乙女ゲームの悪役令嬢だったので、悪役になる覚悟ですが、王子様の溺愛が世界を破滅させてしまいそうです

葵川真衣

第1話 無惨に婚約破棄される、悪役令嬢

 公爵令嬢シャロン・デインズは、王太子ライオネル・レイリオードとの婚約が決まり舞い上がっていた。


 ライオネルは見目麗しい王太子だ。

 九歳にしてすでに、君主としての風格を漂わせている。

 同い年であるシャロンは、王国随一の貴族令嬢で、絶世の美少女。

 自分たちの婚約が決まったのも当然だと、シャロンは思っていた。

 

 王宮のテラスで過ごしたあと、庭園に出ようと、ライオネルと螺旋階段を降りたのだが。

 シャロンは彼に見惚れていて、思いきり足を踏み外してしまった。


「!」

「シャロン!」


 ライオネルが自分の名を叫ぶのを耳にしながら、階段から転げおち、頭を打ちつけた。

 意識は薄らぎ、稲妻のように何かが脳裏を駆け抜けた。

 それは──記憶だった。

 

 入学したばかりだった女子高生の自分。

 青春を謳歌しよう、と期待に胸を膨らませていたその矢先。

 神社に参拝し、長い階段から滑りおちて死亡した。

 

(……今……?)


 現在の自分の名は、シャロン・デインズ。

 以前、プレイしていた乙女ゲームの悪役令嬢では──!?

 

 意識はそこでぷつり、と途切れた。




◇◇◇◇◇ 



 

 瞼を持ち上げれば、寝台にいた。

 傍らには心配そうに、こちらを見ているライオネルの姿がある。

 

「シャロン、意識が戻ってよかった」

「ライオネル様……」


 なんて気品溢れる少年だろう!

 彼はゲームの攻略対象、王太子ライオネル・レイリオードに間違いなかった。

 金の髪に、セレストブルーの美しい瞳。

 乙女ゲー登場時より六歳ほど幼いが、容貌も、立場もメインヒーローだった彼である……!

 

 衝撃で息が詰まるシャロンに、ライオネルが気づかわしげに声をかけてくる。


「君はさっき、螺旋階段から落ちてしまったんだよ。覚えている?」

 

 シャロンは黙って頷いた。

 色々思い出してしまった──前世のことを。

 目の前がぐらぐら揺らいだ。


(大好きだったのに……ライオネル様)


 婚約が決まり、有頂天になっていたシャロンだが、彼はこの先、ゲームのヒロインと出会い、運命の恋をする。自分はライオネルに婚約破棄される上、彼に殺されるルートすらある……。

 絶句してしまえば、ライオネルは手を伸ばした。


「外傷はなく、心配ないと医師は言っていたけれど……。どこか痛む?」

「……大丈夫です……」 

 

 身体に痛みはないが、この世界の事実を、行く末を知ってしまった心がずきずきする。


(いっそのこと目覚めたくなかったわ……)

 

 ライオネルは眉をひそめた。


「泣かないで、シャロン」


 彼は顔を近づけ、シャロンの目元の涙を唇で掬った。


(えっ)

 

 心臓が跳ね、衝撃でぴたりと涙が止まった。

 至近距離に、王太子の整った顔がある。

 きれいな双眸。驚くほど長い睫だ。

 

「君のそばにいたのに、守れなかった……すまない」

「ライオネル様が、謝られることは何もありませんわ」

「いや」 

 

 ライオネルは、哀しげにかぶりを振った。


「近くにいて、君が階段から落ちるのを防げなかったんだ。僕の非は大きいよ。一生かけて責任をとる」

「ライオネル様?」


 シャロンは虚を衝かれた。

 彼は何も悪くないのに、強い罪悪感を抱いているようである。


「先にわたくしが階段を降りていましたし、防げるような状況ではありませんでしたわ。わたくし、ライオネル様に見惚れて足を踏み外してしまって」


 すると彼は瞬いた。


「僕に見惚れて」


 シャロンは顎を引く。

 麗しい婚約者にうっとり魅入ってしまったのである。

 初恋で、大好きな相手で。

 だからこそ、知った事実が辛くて仕方ない。


「わたくしの注意不足ですわ。なのでお気になさらないでくださいませ」

「いや、僕のせいだよ」


 彼は責任感が強く、しかも色気駄々洩れの美少年。

 子供なのに、さすがメインヒーローといったところか。

 ライオネルはシャロンの手を握りしめた。

 どきんとする。


「今日は王宮に泊まっていくといい。公爵家には連絡を入れておいたから。階段から落ちたのだし、今は動かずゆっくり休んだほうがいい」

「……ありがとうございます……」


 彼は再度医師を呼んでくれた。

 問題ないとの診断を受けたが、蘇った記憶により、今頭の中がパニック状態だ。

 部屋にひとりになれば、シャロンは深呼吸を繰り返した。


(目を逸らしていられない。最終確認をしましょう)

