第56話 好き
シャロンはふうと目を開けた。
ライオネルの部屋の寝台に、横になっていた。
寝台脇にはクライヴの姿がある。
「クライヴ……?」
クライヴは静かに言葉を発す。
「お嬢様、お迎えにまいりました。お姿がみえず、捜しておりました」
シャロンは身を起こし、辺りを見まわす。
「ライオネル様は……?」
どこにもいない。
「俺がこちらに来たときは、お嬢様おひとりでしたよ。扉が開いていたので、恐れながら室内に。今夜はこちらにお泊まりになるのですか?」
「ううん、帰るわ」
さすがに泊まることはできない。
ライオネルの寝台で眠っていたのを見られ、気恥ずかしい。ごまかすように口にした。
「ワインを飲んで、眠ってしまったみたい」
クライヴは気づかわしげに告げた。
「夜も更けております。お帰りになるなら、お急ぎになったほうが」
「そうね」
シャロンは寝台から降りた。
ライオネルはまた大広間に行ったのだろうか?
このまま帰ることも躊躇われ、戻るのをしばらく待ってみた。
だが彼は戻ってこなかった。
「置き手紙を残されたらいかがですか」
クライヴにそう提案され、シャロンは吐息をついた。
「ええ」
帰る旨を記したメモをサイドテーブルに置き、部屋を出た。
クライヴが馬車を用意してくれていた為、それに乗り、帰路につく。
「そういえばクライヴ。ドナさん、婚約が決まったらしいわよ」
シャロンはそのことをクライヴに伝えた。
彼もびっくりすることだろう。
「お相手は外国語の新任教師で、来月電撃結婚するんですって」
「そうなんですか」
クライヴは余り驚きを示さなかった。
シャロンはぱちぱちと瞬く。
まるで知っていたかのようである。
「クライヴ、驚かないの?」
「彼女は惚れやすそうでしたので。意外には思いません」
ドナはクライヴに一目ぼれしたことからも、情熱的なのだろう。
ゲームでも攻略対象と恋を繰り広げていた。
実際はゲーム未登場なひとに恋をしたわけだが……。
だが魔法学校の教師なのだから、魔力を持つ人物だ。
「婚約者は魔力保持者。だから愛の力で魔王を倒すことはできるはず。でも結婚して国を出るようだし、どうなるのか心配だわ」
攻略対象以外と結ばれた時点で、ゲームと違う。
相思相愛の彼らを引き離し、今から攻略対象と結ばれるようにするなんてこともできない。
「なるようになるんじゃないでしょうか」
ヒロインの恋は叶い、彼女は幸せを掴んだ。
悲観的に考えるのはやめよう。
クライヴのいうとおり、きっとなんとかなるだろう。
今後も彼女の幸せに、シャロンは全力で力を貸すつもりだ。
命のため、世界を救うため!
「そうね、きっと大丈夫ね」
シャロンは頷く。
「あと彼女にわたくしたちは付き合っていないと、話しておいたわ。あなたはわたくしが好きだとドナさんは固く信じていて、誤解したままで。そう彼女が思うように、芝居してしまったからなんだけど」
「間違っていません。俺はお嬢様が好きです」
「わたくしもあなたが好きよ。でも違う意味で好きだって」
クライヴはじっとシャロンを見た。
「俺は違う意味でも、お嬢様が好きですよ」
従者をしてくれているけれど、仕事としてだけではなく、人としても好きだと思ってくれているのだろうか。
(そうなら嬉しいわ)
彼に失望されないよう、デインズ家の人間として恥じることのないよう生きよう、とシャロンは思った。
◇◇◇◇◇
翌日、学校は休みだった。
午前中、屋敷にライオネルがやってきた。
シャロンは自室でライオネルを迎えたのだが、会ってすぐに彼はぎゅっとシャロンを抱きしめてきた。
「ライオネル様」
びっくりしてしまえば、彼は謝罪した。
「昨日はすまなかった。なぜか部屋を出て、客室で眠ってしまったみたいで……。飲みすぎたというわけではないんだけど。酔っていたのかな。本当にごめん」
シャロンはかぶりを振る。
「いいえ、わたくしも置き手紙だけ残して帰ってしまって、申し訳ありませんでした」
「目を覚まし、部屋に戻ったら君の姿がなかったから悲しかったよ」
ライオネルはシャロンの頬を撫でる。
昨晩のことを思い出し、シャロンは心臓が早鐘のように鳴った。
「昨日はずっと一緒に過ごしたかったのに」
切なげに見つめられて、くらくらし、視線を逸らせるだけで精一杯である。
昨夜同様、甘い空気が室内に流れる。
するとノックの音が響いた。
「……ラ、ライオネル様、誰か来ましたわ」
「……そうみたいだね」
ライオネルは残念そうに手を離す。
シャロンはほっとした。
心臓が壊れそうだった。
(このところ、接触が前より増えている……!)
このままでは身が持たない……。シャロンが応答すれば、扉が開いた。
「失礼します」
入ってきたのは、クライヴだった。
従者の彼は、給仕もしてくれる。
お茶菓子の載ったワゴンを押し、テーブルにそれらを並べたあと、クライヴは頭を下げて退室した。
ライオネルは彼を見て、ふっと表情を曇らせた。
「……昨日、彼と、何か話したような気がする」
シャロンは首を傾げる。
「昨日ですの?」
クライヴが迎えに来たとき、ライオネルはいなかったが。
「気のせいかな」
ライオネルは不思議そうに呟く。
──しかし。
(わたくしたちの婚約はこのまま続くの……?)
前世を思い出してから、ライオネルに婚約破棄されるとシャロンはずっと思ってきた。
ゲームでは、ヒロインと攻略対象が結ばれる前に、悪役令嬢は断罪されていた。
ヒロインは相手を見つけた。この先自分たちはどうなるのだろう?
「ライオネル様」
「何?」
シャロンは気になって、彼に単刀直入に訊いてみた。
「わたくしとの婚約を続けるんですの?」
「え?」
ライオネルは小首を傾げる。
「僕と今すぐ結婚をしたいということ? うん、早く結婚したいと僕も思ってる」
「いえ、そうではなく」
「……まさか、婚約をやめたいとでも?」
婚約破棄を言いだすのは、ゲームではライオネルのほうだ。
目指していた国外追放はどうなるのだろうか。
「ヒロインが……」
惨劇は回避できたのだろうかと、シャロンが悩んでいると、彼は腕を伸ばし、攫うようにシャロンを抱きしめた。
「僕の人生のヒロインは君だ。僕は君を絶対離さないよ」
「ライオネル様」
シャロンの初恋で、ライオネルは魅力的で。
ゲームのキャラとして捉えていたはず、だった。
(でもわたくし、やっぱりライオネル様に本当に恋を……)
抱擁され、シャロンは卒倒してしまいそうだ。
──結局、テーブルにつくころには、紅茶は再度淹れ直してもらわなければならなくなっていた。
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