梨子の否定
「じゃあ、氷のトリックが不可能であることを物理的、状況的、心理的の三つの観点から否定しましょう。」
「そんなにも否定されるの?」
「ごめんね。
でも、これさえ課題に書いておけば、それなりの点数をもらえると思うから、聞いておいて。」
「オーケー、分かったわ。
じゃあ、否定を始めて。」
「じゃあ、まず、物理的に不可能であることを証明しましょう。
不可能である理由の結論から言うと、氷は溶けて、水になるから。」
「それが氷のトリックのいい所じゃないの?」
「そうだね。証拠が消えるという点はいいね。
でも、よく想像してみて、メイベリが朝に氷の凶器を天井に取り付けたする。そしたら、昼まで氷は溶けて、水になり続ける。
そして、溶けた水はどうなる?」
「そうか! 被害者の頭上に滴り落ちる!」
「そう!
水が頭の上に落ちてくれば、普通は不思議に思って、天井を見上げるはずよ。それに、被害者は原稿用紙に小説を執筆中だった。なら、紙の原稿用紙が濡れれば、すぐに被害者は上を見上げるはず。
まさか、朝から昼まで頭の上に水がボタボタしたたり落ちていることを見逃す人間はいないだろうね。
これが物理的な問題。」
「なるほどね。
もうこれで、氷のトリックは否定されたようなものだけど、まだ2つも残っているの?」
「そうね。
まあ、ついでだと思って聞いてちょうだい。もしかしたら、別の推理に結びつくかもしれないしね。」
「そうだね。
じゃあ、状況的な否定をお願いするわ。」
「では、お望み通りに。
では、氷のトリックが状況的に不可能であることを証明しましょう。現場の状況を思い出して欲しいんだけど、被害者のダイイングメッセージは水に濡れて、残されていたよね。」
「そうだね。血が固まっていたから、消えなかっ……、あっ!」
「そう、ダイイングメッセージの血文字は、水で濡れていたのに、血が固まっていた。これはつまり、血文字のダイイングメッセージが残された後、十分に血が固まった後に、水が掛けられた証拠よ。
確かに、十分に血が固まるまで時間がかかるだろうから、殺害と同時に机を濡らす氷のトリックは、状況的に不可能であることが分かるの。」
「なるほどね。」
「じゃあ、仕上げに、氷のトリックが心理的に不可能であることの証明をしましょう。これは、同時にメイベリが犯人でないことの状況的な証拠になるわ。
なぜなら、メイベリがダイイングメッセージを消さなかったんだもの。
よく考えてみて、被害者がダイイングメッセージで、犯人の名前を書いたとするわ。それを見ていた犯人はどうするかしら?」
「消すわね。疑われたくは無いもの。」
「そうね。
でも、犯行現場にはダイイングメッセージが残っていた。メイベリは被害者が発見される2時間前から被害者宅に来ていた。それも、誰の監視もない状態でね。
私が氷のトリックを仕掛けたのなら、すぐに被害者の状態を確認しに行くわ。だって、被害者が本当に死んでいるかも確認したいし、今回みたいに、ダイイングメッセージを残されてしまう可能性もある。
だから、現場の状況を確認し、何か犯人特定に関わる証拠があるなら、その証拠を隠滅させておきたい。
でも、メイベリはそんなこともせずに、自身が犯人であるという直接的なダイイングメッセージを見逃した。これは、メイベリが犯人なら有り得ないことだわ。
だから、同時にメイベリは時限装置的なトリックも使っていないとも言えるわね。
つまり、完璧なアリバイのあったメイベリは心理的に犯人ではない。」
「なるほど、私の推理は穴だらけだったと言う訳ね。」
「残念だけどそうね。
そもそも、メイベリは緊急の会議で、出版社から召集されたのに、氷と凶器を一体化させたものを用意する時間が無いし、昼までに溶けるような氷の大きさを確かめる暇もなかった。
それに、短時間でそのような氷のトリックを思いついたと思えないしね。」
「とどめの4つ目か。時間的にも無理ってことね。」
「そうね。残念ながら……。」
「……でもさ。
今の梨子の推理を聞いて思ったんだけど、被害者は【メイベリが犯人】なんてダイイングメッセージを残したんだろうね?」
「というと?」
「だって、メイベリが犯人じゃないのに、なんでメイベリが犯人なんて書いたのかな?
