第33話 有能な侍女

 ろうへの侵入を果たした淑恵シュフェンたちは、入ってすぐに捕虜の女性たちを見つけた。

 子晴ズーチンが報告した通り、猫の一族や爬虫類はちゅうるい系の一族、それ以外にも鮮やかな翼を持つ鳥系の一族もいる。

 一緒について来ていた一隊が、淑恵たちから離れて救出に取りかかった。


「お嬢様、参りましょう」


「うん」


 淑恵がすべきことは、彼女たちの救出ではない。

 子晴に促され、宇翔ユーシャンに言われた通りに淑恵は志偉ヂーウェイのもとへ急ぐ。

 心の中で「彼女たちが無事に逃げ出せますように」と祈ることくらいは、許されるだろう。


 ところどころこけが生えた滑りやすい廊下を、子晴は危なげなく走り抜けていく。

 その横顔にはなんの感情も見当たらないが、捕虜が囚われる牢を通り過ぎた時、彼女が舌打ちをしたのを淑恵は見逃さなかった。


「チッ。また増えている……っ」


 子晴が偵察してから一日くらいしか経過していないのに、捕虜の数がもう増えているらしい。

 古今東西、うら若き乙女をさらう理由は二つしかない。

 一つは生け贄いけにえ、もう一つは──口に出すのもおぞましい。


 奥へ進むごとにあかりは減り、暗くなっていく。

 時折滑りそうになる足に苛立ちを覚えながら、淑恵は懸命に足を動かし続けた。


 しばらく行くと、品希ピンシーが囚われている牢へ到着した。

 一緒についてきた別の隊が残り、彼の救出に取りかかる。

 一目会いたい気持ちを抑え、淑恵は先を急いだ。


 子晴の耳は、後方に向けられている。

 やがて淑恵は、人が動く気配を背後に感じた。

 子晴の耳が前を向いている。

 おそらく、品希は無事に助け出されたのだろう。


「どんどん暗くなっていくわね」


「お嬢様、手をつなぎましょう」


「ありがとう、子晴」


 差し出された手を、ありがたく取った。

 子晴と手をつなぐのは、久しぶりである。


 この世界へ来たばかりの頃、淑恵は侍女たちに構われることが嫌になってしまって、逃げ出した。

 そんな彼女を連れ戻したのが子晴だ。

 以降、淑恵を見つけるのは子晴の仕事になった。

 離宮に移ってからは逃げる必要もなくなったけれど、淑恵の中ではあたたかな思い出として残っている。


「子晴と手をつなぐなんて、久しぶりね」


「ええ、そうですね。お嬢様の体にはよく触れていましたけれど、手をつなぐのは随分と久しぶりです」


 感触を確かめるように握ったら、子晴もギュッと握り返してくれた。

 不安だった気持ちがすっと消えて、少し冷静さが戻ってくる。


 知らないうちにまた緊張していたようだ。

 冷たくなった手に、子晴の体温が心地良い。


「お嬢様は、大きくなられましたね。昔は、あんなにお小さかったのに」


「そんなに小さくなかったと思うけれど?」


「大きくなられましたよ。特に、ここ数カ月……志偉様と過ごすようになられてからは、随分と成長されました。以前は気高くお美しいお姫様のようでしたけれど、ここ最近は年頃の娘らしく怒ったり照れたり……。かわいらしくなられました」


「感情的なのが、かわいいの……?」


「はい。志偉様もお嬢様が愛おしくて仕方がないようです」


「そう、なんだ?」


「私は、お嬢様と志偉様が仲睦まじくしているところを見るのが好きです。これからも、見守っていきたい」


 暗闇の中で、子晴の表情はうかがい知れない。

 けれどその声はとても穏やかで嬉しそうで、心からの言葉なのだと分かる。


「ですから……これからも、見せつけてください」


「子晴……」


 しんみりとした空気が、淑恵と子晴の間に漂う。

 婚約破棄を撤回させよう。

 改めて決意し足を進める淑恵に、子晴はふふっと笑った。


「お嬢様と志偉様のお子様は、きっとかわいらしいでしょうね。私の夢は、お二人のお子様の乳母になることなのです」


「子晴……。それはちょっと、気が早いんじゃない?」


 たくましく妄想しているらしい子晴に、淑恵は若干引き気味だ。

 見えないが、その顔には「雰囲気台無し」と書いてあっただろう。


(子晴の顔が、見えなくて良かった。そうじゃなかったら、蹴りを入れていたかもしれないもの)


「なにをおっしゃいますか! お嬢様も志偉様も適齢期ってやつですよ⁉」


「いや……。その前に私、志偉様から婚約破棄されているからさ」


「お嬢様が志偉様の伝言に納得されず、こうなることは予想しておりました。それに、あんな顔をしてお嬢様をかわいがっている志偉様が、面と向かってお嬢様に婚約破棄を告げられるはずがありません。ちょっとかわいこぶっておねがぁいとか言ったら、分かったってすぐにでも撤回しますよ」


「うそだぁ……」


「うそなものですか。私、見ましたよ。お嬢様が宇翔様におねがぁいって言った時、羨ましそうにしていた志偉様のこと!」


「え、本当に?」


 子晴に言われて、淑恵は少しだけ勇気が湧いてきた。


 婚約破棄されてもいい。

 だけど、告白だけはちゃんとさせてほしい。


 全ての原動力はそこからきている。

 けれど、告白するならやっぱり振り向いてもらいたいし、婚約破棄も撤回してほしい。

 脈があると太鼓判を押してもらって、嬉しくないわけがなかった。


 それから随分と歩いていくと、辺りは少しずつ暗闇から薄暗闇へ変化していった。

 淑恵の目が慣れたのか、それともどこかに光源でもあるのか。


「お嬢様」


 唐突に、子晴の足が止まる。

 つないでいた手を離されて、不安な気持ちがひたひたと忍び寄ってきた。


「この先に、志偉様がいます。子晴はここで見張っていますので、ここから先はお一人で頑張ってください」


「うん」


「鍵はこちらをお使いください」


 差し出された鍵を、淑恵はまじまじと見つめた。

 


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