第2話 気づかないうちにあたしはどうでもいいウソばかりついている

 1-2の教室にもどると、窓際の席で由美子が本に顔をうずめているのが目に入った。冬の柔らかな陽の光に色素のうすい髪を黄金色に光らせて、まるで天使みたいだ。

 手にしている黄色く日焼けした大判の本は、背表紙のラミネートフィルムがボロボロにはがれかけていて、ずいぶん古そうに見える。図書室の本みたいだけど、いつから置いてあるものなんだろう。

 顔を近づけ、題字を読み上げた。


「なになに? 『大切な人へ贈る、手作りチョコレートの本』だって。なにこのはずかしいタイトル。古い本のセンス、ヤバいね」


 チョコレートを作るのは、贈るため。そうじゃないとおかしいと言われているような気がして、苦い気持ちが胸に広がる。

 由美子は、表紙をかくすようにして本をたたみ、机に置いた。


「わざわざ大声で言わないで。かなえちゃんのいじわる」


 耳の先まで真っ赤なのは、陽に当たりすぎたせいじゃないだろう。


「ごめん。からかうつもりはなかったんだけど……。それにしたって古風すぎ。今どきレシピ本なんか借りなくても、スマホで調べれば一発なのに。今年もやるの? チョコ作り」

「かなえちゃんもするでしょ?」


 由美子は赤いふちのメガネの奥で眩しそうに目を細め、正面に立つあたしの顔を見上げた。


「まぁ、付き合ってあげてもいいけど。で、今年こそは渡すのよね? まさかいまさら、本命はお父さんなんて言わないよね」

「からかうつもりないなんて、ウソばっかり」


 由美子は、頬をふくらませ、それからため息をつく。


「でも、作るとしても、二人だけになるのかなぁ」

「凛花も杏も連絡つかないもんね」



 あたしたち——あたし、高橋かなえと小田由美子、それから遠山凛花と吉永杏の四人はバレンタインのシーズンには毎年チョコ作りを楽しんできた。

 幼稚園の時、由美子のお母さんにならったのがきっかけだった。それから当たり前のように集まるようになって、高学年では子どもだけでキッチンを使わせてもらえるようにもなっていた。

 バレンタインのチョコ作りはあたしたちの恒例行事だ。

 けれどそれも風前の灯火だ。杏たちのいない今、あたしがやらないと完全に消滅してしまう。


 杏たちと会わなくなったのは、中学で校区が別れたことがきっかけだった。

 もともと学年が上がるにつれ、二人とは遊ぶグループが分かれてきてはいた。仲は良かったけど、ふだんのからみはそこまで多くはなかった。

 なのにこれまで続いてきたのは、単に日々同じ場所に通っていたからだったんじゃないかと思う。


 致命的だったのは、卒業までに連絡先を交換できなかったこと。あたしも由美子もスマホを持たせてもらったのは中学に入ってからだったからだ。

 今の学校にも二人の連絡先を知っている子はきっといる。聞き出して、バレンタインどうするってラインすればいいだけの話だ。

 だけどそれだけのことがひどくおっくうだった。


 当たり前だったものがわざわざになるってことは、意志を確認しなくちゃいけないってこと。

 声をかけたらしばり付けてしまうことにならない?

 向こうからも連絡がないということは、望まれてないってことじゃないの?

 色々思いめぐらせているうちに考えることが嫌になってしまう。


 もやもやしたままでいようとするあたしは結局、二人の気持ちをはっきり知るのが怖いんだと思う。



「今年はあたしたちだけで作ればいいんじゃない? 杏たちにからかわれるの、ちょっと……っていうか、かなりうざかったし」

「ウソ。さびしいくせに。さっきのからかい口調、凛花ちゃんそっくりだったよ」


 誰かにあげなきゃダメって迫られ嫌だったくせに、今度は由美子をからかう役割を演じてしまっている不思議。

 まるで二人の不在を埋めるみたいだ。


「そう? そんなことより、今年はなにを作ろっか」


 あからさまに話をそらすと、由美子はレシピ本を開いてみせた。考えていたものがあったらしい。


「ガトーショコラなんてどう?」


 本には白い粉のかかったチョコレートケーキがのっている。


「すごっ。ケーキじゃん。あたしたちだけじゃ難しいんじゃないの。オーブンとか使えないでしょ。トリュフは? あれならだいたいはうまくいくし」

「えっ、うまくいってなかった気がするけど」


 指摘されて思わず苦笑する。そうだ、大失敗だった。


「……だね。でも、あれは凛花が悪いんだよ。生クリームを量も測らずに全部入れちゃったんだもん。ふつうはあんな失敗しないから」

「あの時、最終的にフォンデュにして食べちゃったのよね」


 それからフォンデュも恒例になって……。楽しかったな。あたしたちにとってバレンタインは、凛花や杏と過ごした思い出と切り離せない。

 水を向けられるとめんどくさいけど、二人の恋バナを聞くのはそれなりに楽しかった。恋とは無縁なあたしと奥手の由美子じゃ、そんな話も続かない。


「由美ちゃん、今年はあげなよ。大葉南朋に。いつまでも引っこんでちゃもったいないよ。あたしなんかとちがってかわいいんだから」


 応援のつもりで、由美子の好きな相手の名を口にした。からかいじゃないと証明するために、聞こえる距離に人がいないのも確認したし、かなり小声にしたつもり。

 彼の名を聞いた由美子の目のまわりがほんのり赤くそまった。すごくかわいい。こんなステキな女の子から告白されたら、意識しないはずない。

 クラスにも由美子を好きな男子はけっこういるんじゃないかな。あたしが由美子みたいに小さくて可憐だったら、迷うことなく告白するのに。

 なのに、由美子は静かに首をふり、真剣な目をしてお世辞を言った。


「あたしなんかって、どうして? かなえちゃんはかわいいよ」

「いや、あたしのことはどうでもいいのよ」

「どうでもいいなんて言わないで。かなえちゃんは渡さないの?」


 あたしなんかなんて、ひがんだことを言うから、気を使わせてしまった。でも百人いたら百人が当然、告白されるならあたしより由美子を選ぶ。それが現実だ。

 あたしは自分をわかってる。だから、だれにも何も差し出したりしない。あいまいに笑って、由美子の視線から目をそらす。


「チョコを渡したいやつなんていない。男子なんて、バカばっかなんだもん」


 あたしはだれも好きになんかならない。バレンタインのムードはそんなあたしに居場所を与えてくれない。だから憂鬱。バレンタインは。


 由美子が何か言おうと口を開きかけた瞬間、始業のチャイムが鳴った。同時に地理の先生が教室に入ってきて、あわてて席にもどる。

 そんなに時間ぴったりに来なくてもいいのに。

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