第30話 恋心は
この状況はいったい……。
心臓が壊れそうである。
「い、いけません……!」
シャロンはがばっと起き上がった。
その勢いで、ライオネルを後ろに倒してしまい、シャロンはさらに動転する。
王太子殿下を突き飛ばしてしまった……!?
シャロンが真っ青になると、ライオネルはくっと笑い出す。
「人に突き飛ばされたのは初めてだな」
「申し訳ありません……!」
「謝ることはない」
ライオネルは笑いながら、身を起こす。
「君は変わっているね」
彼はシャロンの手をとった。
「僕は今まで女性に拒まれたことがないから。君といると感覚がくるってしまうよ。もちろん君以外の誰かに迫ったりしたことはない。けれど王太子という立場だから、皆僕を好きになってくれる」
彼は神に愛された少年。
彼を拒もうと思う女性は実際いないだろう。
「わたくし、ライオネル様を拒んでなんていませんわ」
「なら、恥ずかしがっている?」
それもあるが、色々と事情があるのである……。
シャロンが唇を引き結べば、ライオネルはシャロンから手を解いた。
シャロンはほっとし、弛緩する。
「結婚前だし、確かにいけないね」
ふいに彼はシャロンの頬に唇で触れた。
あと僅かで唇という距離である。
真っ赤になるシャロンに、ライオネルは微笑む。
「結婚するまで、キスはしないけど。君は僕のものだ、シャロン」
◇◇◇◇◇
(もう少しで唇が重なるところだったわ……)
心臓がばくばくした。
頬のキスもない云々の悪役令嬢のセリフからして、ゲームではこんなことはなかったのだ。
動揺しつつ、ライオネルと王宮に戻った。
初恋相手の婚約者だが、いずれ別れることになるのは確実。
とてつもなく複雑な心境だった。
(ライオネル様のこと、これ以上好きになりたくないわ)
恋心はこれからも募るのだろうか?
胸がつきつきと痛む。けれど世界が存続し、生き延びさえすれば、恋を失ってもなんとかなる。
ヒロインに行う嫌がらせも恋心があることで、きっと真に迫るというもの。
だが今日のようなことは心臓に悪い。
思い悩みながら廻廊を歩いていると、前方にアンソニーの姿がみえた。
「お帰りですか」
アンソニーはライオネルの前で立ち止まった。
「ああ、草原に行っていた」
ライオネルはそう答え、シャロンに目線を流す。
「僕は楽しかったけれど、シャロンはどうだった?」
「わたくしも楽しかったですわ」
草原は爽やかで、花々は美しかった。
けれど心臓によくない一日でもあった。
アンソニーはシャロンの髪に視線を押し当てる。
「それは」
ああ、とライオネルは頷く。
「僕がシャロンに贈ったんだよ。おまえが彼女に渡したものは、すまない、僕が落として失くしてしまったんだ。だからそのお詫びにね」
「……そうですか」
アンソニーは唇を真一文字にする。
シャロンはアンソニーに申し訳なさを覚える。
せっかくもらったのに、自分が失念したことで、ライオネルが落とすことになってしまったのだ。
「アンソニー様、贈ってくださってありがとうございました」
シャロンがアンソニーに礼を言えば、彼は視線を上げ、シャロンを見た。
「いや」
「アンソニー、おまえは僕たちを出迎えに?」
「……失礼しました。お邪魔ですね」
アンソニーは俯き、背を向け立ち去った。
そんなアンソニーを、ライオネルは冷たい目で見やる。
シャロンはなんだかふたりの間に、ぴりついたものを感じた。
ライオネルは怒っているようで、アンソニーは元気がなかった。
どうしたのだろう。
「ライオネル様。アンソニー様とケンカなさいましたの?」
「ケンカなんてしてないよ?」
だが空気が重かったような……。
「部屋でお茶でも飲もう、シャロン」
シャロンは気にかけつつ、ライオネルの部屋に行った。
並んでテーブルの前に座り、侍女が運んできたお茶を飲んで、息をつく。
ライオネルがアンソニーに少し冷たい態度をとっているように感じたので、シャロンは言葉を発した。
「わたくし、ライオネル様のことを一番考えてらっしゃるのはアンソニー様だと思いますわ」
ライオネルは眉間に皺を寄せる。
「弟?」
「はい」
ゲームでもそうだったし、今現在もそうである。
ずっとアンソニーはシャロンに、兄に負担をかけるなと忠告していた。
近頃はそんな行いをしないと判断してもらえたようで、文句を言われることもなくなったが。
一番ライオネルの支えになるのは、間違いなくアンソニーである。
仲良くしてほしい。
「ずいぶんとアンソニーのことがよくわかっているんだね、シャロン?」
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