 

 壁に掛けられている姿見の前まで、そろそろと向かう。

 視線を上げ、鏡を見つめた。

 そこには生まれてからこの九年の間、ずっと見慣れた姿が映っている。

 

 淡い金の髪に、ベビーブルーの瞳、細い鼻梁、艶やかな果実のような唇、白い滑らかな肌。

 眼差しは鋭く、実に悪役っぽいが、美しい。

 外見も立場も名前も同じで。

 やはり悪役令嬢シャロン・デインズの幼少時だ──。

 

 シャロンは寝台に戻り、突っ伏した。


(将来、ライオネル様から、無惨に婚約破棄されるわ!)


 大好きなキャラで。今生の初恋相手。

 けれど、この先シャロンに待ち受けているのは地獄である。

 ひとしきり泣いたあと──呑気にしている場合ではないと、むくっと起き上がった。


(なんとか生き残らなきゃ……!)

 

 最もマシなエンディングを目指し、悪役令嬢に徹する。

 シャロンは腹を決めれば、悪役らしい笑みを浮かべたのだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 翌日、馬車に揺られ、帰路についた。

 ゲームについて昨晩まとめた紙をポケットから取り出し、馬車内で確認する。

 今自分がいるこの世界。

 それは乙女ゲー『聖なる魔法と恋』の世界である。

 

 数年後現れるヒロインは平民の少女。魔力を保持していることが判明し、王都の親戚に引き取られ、魔法学校に入学しゲームは開始する。

 内容は四人の攻略対象とめくるめく恋におちる、ラブファンタジーだ。

 

 メインヒーロー、それは自分の婚約者ライオネル・レイリオード。

 正統派ヒーローだが、色気ある王太子である。

 

 二人目は、第二王子アンソニー・レイリオードだ。

 落ち着いた王子で、ライオネルが動とすれば静の存在である。

 

 三人目は悪役令嬢の義弟エディ・デインズ。

 天使のような容姿、悪魔のような言動をとる、小悪魔な年下。

 

 最後は魔術師ルイス・ガーディナー。

 何を考えているかわからないミステリアスなキャラだった。

 

 この四人が攻略対象である。

 乙女ゲーの攻略対象なだけあり、各々かなり魅力的だ。

 ヒロインも誰かに恋をすることだろう。 

 

 シャロンが必死で思い出したところ、悪役令嬢が生き残れるルートは、各攻略対象のグッドルート、もしくはハーレムルートしかなかった。

 他のルートでは、ほぼほぼ死亡する。

 殺害、事故、災害……バリエーションは無駄に幾つかあったが、とにかく数年後、若くして亡くなる。


 物語終盤に大体のルートで突如現れた、世界を滅ぼそうとする魔王は、ヒロインが攻略対象と結ばれることで倒せる。

 魔王を倒せたとしても、ノーマルやバッドならシャロンは死亡する。

 

 どの攻略対象に興味をもつか、ヒロインの動向を見守りつつ応援しよう。

 ハッピーエンドが自分の生き残れる唯一の道だ。これを狙うっきゃない。

 でも、とシャロンは少々疑問を抱いた。


(ハーレムルートは、ハッピーエンドといえるのかしらね?)

 

 シャロンも世界も救われるが……。

 攻略対象はゲーム内で、ハーレムに納得している様子だったので、まあ問題ないはず。

 

 自分は悪役令嬢になる!

 デインズ公爵家の令嬢としてちやほやされて、わがままであったが、まだゲーム時ほどの悪辣さは現れていない。

 王太子の婚約者に決まったことで、これからどんどん付け上がっていくのだ。

 

 記憶が戻らなければ、わがままを通り越し、ゲームのように傲慢になっていただろう。

 居丈高で我が強く、邪悪な存在に。

 ここで方向転換──しない!

 ヒロインと攻略対象との仲は、悪役令嬢の暗躍によってグッと縮まるのだから。


(わたくしはやり抜くわ、悪役令嬢を!)

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