右頬と色覚
「じゃあ、この”舌切り雀殺人事件”の推理のポイントを述べると、
右頬と色覚ね。」
「なるほど。」
美玖は嫌な笑顔を浮かべる。梨子はそれを不可解に思いながら、話を続けていく。
「まず、右頬の説明から。被害者の死体の状態として、右頬が切り裂かれ、舌が切り取られていた。
ならば、犯人は左利きになる。
犯人は被害者の舌を切ろうと思えば、頬の肉が邪魔になって、舌を根元から切り取ることができなくなる。そうなると、どちらかの頬を切り裂くことで、舌の根元に切込みを入れることができる。
そして、犯人は被害者に馬乗りになって、頬にはさみを入れるとなると、右利きなら、左の頬を切ることになり、左利きなら、右頬を切ることになる。
これは実際の状況を思い浮かべると分かる。
もし、右手に持ったはさみを持っていたなら、犯人から見て右側にある被害者の左頬にはさみが入れやすく、左にはさみを持っていたなら、右頬にはさみを入れやすいと分かる。
だから、右頬に切り裂いた跡が見られたなら、犯人は左利きと言うことになる。
そして、小説内で提示された3人の容疑者の内、剛田は右手でチョークを持っていたし、熊田は腕時計を左手に着けていたので、どちらも右利きだと言うことが分かる。
腕時計を着けるためには、利き手を使わないといけないから、利き手とは反対の手に腕時計が付くのは、推理小説ではありがちなトリックだから、私もすぐに分かった。
しかし、若田の写真だけでは、利き手を判断できなかった。
だから、伴田は若田と会う前までは、容疑者3人の内、2人が右手だから、残りの1人が犯人だ! という消去法的な推理しかできなかった。
しかし、伴田は和泉のズボンにこぼした水を拭く若田の手が左手であることで、若田が左手であることを確信した。水をこぼしたのは、事故みたいなものだったから、咄嗟に出た手が利き手であるはず。
なら、左手で紙ナプキンを取った若田は左利きであるということよ。
これが若田が犯人であると言う根拠の1つ。
まあ、左利きなんて、日本に山ほどいるから、本当は犯人を確定させるには弱い証拠ね。
だけれども、これが推理小説の中で、容疑者が3人と絞られている状況なら、そういう推理の道筋でも許されると思うわ。」
「なるほど、利き手の謎を解かれちゃいましたか。」
美玖は余裕そうな表情を浮かべている。私は推理を続ける。
「そうね。利き手は推理小説の基本だからね。
それじゃあ、2つ目の証拠、若田の偽証についての推理をしましょう。
その推理に必要なのは、若田が色覚異常を持っているということ。
若田が色覚異常を持っているという証拠は、若田が剛田を生物教師だと勘違いしたところだ。
そもそも、剛田が化学教師であることは、最初の伴田の容疑者紹介の際に触れられている。しかし、伴田は若田の前では、剛田のことを生物の教師だと言った。
これは、伴田が若田に対して鎌をかけたんだ。
剛田の写真において、赤いチョークを右手に握っていたという説明があった。つまり、黒板に書かれていた内容は、赤や白などの色が使われていた可能性がある。
そして、色覚異常の中には、赤と緑を見分けられないものがある。
このことを考えると、色覚異常を持っていると、剛田の板書が読み取れない可能性がある。よって、黒板の書かれた化学式が読み取れない。
だから、赤と緑を見分けられない色覚異常を持つ者は、剛田は生物の教師だと言われた場合、生物の教師だと勘違いする。普通の人は、化学の教師だろうと勘違いするのにもかかわらずね。
だから、若田は赤と緑を見分けることのできない色覚異常を持っていたと言える。
それでは、この若田が色覚異常を持っていた事実がどのような意味になっていくか?
それは、若田が5件目の事件の犯行を見ていたという証言が嘘であることにつながる。
なぜなら、舌切り雀殺人事件の5件目は、公園の草むらにおいて行われたからだ。
草むらと表現をするならば、緑が生い茂っている所を想像するだろう。そんな中、女子高生が血みどろで殺されていた時、若田はそれを見つけることができたのだろうか?
おそらく無理だろう。草の緑と血の赤の見分けがつかずに、見逃してしまうはずだ。
そして、もう1つ証拠がある。
剛田と熊田の写真を見た時、剛田の赤いブレスレットで顔を思い出したと言うが、熊田も緑の数珠をしていた。
普通の人なら、赤いブレスレットを見て思い出したという発言は、確かな証言として受け入れられる。
しかし、赤と緑の見分けのつかない若田にとって、赤のブレスレットと緑の数珠と見た所で、見分けがつかず、どちらが犯人か分からない。
ということは、剛田が犯人であるという若田の証言は嘘だと言うことになる。
この嘘の証言の理由として、犯人をかばうための嘘か犯人自身のついた嘘の2つあるが、今回、犯人をかばうような理由を小説内で言及されていないために、消去法で、犯人がついた嘘と言うことになる。
なので、犯人は若田だ。」
梨子はそう結論付けた。
「その推理で大丈夫ですか?」
「……?
そうだけど?」
梨子は美玖の質問の意図が分からないまま、そう答えた。美玖は嬉しそうな顔をしている。
「完璧です。
完璧にミスリードに引っ掛かってます!」
「……!?」
「犯人は若田美鈴じゃないですよ。」
「……?」
「それに、この後、美鈴は殺されます。」
「!!!!」
「あと、犯人は右利きです。」
「!?!?!?」
「あれ~、先輩。分からなかったんですか?」
美玖は梨子を貶めて得意げな顔をしていた。梨子はその顔を見ると、悔しさが湧き上がってくる。
「……ああ、そういうパターンね。
ああ、なるほど。そことそこがそうなって……、ああ、はいはい。
分かった、分かった。つまり、そういうことか。分かったぞ……。」
梨子がそんなことを言って時間を稼いていると、時間がちょうど2時限目が始まる前だった。
「ああ、もうこんな時間だ。
次のゲーム理論の講義に行かないといけない。せっかく、この小説の真相を今から話そうとしていたのになあ~。」
梨子はそのセリフを棒読みすると、荷物を持って、部室を離れようとする。そんな私に、美玖がさっきとは別の原稿を渡す。
「これ、若田美鈴が殺されるパートの原稿です。
まだ、解決編は書いていませんが、どうぞ。」
梨子は美玖から渡された原稿とさっき読んでいた原稿を合わせて持ち、部室を出た。
梨子はこの舌切り雀殺人事件の真相は分かっていなかったが、すぐに真相は分かると踏んでいた。
なぜなら、次の授業は、ゲーム理論だからだ。
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