ふたつでひとつのツバサ 黒髪のグロンダイル 〜巫女と騎士の誠実幻想譚〜

ひさちぃ

第一章 転生者としての私

導入 塔の風鈴――魔獣狩りの黒髪のグロンダイル


 ――りん。

 

 その名が告げられた瞬間、上階の空気が薄く震え、梁先の小鈴がひとつ鳴った。塔の石壁に、音がゆっくり溶けていく。


 その声だけが、古い名の重みを運んだ。古き王の名を継ぐ声が、塔に響く。


 細い風が高窓を撫で、紙の端がかすかに震え、灯の芯が息を呑む。


「……グレイハワード様。“黒髪のグロンダイル”と名乗る魔獣狩りの少女について──ローベルト将軍より続報が届いております」


 音はすぐほどけ、薄布のカーテンだけが遅れて息を吸った。頬を撫でた冷えは春の兆しではなく、封じてきた名の記憶を呼び起こす冷たさだった。


 年老いた従者は大理石に膝をつき、深く頭を垂れる。裾から伝う冷気が脛を上り、声の余韻が扉板をかすかに震わせる。


 報告は、そこで宙づりになった。高窓から入った風が一枚の書簡の端をめくり、乾いた紙の匂いと、布の擦れる音が静けさに散った。


 純白のローブの老人は応えない。腰までの白髪と雪の髭がわずかに揺れ、組んだ指にゆっくり力がこもる。喉仏がひとつ上下し、短い息が胸に留まった。


 ふたたび――ちりん。


 組んだ指の間へ石の冷えが戻り、胸の奥で息がひとつ返る。


「……あの子の、黒髪を継いだのか」


 細い音の尾が空へほどける。視線だけが遠くへ滑り、名を呼べない誰かの影がよぎったのか、口元がかすかに緩んで消えた。


 風鈴は、二度目は鳴らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る