第3話二人の呼称

 茶化しておこっと、この神殿は侯爵の影響を受けてるみたいだし。王女に黙って出てきてるけど、この分なら問題なさそうね。エスメラルダあたりは予定があるなら言えって迫ってきそうだから近づかないほうがいいわ。


 ところで、何で無言なのよ。え、もしかして本当に私に会いに来たとか? 身体を起こして後ろを振り返ったら、への字口になって目を閉じている人が居たわ。なに瞑想してるのよ。


「……置いてあったものは口に合ったか」


 必死に無関係の話題を振って来たわね、まあいいわ。心の鍛錬が足りていないようね。


「ええ、あのお菓子美味しかったわね、焼生地が入ってるの。今度買いに行くからどこのお店か教えて貰えるかしら」


 凄く良い出来栄えだったのよね、結構お高いんでしょ? 上流階級の間では普通に流行りそう。


「また持って来てやる」


「いいわよそのくらい自分で買いに行くから」


 どうせどこかで一度は街にも出ないといけないし、その時ついでに買いこみましょう! ここの神殿にツケで、侯爵に請求してって言えばどうとでも処理してくれるわよね。どうせ一々請求の細かい内容まで見てないだろうから。


「あれは売り物ではない」


 表情を殺してそんな風に言うのね、売り物じゃないのを手に入れるのがステータスってのもあるわよ。そんな意味は含まれてるような気はしなかったけど。


「え、そうなの? 特注品とか、侯爵の家の料理人が作ったのかしら。あれは絶品だったわ、お礼を言っておいて頂戴」


 かなりの腕前だって思うわ、独立開店してもあれなら買い手がつくはずよ。それこそ婚姻の儀とやらで振る舞えば名前も知られるようになるわよ。


「あれを作ったのは俺だ」


 真面目な顔で他にどうにも解釈できないような一言。数瞬の沈黙と思考停止、作ったのは俺だ。そうか……俺か。俺、オレ? 


「えーーーーーっ!」


 本人目の前にして超驚いたわ。何人も殺してるような顔してるくせに侯爵で、そのうえお菓子作りとかキャラどうなってるのよ! 神殿に変な声が響いちゃったじゃない!


「そんなに意外だったか」


 目で人を殺せそうな表情で言わないの。そして意外かって質問。


「意外だったわ」


 即答。だって考えてもこういう人の場合、普段は事務処理してるけど、実は剣も凄かったんですよみたいのがテンプレじゃない。お菓子作りがプロ級ってどういうことよ、絶対に間違ってる。


「あれは妻が趣味で作っていたのを良く手伝わされたから覚えたものだ」


「奥さんの趣味? まあそれならギリギリ納得できるわ。次はロールケーキを手伝うようにさせてって伝えてくれるかしら」


 良いわよねロールケーキって美味しい、大好き。なんなら毎食後に出てきても私は許す。というか出て来い。


「それは出来ん」


「侯爵のくせにケチケチしないの」


 そのくらい好いじゃないねー、貴族がお召し上がりになるアレコレの費用の極々僅かじゃないの。奥さんが大変だって言うかもだけど、趣味ならそんなことないでしょ。


「そうではない、妻はもう他界しているのでな。それにアレを覚えたのはまだ侯爵になり家を継ぐ前の事だ」


「あ……ごめんなさい」


 嬉しい楽しい思い出に泥を塗るような真似は素直に私の非よ。他人が踏み込んはいけない領分、人には必ずそういうのがあるの。


「構わん。ロールケーキは次に来る時に持って来てやる」


 実はそれも作れるのね、極悪人っぽい見た目のキャラはどこへいった。それにしてもこの人の奥さんだった人か、どんなだったのかな。同じようなゴリゴリの傭兵みたいな人? それとも何を言われても意志を見せないような貝殻の奥底に引きこもったような?


「もしよければ奥さんのこと聞いても良いですか?」


 一度大きく息を吸ってから、神殿の天井を見上げて気持ちを落ち着ける。侯爵であることが板についてるんだから、結構昔のことになるのかな?


「アレとの馴れ初めは家同士の婚姻政策、政略結婚だった。十歳も下の世間知らずの貴族の娘と初めて顔を合わせて、これが妻だと言われた。それは良い、貴族とはそういうものだ。だがアレはどう思ったか」


 この険しい見た目は若いころはもっと鋭かったんでしょうから、顔を蒼くしてたでしょうね。なんとなく気持ちがわかるわよ。


「今思えば家庭的な性格だったのだろう、メイドらに全てやらせても良いことを自分でやっていた。俺と違い家人に信頼されていた。身体が弱く外に出られないことが多くてな、それもあって料理を好んでしていたのだ」


 程なくして数年で他界してしまったと、目を閉じて語る。大切に想っていたし、そうしてきたんですね。


「それで、奥さんってどんな感じの人だったんですか」


「うむ……」


 言い籠もると、目を開けて正面を向く。まあこっちを見たわけよね、その後神殿の壁に視線を向けてしまった。


「小柄でな、真っすぐの長い黒髪をしていて、夫をからかうのが好きで、自ら進んで働こうとするくせに他人に言われると面倒がって……そういうやつだった」


 それって私とそっくりじゃないの! いや、まさかね。もう、嘘と言ってよ。というかどうしてこっちを見てサラッと言えないのよ、物凄くきまずいじゃない。変に意識してこっちが顔熱くなってきたわ。


「あ、えーと、侯爵も暇じゃないんだから、ここで遊んでる時間はないはずよ。言われなくても祈りはするから問題はないわ、でも魔物で困ったら相談して。少ない箇所なら直接的に力になれるから」


「……直接的に?」


 妙な発言に気づいて繰り返す。この雰囲気を壊す為に今は乗りましょう、それがいいわ。


「私の精霊召喚で魔物を撃退します。ごく一部にしか影響させられないけれども、神頼みじゃなくて確実です」


「なんと、お前は精霊を使えたのか」


 あら、知らなかったんですね。それも調べられてるかと思っていたわ、何でも知っていそうな感じだったから。あまりあちこちに言いふらすわけじゃないけど、隠しもしないわ。王女は知ってるけど、侯爵は知らされていなかった。そういう部分にまだ溝はあるのね。


「お前じゃなくてアリアスよ」


 お前呼ばわりはあまり好きじゃないのよ。威圧的だし、誰のことを言ってるのよってね。人にはみな、名前があるんだから。


「む。アリアスは精霊を使えるのだな」


「氷の精霊フラウ、アイスロードが盟友よ」


 目を細めてその異常さに感付いたわね、アイスロードは上級精霊。だからとその後何も言わないあたりがこの人よ。膝の上から立ち上がって、数歩離れると振り向いて指さしてやる。


「ほら、お仕事してきなさい侯爵。私はいつでもここに居るから」


「アレクサンデル・マケンガだ。言われんでもそうするつもりだろうが、買い物でもなんでも勝手にこちらに請求させておけ」


 立ち上がって踵を返すと外へと歩いていく、その後ろ姿に「アレク、次はお菓子忘れないでよね!」呼びかけたやったわ。一瞬だけ歩みを止めて、返事をせずに去って行った。意外過ぎる出来事に、暫く私はぼーっとしていた気がする。


https://kakuyomu.jp/users/miraukakka/news/16818093082725066463

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