エリート後輩の甘い誘惑 ~仕事一筋だった私の甘くて苦い社内ロマンス~

カユウ

第1話 仕事一筋の日々

 雨がアスファルトを叩く中、深夜0時を回ったころ、私は疲れ切った体を引きずるようにしてマンションに帰り着いた。エレベーターに乗り込み、20階のボタンを押す。エレベーターが上昇する間、私は目を閉じ、深いため息をついた。


「はぁ……今日も長かったわ」


 エレベータ奥に設置された鏡をチラリと見る。鏡に映る自分の姿が、少しずつ崩れていくようだ。デジタルホライズン株式会社の第三営業部課長、霧島志穂。38歳。仕事一筋で生きてきた私の姿がそこにあった。


 部屋に入ると、高層階からの夜景が目に飛び込んでくる。雨に濡れた東京の街が、幻想的に輝いていた。スーツを脱ぎながら、今日一日の出来事が走馬灯のように頭をよぎる。


「みなさん、お疲れ様。今回のプロジェクトは、無事にお客様から検収をいただくことができました。みなさんもご認識の通り、いくつか問題も起きています。特に、今回は技術部門とのコミュニケーションでの問題が大きかったという声が上がっています。そのため、上層部がみなさんにヒアリングをさせてほしいとのことです。評価に関わることはありませんので、ヒアリングの際は問題点や感じたことを素直に話してください」


 会議での自分の声が蘇る。みんな真剣に耳を傾けてくれた。プロジェクトは成功に終わり、直属の上司からの評価も上々だった。それなのに、どこか満たされない気持ちが胸の奥に残る。


 私は洗面台に向かい、化粧を落とし始める。少しずつ自分の素顔が現れていく。そこには仕事の成功とは裏腹に、何かが欠けているような表情が浮かんでいた。


(私、このままでいいのかしら……仕事も大事だけど、何か違う気がするのよね……)


 自問自答していたはずが、いつの間にか次のプロジェクトのことを考えていた私は、軽く頭を左右に振る。いつもはシャワーだが、今日は湯船にお湯を張ろう。温かい湯船に浸かって、久しぶりに自分自身と向き合う時間を持つことを決めた。


 湯船に入ると、温かさが体を包み込む。目を閉じ、深呼吸をする。すると、普段は意識しないような感覚が蘇ってきた。指先で肌をなぞると、ゾクゾクとした感覚が走る。


(こんな感覚すら忘れていたわ)


 仕事への情熱だけでは満たされない何か。長年抑え込んできた欲求が、静かに、でも確実に頭をもたげてくるような気がした。


「あっ……」


 思わず漏れた吐息に、自分でも驚く。だが、一度感じた感覚を逃さないよう、ゆっくりと自らの肌をなぞりつづけていく。


「ふっ……う、ん……」


 1人にも関わらず、声を押し殺してしまう。こういうところで開放的になれないから、1人なのではないかという思いも浮かんでくる。


 一通り満足したところで湯船から上がると、鏡に自分の姿が映る。自分の体をちゃんと見たのは、久しぶりな気がする。水滴が滑り落ちていく肌。誰かに触れられたいという欲求が胸の奥で膨らむ。


(誰かに抱きしめられたら……)


 その想像に、頬が熱くなるのを感じた。慌てて顔を振る。


「ダメよ、志穂……そんなこと考えちゃ。仕事に生きるって決めたじゃない」


 自分を戒めるように呟くが、一度芽生えた感情は簡単には消えそうにない。


 バスローブに身を包み、寝室に戻る。ベッドに腰掛け、スマートフォンを手に取る。メールをチェックすると、明日の予定が次々と目に入ってくる。


 続けて取引先とのやり取りを確認しながら、私は深いため息をつく。仕事のことを考えれば考えるほど、さっきの湯船での感覚が遠のいていく。


 でも、本当にそれでいいのだろうか。


 ふと、そんな問いが心の中で響く。


 スマートフォンをベッドに放り出し、窓際に立つ。雨に濡れる街を見下ろすと、明かりがぼんやりと揺れている。その光景に、私の中で何かが変わり始めるのを感じた。


(明日から……そう、明日からは仕事だけじゃなく、自分自身にも向き合ってみよう)


 決意を胸に、私はベッドに横たわる。柔らかな寝具が体を包み込む。明日からの自分に、少しだけ期待を抱きながら、目を閉じた。


 雨の音が静かに続く中、新しい物語の始まりを予感させるように、私の呼吸が深く、ゆったりとしたものになっていった。

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