夏に散る桜
「おまじない?」
「そう! この桜の謎を支配するルールはおまじないだったのよ!」
「それはどういうおまじないなの?」
「おそらく、恋愛成就のおまじないね。そのくらいの縛りでないとこの桜の謎は解き明かせない。」
「今のところ全く状況がつかめていないから、1からの解説をお願いできるかしら?」
「分かったわ。1から解説しましょう。
まず、この桜の花びらが西洋美術大全の本棚の文庫本に挟まれていたことから考えてみる。
これはさっき教授が言った通り、図書館から桜の花びらを持ち出してはならないというルールが推測できる。それに加えて、西洋美術大全とSF小説と言う取り合わせからも読み取れることがある。
それは、桜の花びらを誰にも見つかりたくないという心理よ。
まず、普通に考えて、西洋美術大全なんてものは、重くて、読みにくくて、誰も手に取りそうの無い本よね。まあ、私は読もうとしていたけれど、本の上に積もった埃の量から、誰にも触れられていないことは明らかだった。
それに加えて、西洋美術大全のシリーズの隙間に文庫本が入れられていた。仮に西洋美術に興味のある人間がいたとして、その人間が西洋美術大全の本棚に入っていた文庫本に興味を示すかしら?
おそらく気にしないわね。
目当ての本だけ取り出して、文庫本に気も留めないわ。それに、大きな西洋美術大全に隠れて、文庫本は目にも留まらないかもしれない。
結果的に、私達は偶然的に文庫本を見つけて、その間に挟まれていた桜の花びらに気が付いたから、興味を持ったけど、普通の人間は美術の本棚に入っていたSF小説に興味を持たないわね。
だから、この桜の花びらないし栞は誰にも渡したくないという意図が見られるということになる。しかし、本の上の埃から自分が隠していた栞を長い間取りに来た気配は無い。
では、ここから推測されるルールは何か?
それはおそらくこの桜の栞を桜の咲く時期にこの図書館で見つけることができれば、恋が成就するというおまじない。
このようなおまじないがあったと仮定すれば、この桜の謎をきれいに説明することが可能よ。
まず、このおまじないを知った人間が夏に桜の栞を見つける。しかし、おまじないは、桜の咲く春にしか効力を持たない。なので、桜の栞を見つけた人は来年の春まで、この栞を隠しておきたいと思った。
もちろん、この図書館から出すことはご法度なので、この図書館内の本棚に隠さなければならない。考えた結果、誰も見ることのなさそうな西洋美術大全の本棚を見つける。
この本棚に栞を隠そうと思ったが、春まで誰にも回収されないことがあるだろうかと思った。
それに加えて、桜の栞から桜の花びらが剥がれ落ちそうになっていた。
これは、私達が見つけた時に栞と桜の花びらが分かれていたことから推測できる。私達はほとんど触っていないのに、栞と桜の花びらが分かれていた。なら、この文庫本に桜の栞が入れられる前から、栞と花びらが剥がれていた、もしくは、剥がれかけていたと推測されるわね。
おそらく、この桜の栞のおまじないは長年語り継がれてきたものだと思われるわ。なぜなら、栞には古本の匂いが染みついていたことからね。かなり長い間この図書館内に存在していたんでしょう。
数々の恋する乙女たちが、図書館内でこの栞を隠してきただろうから、誰も読まないであろう古本にも長い間挟まれ続けたから、匂いが栞に写ったのよ。
それで、仮定の話に戻るけど、剥がれかかっている栞の桜は何となくおまじないとして縁起が悪いから、何とか栞の桜をくっつけたいと思った。
そして、桜の栞を見つけた人は、誰にも見つからないように桜の栞を隠すことと栞と桜の花びらをくっつけることの2つを解決する方法を思いついた。
それが、西洋美術大全の本棚にSF小説の文庫本を挟むことだった。
美術とSFの取り合わせによって、誰にも桜の栞を見つけられないことはさっき説明したわね。
それに加えて、元々詰まっていた西洋美術大全の棚に、文庫本を入れることで、本棚をギチギチに詰めたの。そうすれば、本棚の詰まる圧力で栞と桜の花びらを再度くっつけることができるという希望も込められていたんだろうね。
そして、夏に隠された桜の花びらと栞は隠した人の思惑通り、今に至るまで誰にも見つかることは無かった。
このようにして、夏の新書に桜の花びらが挟まるという不可解な状況が出来上がった。
……これでどうでしょう? 天神教授?」
梨子が天神教授の方を見ると、教授は両手で大きな拍手を叩いた。その拍手には静かな図書館に響き渡り、皆の視線が再度集まる。
「素晴らしい! その通りだ!
