バンガロー

壱原 一

 

心身の健やかな育成のため、毎年キャンプへ出されていました。


新しい出会いを得られるよう、毎年面子が変わります。集合場所へ送られたら、後は見知らぬ人の中です。数名のスタッフさんと、面識のない子供達と、バスで山間へ運ばれます。


安全重視のキャンプです。縦割りで班が組まれます。年長者が班を任されて、予定調和の日程を気遣わしく過ごすと分かるので、高学年の子供にはあまり人気がありません。


だからその年は中学年で班長に指名されました。


太陽光より眩しい元気の塊が4人。


しっかりしてそうだしよろしくねと見取り図と栞と鍵を渡され、走りたがる子と手を繋いで割り当てられたバンガローへ向かいました。


*


屋内に期待した木の匂いはしませんでした。窓やドアなどの建具や照明。現代の人工物の科学的な臭いが陽に蒸されて籠もっていました。


いかにも物慣れていない子が、床に積もる虫の死骸に泣きました。丁度のぞきにきたスタッフさん達が心得た様子で同情し、携えていた箒を配って、豪快に笑って掃き出します。


少し強く掃くと翅が風を受けてふわっと舞います。その度に銘々が大声で喚き、段々と声を張る愉快が滲み出し、最後は和気藹々とお掃除を終えて仲良く広場へ集合します。


カレーを作って食べ、お水を飲み、キャンプファイヤーで踊ります。皆でお風呂に入って、下着を探したり、乾かした髪を結んだり、虫刺されに薬を塗ったり、消毒した擦り傷に絆創膏を貼ったりしてあげます。


だから走ったら危ないよって言ったでしょと諭しながら、虫が苦手で引っ込み思案な子も、お調子者でやんちゃな子も、ちょっと捻くれて生意気な子も、まめに手伝ってくれる大人びた子も、みんな思い思いに懐いてくれて、すっかり弟妹のように感じられます。


お揃いのマークを描いたルームプレートを作り、協力してフラッグを探し当て一等賞を貰いました。最終日の夜は、帰りたくないよおと大袈裟におどけるやんちゃな子に同調して、他の子達まで何時までもお喋りを止めず、寝かし付けるのが大変でした。


*


最後まで粘っていたちょっと捻くれた子が漸く寝たのを見届けて眠くなりました。どのくらい寝たのか、ぼんやり意識が浮上しました。


まだ夜です。広場の外灯が窓から差し込み、薄っすら室内を照らしています。


どうして目が覚めたのか直ぐに分かりました。


2つ隣の寝袋で引っ込み思案な子が起きています。上体を起こし、窓を見て、ひいひいと息を絞り激しく緊張していました。


素早く起きて窓を見ると、外に蛾が居ました。人の頭をすっぽり覆える枕くらいの面積に、たくさん群がっていました。


先細りの脚や、ふわふわした腹や、粉っぽそうな力強い翅を、所狭しと活発に蠢かせていました。


その蛾の流動で顔が隠れる位置に、人が立っていました。


男のようでした。両脇を刈った黒く豊かな短髪に、胸から肩が黄色くブロッキングされた青いウィンドブレーカーを着て、しんなりと両腕を垂らし、窓のすぐ外に立っています。


スタッフさんではありません。


蛾が羽ばたいて、翅が窓を打ちます。ぽとぽとぱたぱたと忙しなく窓を叩いて、各々が無軌道に動きます。


蛾が羽ばたいて動く度に、背後に立っている人の顔がちらつきます。額や濃い眉、目の半分、色の悪い頬の稜線や、結ばれた口が覗き、今にも顔が見えてしまいそうです。


引っ込み思案な子が、窓を凝視しています。顔が見えてしまったら、まともに目が合ってしまいます。


見ない方が良いと思って、固唾を飲んで這い寄り、静かにその子を呼びました。


途端にその子が叫びました。全身全霊の絶叫です。咄嗟に抱きかかえてその子の視界を遮りました。


他の子達が跳び起きて、その子が泣き出して、皆が怖がります。苦労して平気な声を出し、大丈夫だよと言いますが、窓に居るとその子が訴えます。


窓は見ちゃだめと怒鳴ると同時、バンガローのドアが開けられて、室内の照明が点きました。


*


事情を聞いたスタッフさん達は豪快に笑いました。同情して慰めてくれました。


窓の外に集っている蛾を掴んでは地面に叩き付け、踏みにじってすり潰し、靴底を地面になすりました。


大丈夫。大丈夫。吃驚したね。ぜんぜん怖くないよ。こんなの何でもない。


なんにも出来ないんだから。出来る訳ないんだから。ぜえんぜん怖くない。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。


とても豪快に笑っていました。汗を掻いて紅潮し、両目がきらきら光る笑顔で慰め続けられて、引っ込み思案な子は泣き止み、朝を迎えました。


*


帰りのバスの隣の席で、その子に頼まれてずっと手を繋いでいました。


その子は張り詰めてぷつんと切れる寸前の細い糸のような声で、後ろ見ないでと言いました。後は解散場所に到着しバスを降りて駆け去るまで黙っていました。


持たせられていた大事なお守りを失くしてしまって、大目玉を食らったのを覚えています。


翌年から高学年になったので、二度とキャンプへ行きませんでした。



終.

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バンガロー 壱原 一 @Hajime1HARA

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