去年の桜を覚えていますか?

「それじゃあ、結論から。


 この桜の花びらは押し花だったの。」

「押し花?」

「知っているでしょう? 


 花を本の間に挟んで、花を綺麗なまま保存する方法よ。」

「知っているけど、この花びらが押し花だったということ?」

「そうよ。この栞の装飾として貼り付けられていた押し花だったのよ。


 だって、よくこの栞を見てみてよ。下には円を描くように、桜の花びらと同じ大きさ凹みが5つあるわ。


 これはつまり、皆が想像するような桜の花を表す模様になっているってことよ。」


 梨子は優美に栞を見せた。優美は栞の凹みを触って、確認をした。


「確かに、そんな形になっているわね。それに、栞のリボンも薄ピンク色だから、桜の栞であるそうね。」

「ここまで分かれば、後の推理は簡単。だから、1からこの桜の花びらの真相を話していくわね。


 まず、この事件の犯人は去年の春に桜の花びらを別の本に挟んでいたの。そして、夏にその桜の花びらを挟んだ本を読んでいた時、桜の花びらを見つける。その時、犯人はその桜の花びらを押し花にして、栞にすることを思いついた。


 で、花びらを押し花にするとき、花びらの水分を完全に抜くために、本などで押さえ込む必要がある。


 だから、犯人は西洋美術大全の棚に目を付けたの。

 

 西洋美術大全の棚は本がぎっしりと詰まっているから、横に詰まった圧力で花びらを脱水して、押し花を作ろうとしたの。


 でも、ただ西洋美術大全の1冊に押し花の栞を挟むだけでは不十分だと考えたの。なぜなら、さっきも言ったけれども、図書館の本は取り出せない程ギチギチに詰めることは無い。


 だから、押し花を作るような圧力をこの西洋美術大全の棚から作ることは不十分だと考えたの。


 なので、この文庫本を入れたの。


 犯人は本が取り出せなくなるくらいに本をギチギチに詰めたかった。だから、西洋美術大全の本棚にさらに本を入れることによって、本棚の詰まり具合を調節したの。


 近くに本棚を埋める手ごろな本が無かったから、自分の読んでいた文庫本を取り出して、桜の押し花と栞を挟んだ後、西洋美術大全の本棚に入れたの。


 こうして、去年の春に散った桜の花びらが挟まれた夏の新書と言う不可解な状況が出来上がった。


 しかし、犯人は自分が作った栞の回収を忘れてしまった。そして、西洋美術大全の本棚は誰にも触れられることが無く、秋、冬と過ぎて、今に至った。


 という具合でしょうね。」


 梨子は自信満々に推理を締めくくった。


「ちょっと待った~!!!」


 梨子の背後で、図書館とは思えない声量が響き渡る。梨子は声が聞こえる後ろを振り返った。


 すると、梨子の後ろには天神教授がいた。


「その推理は全ての情報が完備されていないがゆえに、真実と全く違う結論となっている!」


 天神教授は相変わらず大きな声で、私を責め立てた。


「情報が完備されていない?」

「そうだ! 


 君はこの事件を支配する私的情報を知らないがゆえに、最適解を導き出せていない。まるで、ナッシュ均衡とパレート最適が合致しないようなもどかしさだ。」

「質問の解答で、知らない単語を増やさないでくれますか?」

「……一応、ゲーム理論の講義で全て教えているはずなんだがね。」


 梨子は睨む教授から目を外す。


「まあ、いい。とりあえず、君の推理が間違っていることを最も簡単な方法で否定しよう。」


 教授はそう言って、梨子の手元にあった栞を手に取った。そして、その栞を鼻に近づけ、栞を内輪の様に仰いだ。そして、教授は栞から出た空気を鼻から大きく息を吸った。


「何やっているんですか?」

「匂いを嗅いでいるんだよ。」

「だから、なんで匂いを嗅いでいるのかを聞いているんです。」

「では、この栞の匂いを嗅いでみると良い。この栞の匂いが君の推理を否定する。」


 教授はそう言って、栞を梨子に手渡した。梨子は一瞬ためらったが、栞を鼻に近づけて、匂いを嗅いだ。鼻腔に入って来る匂いに梨子ははっとする。


「古本の匂い?」

「そう! ほんのり甘いような古いインクの独特な匂い。それは古本の香りだ。」

「なるほど。もし、私の推理が正しければ、この栞から古本の匂いがすることは無い。


 だって、私の推理では去年の夏に作られたうえ、挟まれた本は新書です。だから、この栞には古本の匂いが移るはずがない。」

「その通り!


 そして、補足するなら、ここまで古本の香りが移った栞は少なくとも1年以上、古本に挟まれていないと出来上がらないだろう。」

「……でも、そうなれば、余計にこの事件の真相が分からなくなります。」

「そうかもしれないね。


 でも、今から君にヒントを上げよう。君の推理の否定を今の否定に加えて、2つしよう。そこから、この夏に散る桜の真相を推理してみると良い。」

「分かりました!」

「あのー、梨子と教授? 


 推理するのはいいんですけど、ここが図書館であることは頭に入れて置いてくださいね。」


 梨子が周りを見渡すと、皆の視線がこちらに集まっていた。

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