第30話 偽世とは

 一方、現世うつつよでは、満仲みつなか麒麟きりんが、連れ去られた朱鷺とき水影みなかげ安孫あそんの救出のため、あらゆる手段を講じようとしていた。満仲が先陣を切り、陰陽寮へと向かう。そうして陰陽頭である父、一益かずますに、「偽世にせよとは何じゃ?」と唐突に訊ねた。

「ちょ、霊亀れいき様っ! いきなりでは御父上様も混乱されますよ!」

 後ろから麒麟が制止するも、「腐っても陰陽頭じゃ、偽世くらい存じておるじゃろ?」と満仲が凄む。陰陽頭の席で、じっと満仲を見上げていた一益だったが、深く吐息を漏らすと、「まずは座るが良い」と二人を席に着かせた。

「それで、偽世とは何じゃ?」

 父の正面から、満仲が問う。

「偽世とは、の世との世の狭間にある世じゃ。かつて死者蘇生の秘術を生み出さんとした東雲しののめ家が、死者を蘇らせんとして……」

 そこまで言って、一益が沈黙した。組んだ両手に一益の視線が落ちる。

「なんじゃ、其処そこまで言うて、だんまりはなかろう? 死者を蘇らせんとして、何じゃ?」

 苛立つ満仲に、一益が吐息を漏らす。

「死者を蘇らせんとして、失敗し、彼の世に戻れのうなった者らがおる場所じゃ」

「何じゃとっ? 左様な場所に、主上らが居ると言うのか!」

「主上? まさか、東雲の者が現われたのか?」

「……東雲黄呂という御仁が、主上と三条水影様、春日安孫様を偽世へと隠されたんです」

 麒麟の説明に、一益が頭を抱える。

「東雲黄呂……。あの八千代が生きておったのじゃな」

「いや、彼奴きゃつはもう死んでおる」

「えっ? そうなんですかっ?」

 信じられないと言わんばかりに麒麟が面喰うも、平然と満仲は続けた。

「彼奴はあの時……津縄代つなわしろ神社焼き討ちの折、社と共に火に巻かれ、その生涯を閉じたでな。じゃが、面倒なことに、彼奴自身、己が亡くなったという実感がない。今もまだ生きておる身として、此の世を彷徨うておるのじゃろうな」

「本当ですか? 俄かには信じられないというか……」

れほどまでに、己が願いを叶えたかったのじゃろう」

「ああ。主上の臣下になりたいという願い……。同じ瑞獣が増える分には、おれは賛成だったんですが……」

「阿呆を申すでない、麒麟。此れ以上、癖の強い者らが増えるのは御免じゃ」

 ぷいっとそっぽを向いた満仲に、「はは。霊亀様がそれを言うとは……」と麒麟が空笑いした。

「それで、如何どうすれば主上らを偽世から連れ戻せるのじゃ?」

「そうじゃのう……。主上らはまだ生きておる身。であらば、此方こちらが世から呼び戻す他あるまい。じゃが、あまり時は掛けぬ方がよかろう。何せ偽世は、此の世でも彼の世でもない場所。左様な場所に長くおれば、自らが生きておるのかも、死んでおるのかも、分からぬようになるでな。そうなれば、手遅れじゃ」

「っち! 面倒な世を作りよって! ……されど、東雲の死者蘇生が秘術、あれは真に失敗じゃったのか?」

 その問いに、一益の眉間が動いた。

「焼き討ちの折、八千代が申したこと、あれは真か? 真に東雲の死者蘇生の秘術に対し、不動院が陰謀を働かせたのか?」

 満仲の追及に、一益が鼻息を漏らしながら、首を振った。

「満仲、そなたは死者蘇生が、正しき人の在り方と思うか?」

 ぴくりと反応を示した満仲に、一益が続ける。

「死者を蘇らせんとすることは、我ら人に許されしことか? ……いな。人の生死は、正しくあらねばならぬ。たとえそれを帝が望もうとも、禁忌を犯そうとした“友”を救わんとして、何が二大陰陽大家じゃ。何が共に切磋琢磨し、二大巨頭となりし一族じゃ。我らは“友”が間違まちごうた道に外れぬよう、正したに過ぎぬ。きっと、そなたも同じことをしたはずぞ」

 そっと一益に微笑まれ、満仲が、ぎゅっと口を噤んだ。不動院親子の言わんとしていることが分かるような、分からないような、それでも麒麟が話を進める。

「主上らをお救いするためには、御三方を此方こちらへ呼び戻す助っ人が必要と言うことですね。なら、善は急げですよ、霊亀様!」

「阿呆、急がば回れとも言うじゃろう。麒麟よ、骨は折れるじゃろうが、御前は三条の兄を屋敷から連れ出して参れ」

実泰さねやす様を? 絶賛屋敷籠り中ですが……」

「今屋敷を出なければ、一生可愛い弟には会えぬ、そう申して尻を叩け」

「分かりました。では、九尾様は……」

「安孫のすけは、親父殿の他おらぬ。そちらはわしが連れて参ろう。問題は、主上じゃな。生きておる者らの中に、主上を此方が世に連れ戻せる者などおらぬ。主上が愛する女人がおれば良かったのじゃが、ことごとく処刑されたでな」

「愛する女人……。あのう、霊亀様。主上を愛する女人とは、亡くなっておられる方でもいいんですか?」

「それは、つまり、そういうことか?」

「はい。さすがは霊亀様。話が早くて助かります」

「はあああ」

 満仲が深い溜息を吐いた。

「じゃが、その女人が八千代によって死者蘇生されておれば、此の世にも彼の世にもおらぬ。つまりは偽世にて、主上といちゃこらしておる可能性もあるぞ?」

「んー、何となくですが、あの御方はまだ、此の世にいらっしゃるような気がするんです。今もまだ此の世で、主上を見守っておられるんじゃないかと」

 麒麟が、かつて朱鷺と恋仲であった、亡き朔良式部を思い浮かべる。その墓を掃除した麒麟は、どうしてかそう思えてならなかった。

「聡明な麒麟の申すことじゃ。一丁、此処は賭けてみるとするかのう。ようやく最終局面じゃ。しくじるでないぞ、麒麟」

「はい! 霊亀様も!」

 確かな絆を持って、二人が力強く頷く。それぞれ、三人が縁のある者らの下へと急いだ。


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