにしています。失礼ですが、お名前は?」
「私ですか?
「私は
恵一とはるかは向き合ってお互いに頭を下げると、恵一は頭を掻いて照れ笑いを浮かべながら、公民館のある方向へとそそくさと駆け出していった。
やがて、腹の張りが取れてきたのか、みゆきは徐々に落ち着きを取り戻してきた。
「大丈夫ですか、少しは楽になりましたか?」
「うん……ありがとう。心配かけてごめんなさい」
「歩けますか? 私の肩につかまって、ゆっくり立ち上がってくださいね」
女性はみゆきの肩に手を掛けると、立ち上がり、歩調を合わせながら一歩ずつ前へ歩き始めた。
「お家は近いんですか? タクシーでも呼びますか?」
「ううん、痛みも引いたしもう大丈夫。それに、ここからだと実家まで歩いて五分ちょっとだから」
「じゃあ……私もこれで。もうすぐパーティーが始まる時間なので。旦那さん、奥さんをしっかり支えてあげてくださいね」
はるかはふんわりとした栗色の髪を後ろに掻き上げると、キャリーケースを引きながら健太郎たちの元を足早に歩き去っていった。
「あの人も、婚活パーティーに行くんだね」
「そうみたいだね……。あの二人、パーティーでカップルになれるといいね」
「みんな、結婚するのに必死なのね。私はそんなに焦ってなかったけど」
「俺はちょっと焦っていたかな。気が付いたら周りがどんどん結婚し始めたからね」
健太郎は掌に載せたカマキリをじっと見つめながら呟いた。
健瑠は、しなやかで細長いカマキリの体を指で何度も撫でては歓声を上げていた。
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