もしかして、英語だとつづりの似た人間が犯人とか?」
「いや、メイベリ以外の容疑者は、チェルメロとロイドでしょ。
なら、どの言語でも似ることはないよ。被害者は確実にメイベリと書いたはず。もちろん、犯人に偽装される可能性はあるけどね。」
「なるほどね。
被害者がダイイングメッセージを書いたとしても、犯人がダイイングメッセージを偽装したとしても、どのみち、そのダイイングメッセージは、【信頼性のないダイイングメッセージ】ってことね。」
「信頼性のないダイイングメッセージ?
……そう言えば、この課題が出された時の講義でも、教授が似たようなこと言っていたような気がするわね。」
「あら、梨子、覚えてないの? 【信頼性のない脅し】よ。」
「信頼性のない脅し?」
「そう、信頼性のない脅し。
実際はするはずがないのに、他者を脅してしまうゲーム理論の一例よ。」
「何それ?」
「梨子……、
そのままじゃ、ゲーム理論の単位落とすわよ。」
「ごめん、教えて?」
「はあ、まあ、間違った課題を出す前に、間違いを教えてくれたくれたお礼に教えてあげるわ。」
「ありがとう。」
「じゃあ、私が大好物のプリンを食べようとしているとするわね。
そして、梨子がそのプリンを欲しいと言ってきたとする。その時、私はプリンを独り占めするか、二人で仲良く分けるかの選択肢がある。
でも、プリンを独り占めする時は、梨子も抵抗するから、殴り合いの喧嘩になるとするわね。」
「プリンごときで?」
「例え話だからね?
で、私は殴り合いを避けたいから、私は梨子を脅すの。『このまま梨子がプリンを欲しがれば、殴り合いの喧嘩をして、どっちかが倒れるまでのデスマッチするしかないなあ。』っていう感じでね。」
「プリンごときで?」
「プリンごときでよ。
そうなったら、梨子もプリンごときでそんな殴り合いしてられないと思って、プリンを諦める。すると、私は殴り合いをしないまま、プリンを独り占めすることになるの。」
「じゃあ、ちゃんとプリンを独り占めしてるし、普通の脅しじゃない?」
「いや、残念ながら、私はプリンを独り占めすることは出来ない。
結果は二人でプリンを分けることになるの。」
「なんで?」
「だって、考えてみて、私は梨子がプリンを欲しがったら、喧嘩か、分け合うの二択なの。
どう考えても、プリンごときのことなんだから、私と梨子で分け合うに決まっているでしょ。」
「確かにそうね。」
「そうなると、私は本当は殴り合いの喧嘩をするつもりがないのに、梨子を脅して、プリンを独り占めしようとしているの。
だから、この魂胆が梨子にばれてしまえば、梨子は脅しに屈しないで、プリンを欲しがるべきなの。
結局、私と梨子はプリンを分け合うことになるの。」
「なるほど、本当は実行するつもりのないことで脅すから、信頼性のない脅しっていうのね!」
「その通りよ。
まあ、講義の時も天神教授が全く同じ説明していたんだから、その時に聞いておけば良かったんだけどね。」
「……まあ、それはそうね。」
「でも、よく考えてみると、講義に関係のない課題を出す訳がないわよね。
実際、教授がゲーム理論で課題を考えてくださいって言っていたし。ってことは、この信頼性のない脅しがこの小説の謎を解く鍵になるんじゃないかしら?」
私がそのことを聞いた時、頭の中で1つの推理がするりと思い浮かんだ。
「そうか! このダイイングメッセージは、信頼性のある脅しだったのよ!」
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