第4話 罪な人間

「何か悩んでいることがあるんじゃない?」

「いいえ……何も」


 早く書庫に戻り、将来のために悪人の本を探したい。


「けど王宮の階段から落ちたときから、どこか元気なくみえる」

 

 ライオネルは砂糖菓子のように甘い。

 こんなふうに甘やかすので、悪役令嬢のわがままは助長し、ライオネルにベタ惚れとなり、数年後、恐ろしいことをしでかす。

 思えば、この婚約者は罪な人間である……。


「君はいつもは、もっと」

「?」


 シャロンが首を傾げれば、彼は言葉を選びながら言った。


「もっと僕にいろいろ話をしてくれるよね」


 今までシャロンは相手の気持ちを考えず、我を通し、ライオネルに対しても一方的に喋りかけ、まとわりついていた。

 彼はけっして嫌な顔をしたりしなかったが、迷惑をかけていたはずだ。


「ライオネル様のお時間を奪うようなことはできません」

「君に会いにきているんだ、そんなことを気にすることはない」


 ライオネルは思いやり深い。

 清廉で見目麗しい彼に、恋をする女性は数知れなかった。

 苛つく悪役令嬢は、彼に近づくすべての異性を排除していく。

 最も邪魔だったヒロインに向けては、徹底して悪虐なことを行った。


「ライオネル様は本当におやさしいです」

「君にやさしくするのは当然だよ、婚約者なんだ」


 好き嫌いではなく、ただ婚約者だから気にかけてくれているのだ。

 ヒロインは垂れ目気味で、素朴でふんわりとした雰囲気で。

 シャロンとは正反対である。

 彼にとって自分は好みのタイプではない。

 

 誰にも本当の恋をしたことのない彼が、はじめてヒロインを本気で好きになる。その運命の恋を、自分は応援するのだ。

 落ち込むシャロンに、ライオネルは表情を曇らせた。


「ほら……悩んでいるんでしょう?」


 彼はシャロンの手を両手で包み込む。


「僕に話してごらん。話せばきっと楽になるよ」


 口にできるわけがない。

 事実を話せば病院直行だ。


「……何も悩んでいませんわ」

「でも涙が滲んでいる」

「目にゴミが入ったのですわ」

「シャロン、君は僕のことを好き?」


 突如訊かれ、シャロンは困惑する。


「どうしてそんなことをお聞きになりますの」

「なんだかいつもと違うから」


 前世の記憶が蘇ったが、彼の前でおかしなことはしていない、はずである。


「……好きですわ」


 今まで彼につきまとっていたのに、違う答えでは怪しまれる。

 それに実際に好きだ。だからこそ悲しいのだ。


「本当?」

「本当ですわ」

「抱えているものを、僕に話してくれないのに?」

「……わたくしは何も……」


 彼は椅子から立ち上がる。


「目にゴミが入ったんだっけ」

「はい」

「見てあげる」


 横たわるシャロンの上から、彼はふっと瞳をのぞき込む。

 ライオネルの明るい青の双眸は、鮮やかで美しい。

 端整な顔が近づいてきて、彼の唇がシャロンの頬におとされた。


(!?)


 手を繋いだまま、頬に口づけられた。

 彼は唇をそっと離し、ささやく。


「目にゴミは入っていなかったよ」


 ゴミが入っていたわけではない。ごまかすために言ったのだ。

 ふわりとした感触が肌に残っていて、ぽっと赤くなると、彼もうっすらと頬を染めた。

 手を強く握りしめられる。


「君はひょっとして不安なんじゃないかって。それを解消するには、こうするのがいいと思った。急にごめん」


 不安というのはその通りだが、今のは不安が解消されるというより、混乱状態となってしまった。


「わ、わたくしもう休みますわ」

「うん、ゆっくり休んで。悩みごとがあれば僕に話してくれると嬉しく思うよ。僕は君の味方だ」


 彼はシャロンの髪を撫で、退室した。




※※※※※




(シャロンの様子が、なんだか変だ)


 王宮に戻ったライオネルは、不思議な思いでいた。

 いつも彼女は饒舌で、ライオネルにべたべたしてくるが、今日はいやにあっさりとしていた。

 

 お喋りな人間も、必要以上にくっつかれるのも苦手である。

 シャロンとは年齢、家柄、容姿など、諸々の条件が釣り合っていたため婚約することになった。

 自由な結婚など望めないし、異論はない。元々恋愛に興味がない。


 シャロンが好いてくれているのは感じていて、婚約者を大切にしようとは思っていた。


(だが、階段から落ちてからどこかおかしい)

 

 そばにいたのに助けられず、ライオネルは自責の念を抱いていた。

 彼女は、怪我はなかったが落ち込んでいる。

 それが庇護欲を掻き立てるのか。

 今まであれだけアピールしてきたシャロンが、哀しさを滲ませ、元気がないのが気にかかる。

 

 悩みごとがあるのなら、話してくれればいいのに。

 賊に襲われたことで、心が不安定になっているのかもしれないけれど。

 

 もし自分たちのことで、不安に感じることがあるのなら、それをなくしてあげたい。

 相談に乗り、解決してあげたい、守ってあげたい。

 

 そう思い、気づけば彼女の頬に唇を寄せていた。

 正直言えばシャロンを見ていて、キスしたくなった。


(悪いことをした)

 

 驚かせてしまったことだろう。

 彼女が心を痛めることがあるのなら、和らげてあげたいと思う。

 同時に、涙ぐむ彼女をもっと泣かせてみたい、という加虐心も覚えるのである。

 ライオネルはそんな自分に驚いていた。

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