この桜の謎を支配する隠されたルールの1番合理的な解釈はそうなる。そのようなおまじないによって、夏の新書に桜の花びらが紛れ込んだのだ。」
「……じゃあ、この桜の花びらはあの本棚に戻した方が良いのでしょうか?」
「そうだろうね。
……ただ、その栞を隠した人がそのおまじないを必要としているか分からないだろうけどね。」
「もう隠した人が忘れているってことですか?」
「いいや、もう恋破れている可能性だよ。」
「恋破れている可能性? 恋がもう成就した可能性じゃないんですか?」
「この栞は桜だよ?
春に数日咲いて、すぐに散ってしまうような儚い花だ。そんな花の栞に恋の行方を任せるなんて、滑稽だとは思わないかい?」
「……そうでしょうか?
そんな儚い桜ですけど、一瞬でも燃え上がるように咲き誇ります。そんな桜の花びらを押し花にして、永遠に閉じ込めたこの栞は恋のおまじないとしてふさわしいと私は思います。
きっと、この栞を作った人もそんなことを思っていたと思いますよ。」
天神教授は梨子の発言に驚いていた。そして、しばらく何も言わずに梨子の顔を見つめた後、笑みをこぼした。
「そうだね。その栞を作った人は、そういう思いを抱いていたかもしれないね。
……それじゃあ、私は立ち去ろう。どうやら、騒ぎすぎたようだ。」
天神教授はそう言って、その場から立ち去った。
「……とりあえず、この栞は片付けましょうか。」
梨子が優美にそう問いかけると、優美は何か考えているようだった。
「何かまだ腑に落ちないことがある?」
「……ええ、まあ。」
「何? すべて解決したように見えるけど……。」
「確かに、桜の栞が文庫本に挟まっていた謎は分かったわ。でも、天神教授がその謎を解き明かした理由が分からないの。」
「どういうこと?」
「よく考えてみて。天神教授がした梨子の推理の否定の1つ目と2つ目の推理は、梨子の推理を聞いていただけの天神教授ができるものじゃないの。
だって、1つ目の否定は、栞に古本の匂いが染みついているから、栞はずっと前に作られたものだというものだった。なら、栞の匂いを嗅いでいない状態の教授はその推理は不可能になるはずよ。
そして、2つ目の否定は、桜の花びらが綺麗に保存されていて、欠けがないことから、桜の花びらが途中から押し花を目的に作られたわけではないことの否定だった。
なのに、天神教授は桜の花びらが死角になっている梨子の後ろから現れた。桜の花びらを確認することもなく、教授は梨子への否定を始めたの。
天神教授は桜の花びらを梨子から渡されてから、推理を確信したわよね。でも、その推理の前に、今からする否定は2つであることを言っている。まるで、前から桜の花びらが押し花を前提に作られていることを知っていたかのようよ。
このことに加えて、天神教授はやけに押し花に対する知識が強かった。実際に押し花を作ったことがあるかのような発言もあった。押し花は鮮度が命であることだったり、押し花には本の上に4,5kgの重りを置くことが普通であることだったりとやけに押し花に詳しかったわよね。」
「つまり、何が言いたいの?」
「天神教授がこの桜の栞を作ったんじゃないの?」
梨子は優美の推理に驚かされた。
確かに、その推理には説得力があった。教授は後付け的に推理を組み立てていった。3つ目の否定以外、証拠の無い状態で梨子への否定を始めた。
もし、梨子の推理を聞いただけで否定を思いついたならば、証拠が確実な3つ目の否定から始めるはずだ。でも、証拠の無い否定から始めたということは、教授は桜の栞を知っていた。
それは、桜の栞を作った張本人だから?
「でも、その栞を作った張本人が桜の栞のことを滑稽に思っていたってことは、教授自身も……。」
その時、図書館に突如風が吹く。その風は机に置かれた桜の花びらを持ち上げる。そのまま、桜の花びらは風に乗って、梨子の元から離れていく。
桜はようやく散った。
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