灰色の天使
板倉恭司
殺人者
真幌市の南端は、広い森林地帯だ。少し歩くと、隣の白戸市にある蛾華山へ入っていくこととなる。
そんな森林の中に、木造の一軒家が建っていた。さほど大きくはない平屋だが、庭は広く雑草が大量に生えており、木製の塀が周囲を取り囲んでいた。壁も塀も腐りかけており、ヘビー級ボクサーのパンチで倒壊してしまいそうである。
もともとは、とある上級国民が怪しげな趣味に興じるための別邸として用いられていたようなのだが……持ち主は、十年以上前に亡くなっている。
相続する者はなく、かといって取り壊すことも出来ず、手入れする者も当然いない。完全に放置された状態であり、中はボロボロで異臭が漂っている。中は、虫や小動物の
その空き家に、三人の男が入り込んでいた。彼らは中に入らず、平屋の前に突っ立っている。
庭もまた荒れ放題であり、時おりカソコソ音が聞こえる。おそらく、空き家に住みついている虫の動く音だろう。
地面はでこぼこで、雑草は彼らの膝ほどの高さまで伸びている。そのため、歩く時には注意せねばならない状態だ。そんな足場の悪い場所で、彼らはスマホをいじっていた。
「遅えなあ。あの野郎、何をやってんだよ」
革のジャンパーを着た
「もしかして、バックレる気かな?」
不安そうに尋ねたのは
「いや、それはないだろ。奴は、あのバカ娘を溺愛してるからな。娘のためなら、いくらでも出すぜ」
リーダー格である
「とにかくよ、今回の件で奴とは縁切りだ。だからよう、キッチリもらうものをもらわねえとな」
村山は、低い声で呟いた。まるで、自分に言い聞かせているかのようだ。
そう、これから会う相手からは、百万単位の金をたびたび受け取ってきた。金のやり取りは、これで四度目になる。
今回は三千万という額を提示し、向こうも了承した。ただし、それだけの大金を人目につく場所で受け渡したくない、とも言っていた。さらに、この空き家で会うことを提案してきたのだ。
ヤクザや半グレなどは、大きな取り引きの際には高級ホテルの一室などを用いる。だが、彼らはそこまでの大物ではない。そんなことで言い合うのも面倒だったため、村山たちはその提案を呑んだ。
「おい、待ち合わせの時間は何時だっけ?」
黒田が再び聞いてきた。イライラした口調である。薬が切れてきたのだろうか。
もっとも、イライラする気持ちはわからなくもない。今日は、二月十四日である。いわゆるバレンタインデイではあるが、そんな爽やか系イベントは彼らには関係ない。
問題なのは、今日の気温が低いということだった。日射しの出ている時間帯ではあるが、それでも寒い。こんな時期に外で待たされるのは、気分のいいものではない。
「だから、午後三時だよ。あと五分だから、落ち着いて待ってろ」
村山が答えたが、黒田のイライラは収まらない。今度は、小島を睨みつける。
「ざけんじゃねえよ。おい小島、電話かけてさっさと来いって言ってやれや」
「そ、そんな……俺に言われても……」
そんなことを言いながら、後ずさる小島。
村山は、思わず溜息を吐く。黒田という男は、いつもこうだ。凶暴な性格で、かっとなったら警察官でもブン殴る。薬の影響もあるのだろうが、基本的にどうしようもないバカであるのほ間違いない。
この件が片付いたら、黒田とは縁を切った方がいいかも知れない。薬中とツルむのは、色々な意味でリスクが多い。百害あって一利あるかないかである。
三人は、互いのやり取りに気をとられていた。そのため、自分たちに忍び寄って来る小さな影には、全く気づいていなかった。
いや、会話をしていなかったとしても、気づくことは出来なかったかも知れない。小さな影は気配を完全に消し去っており、音も立てずに接近していったからだ。
突然の出来事だった。
後ずさっていた小島の表情が、いきなり歪む。一瞬の間を置き、膝から崩れ落ちた。そのまま、バタリと前のめりに倒れる。
村山と黒田はというと、キョトンとした表情で彼の動きを見ているだけだった。小島の身に何が起きたのか、全くわかっていないのだ。
次に崩れ落ちたのは、黒田だった。急に表情が歪んだ。直後、小島と同じく膝から崩れ落ちる。土下座をするような形で、前のめりに倒れた。
そこで、村山はようやく気づいた。何者かが、自分たちの背後にいる。そいつが、ふたりを殺したのだ──
「誰だ!」
喚きながら振り返った。だが、いたのは予想もしていなかった人物だった。
身長は小さく、百六十センチもないだろう。村山よりも、さらに背が低い。
ほっそりとした体つきで、上下に迷彩色のジャージらしきものを着ている。年齢は、十代の半ばであろうか。少なくとも、成人していないのは確かだ。
そんな少年の瞳には、不気味な光が宿っていた。口元には、薄笑いを浮かべている。癖のある前髪は細かくうねっており、幽霊のような不気味さを醸し出している。両腕はダランと下げられており、凶器を持っているような雰囲気はない。だが、この少年がふたりを殺したのは間違いなかった。
村山は思わず後ずさる。目の前にいる者は、あまりにも異様だ。人というより、妖怪に近い空気を漂わせている──
「な、何だてめえ!」
反射的に怒鳴っていた。怒りよりも、むしろ恐怖に駆られていたのだ。
少年はというと、臆せず近づいて来た。村山は、思わず顔をしかめる。拳を握り、思い切り殴りつけた。
しかし、少年は平静な表情で村山のパンチを躱した。歩きながら、顔の位置をずらし上体を僅かに逸らせただけだ。
村山の放ったパンチは、あっさりと空を切った。だが、少年はまだ動き続けている。瞬時に上体の位置を戻すと、同時に彼の右腕を両手で掴む。思い切り右方向へと引っ張った。
いきなり腕を引っ張られ、村山はバランスを崩した。少年に、背中を向ける形となる。
少年は、すっと右手をあげた。いつの間にか、鋭い針のようなものが握られている。長さは、二十センチほどはあるだろうか。針といっても、縫い針のような細いものではなく、アイスピックほどの太さだ。
針を逆手に持った少年は、迷うことなく村山に突き刺す。後頭部と首の境目、延髄と呼ばれる場所であり人体の急所だ。そこを、少年は寸分の狂いなく突き刺した。
急所を貫かれ、村山は瞬時に絶命した──
針を引き抜くと、少年はズボンのポケットからスマホを取り出した。針をしまい込み、何事もなかったかのような表情でスマホを操作する。
やがて、メッセージが送られてきた。少年はスマホに表示された文字を確認し、草むらにしゃがみ込む。
二分ほどすると、そこにトラックが到着する。中から、ふたりの男が降りてきた。緑色の作業服を着て作業帽を被り、口にはマスクを付けている。遠目から見れば、作業員にしか見えないだろう。
少年は立ち上がり、ペコリと頭を下げた。
「シゲ、これで全部だな?」
片方の男が聞いてきた。シゲこと
「はい。お願いします」
「任せろ。綺麗に始末してやんよ」
答えると、ふたりは死体と化した者たちをひとつずつ運んでいき、次々と荷台へ放り込んていく。
幌をしっかりかけ、トラックは発進する。ゆっくりとしたスピードで、死体を積んだままその場を離れていった。
灰野はというと、音もなくその場を離れた。何事もなかったかのように、のんびりとした足取りで去っていく。
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