愛しています、愚かで優しい国王陛下

柴野

本文

「陛下、陛下」

「……ああ、ゾーイか」

「もうすぐ大事なお仕事なのでしょう? そんなにだらしない格好ではダメではないですか」


 柔らかな朝の光が差す一室にて。

 ソファの上で身を横たえる男に、私は優しく語りかける。


 それまで寝たふりをしていた男は面倒臭そうに身を起こし、伸び放題の無精髭を撫でながら答えた。


「お前みたいな若いのと違って、枯れ切ったおっさんは着飾ったところで萎びて見えるんだから一緒さ。たかだかお飾りの俺がどんな格好をしたっていいだろ」

「そんなまさか。お飾りなんて誰も思っていませんよ」


 飾り気のない口調。くたびれた服。整えていない顔面。枝毛だらけの髪。誰が見たって、立派だとは思うまい。でも、そんな客観的事実はわざわざ口に出したりしない。……個人的には悪くはないと思うけれど。


 にっこり微笑んで、「格好いいところを見せてきてくださいな」とおだててようやく、男は動き出す。


「いってらっしゃいませ」

「見送りなんぞいらん」


 ぶっきらぼうな返事にただただ頭を下げて応じた。


 こんなに怠惰な人を私は他に見たことがない。そして残念ながら、怠惰でどうしようもないダメ男の象徴のような彼が誰かと言うと、私の夫である。さらには齢三十五のこの国の王でもある。


 陛下は民から全く慕われていない。きちんと身なりを整え、言動をマシにすれば良いだろうに、そのようなことに一切気を遣おうとしないからだ。


「まったく、仕方のない人です」


 新興貴族の娘であるため疎まれがちだった私は、陛下の花嫁という碌でもない名誉の座を押し付けられた。しかも歳の差は二十歳。冗談じゃない。


 ……とはいえ、己の不幸を嘆いたのは最初だけだった。



 だって私は知っている。

 「ゾーイ」と私の名を呼んでくれる時、ちょっぴりの申し訳なさと、隠し切れない優しさが込められていることを。

 ぶっきらぼうな態度を見せていながら、本当は民のことを昼夜問わず考えて政策を練っていることを。そのくせ、まるで愚王のように振舞っていることを。



 今日も陛下は議会でお飾りとして扱われ、策を嗤われ、糾弾されて帰ってくる。

 腐っているのは陛下ではない。それに気づいたのは、陛下の妃として過ごすようになってからだ。


 誰も陛下を信じない。重鎮たちは年寄りばかりで、誰も若い陛下に従わない。おっさんと自称しているが、陛下はあれで若いのだ。

 しかも陛下は正当な王家の血筋ではない。流行病で王族がみんな死に、一番血が近かった侯爵家の令息の彼が王にならざるを得なかったから尚更、反発は強い。


 重鎮がみんな死ねば何か変わるかも知れないが、それは何年後、何十年後の話になるのか。この国は日に日に貧しくなっている。


 そこで陛下は、考えたのではないだろうか。

 自分が悪役になり、クソッタレな貴族連中を全部巻き込んで、革命という形で民に倒されればいいのではないか、と。


 ……私の馬鹿な想像かも知れない。そうであってくれたらいいと思う。でも、民の不穏な動きはすでに噂となって聞こえてきている。

 どうすればいいのかわからない。小娘の私にできることはあまりにも少なくて。


 今日もどこか暗い顔で会議から戻ってきた陛下を、少し冷めてしまった昼食と共に私は出迎えた。


「おかえりなさいませ、陛下」

「ああ。昼ごはんはまだ食ってないのか。先に食っといてくれても良かったんだぞ。こんなおっさんのために待つ必要ないのに」

「いえ、私がご一緒したかったのです」

「……変わってるな、ゾーイは。若くて可愛いのに勿体無い。俺なんか、とっとと捨てちまえよ」


 そんなことはできない。だって私は、破滅を選ぶ愚かさも、その破滅に私を巻き込みたくないからとあえてぶっきらぼうな振舞いをする優しさも、おまけに無精髭が生えまくった顔も含めて全部、陛下を好きになってしまっているから。



 愚かで優しい国王陛下。彼の終わりは、きっと近い。

 妻としてその最期まで寄り添うことくらいしか、私にはできないのだった。

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