第37話 親子の送別
見張りの目を避けて洞窟へ向かう二人は、さながら駆け落ちする恋人たちのようである。
獣化した志偉の背中に乗って断崖絶壁を駆け降りると、宇翔が言っていた洞窟はすぐに見つかった。
月明かりさえない夜だからか、洞窟の入口は淑恵たちを飲み込もうとしているように見える。
怖くなってブルリと震えた淑恵を、志偉は気遣うように見つめた。
「淑恵は待っていてもいいんだよ?」
「一人で待っているほうが怖いと思うの」
「それもそうか」
人化した志偉が、用意してきたたいまつに火をつける。
周囲の様子が分かるようになって、淑恵はホッと息を吐いた。
なにかあった時すぐに対処できるように、手はつなげない。
すぐに助け合える距離を保ちながら、二人は洞窟内へ足を踏み入れた。
ひんやりとした空気。
時折聞こえる、雨垂れのような音。
緩やかな斜面を、下へ下へと降りていく。
「あ」
唐突に、志偉が声を上げた。
歩く速度を上げた彼は、唐突にたいまつを前へかざす。
洞窟の突き当たりにあったのは、ひらけた場所だった。
天井にはポッカリと穴が空いていて、はるか遠くに星のまたたきが見える。
月が出る晩には、神秘的な光景が見られそう。
さらに進んだその先に、布をかぶせられたなにかが安置されていた。
(もしかして、
同じことを思ったのだろう。
志偉の足が速くなる。
淑恵が追いつくよりも先に、志偉の手が布へ伸びた。
バサリと剥がされた、厚手の布。
その下にあったのは、木彫りの像だった。
「この像は……」
「おそらく、母上を模したのだろう」
布を放った志偉が、像に近づく。
けれどその目は顔を確認するというより、像の首元にあるあたたかそうな毛皮に注がれていた。
金茶色をした動物の毛皮。
艶々とした毛並みは、獣化した志偉とそっくりだ。
「うそ。まさか、そんな……」
口に出すのもおぞましい可能性が浮かび上がって、吐き気が喉を迫り上がってくる。
「好きだからって理由で、ここまでしていいわけがない」
苦しくて苦しくて、涙が出そうだった。
当事者ではない淑恵がそうなのだから、志偉はもっと苦しいはず。
(首に巻かれた毛皮は、雅玲様から取ったものなんだ……)
とっさに口を押さえる淑恵。
志偉は今にも泣きそうな顔で振り返った。
「母上は、狐と虎の獣人の間に生まれたまだらものだった」
「まだら、もの?」
その単語を、淑恵は初めて聞いた。
察するに、混血ということだろうか。
(それにしては、志偉様の声が暗いけれど)
「まだらものは、獣人をたぶらかす邪悪な存在。だから、こうなる可能性は十分あった」
雅玲は
だからこれは仕方がないことなのだと、志偉は言いたいのだろうか。
(仕方がないなんて、そんなことない!)
どんな理由があれ、死者を
淑恵は猛烈に腹が立った。
大好きな人が素直に悲しむこともできない。
そんなの、許せるはずもない。
「でも、分かっていたからって平気なわけないでしょ」
「淑恵……」
「私を心配させまいとしているのだろうけど、逆効果よ。そんな泣きそうな顔で言われても、安心なんてできない」
駆け寄った淑恵は、志偉をぎゅっと抱きしめた。
淑恵は初めて、自分の体が小さいことを悔しく思った。
(龍族の女性たちのように大きければ、志偉のことを包み込んであげられたのに)
たいまつのあかりが燃え尽きて、辺りが暗闇に包まれる頃。
ぽたりと肩に雫が落ちてきた。
それが志偉の涙だと察した淑恵は、腕を伸ばして彼の背中を撫でる。
「悪い想像はたくさんしたけれど……。それでも苦しいよ、淑恵」
甘えさせるばかりで甘えられなかった彼の、助けを求める声。
背に回された手が力の限りすがってくるのを、淑恵はうれしいと思ってしまった。
小刻みに揺れる彼の肩を抱きしめながら、淑恵は思う。
(こんなことをされて、苦しくないわけがない)
彼の苦しみを正確に汲み取ることはむずかしい。
淑恵にできることは、彼に寄り添うことだけだった。
***
夜明けとともに、淑恵と志偉は洞窟を去った。
洞窟の出口から、もうもうと煙が上がる。
もう二度と宸睿の好きにはさせないと、志偉が洞窟に火を放ったのだ。
「これでもう、宸睿は母上に手を出せない」
志偉のまぶたは赤腫れぼったくなっていたが、どこかすっきりとした様子だった。
(雅玲様、志偉様のことは心配いりません。私が彼を幸せにしてみせます)
立ち上る煙を見上げ、淑恵はそっと祈った。
異常な執着を向けていた雅玲を失って、宸睿はどうなるのだろう。
いっそ壊れてしまえばいいと思う反面、志偉にしたことへの報いを受けさせたい気持ちも捨てきれない。
(……もう
すべてに別れを告げるつもりで、洞窟に向かって頭を下げる。
淑恵が頭を上げたタイミングで、志偉は言った。
「行こう、淑恵」
獣化した志偉に淑恵が飛び乗ると、彼は洞窟に向かってひと吠えした。
そして洞窟に背を向け、駆け出す。
志偉はそれきり、一度も振り返ることはなかった。
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