【完結】浮気性の彼女の気を引くために偽物の浮気を始めたはずなのに、彼女の妹と本物の恋人になる話。

下等練入

第1話

「私でお姉ちゃんに復讐しませんか?」


 その女は暗闇から現れると、私――若山真衣わかやままいの座るベンチの前でしゃがんだ。

 一瞬だけ甘い声に惑わされ、彼女である志保しほが謝りに来てくれたのかと顔を上げてしまった。

 ただそんなわけないと頭を振ってすぐにバカな考えをかき消す。


 私の彼女は今、私以外の女とよろしくやっているはずだ。

 きっと泣きすぎて幻覚でも見てるんだろう。

 そうに違いない。

 振り払うように頭を何度か振るが目の前で薄気味悪い笑みを浮かべている女は消えない。


「無視しないでくださいよ」


 私が返事の代わりにあからさまなため息をついても、その意味が伝わっていないどころか、「おーい、真衣さ〜ん」と私の視界の中で手をひらひら動かしだす。

 どれだけ幻覚と信じたくてもこれが志保の妹である柊那ひななのはもうわかった。

 いかにも気を引こうとする行動に、反応するのすら今はめんどくさい。

 石のように押し黙っていると、柊那は隣に腰かけ顔を寄せた。


「大好きだよ、真衣っ」


 直後、志保とほぼ同じ声が鼓膜を震わせる。

 ただ柊那が志保に近い声やDNAを持っていても、本人じゃないことはわかっている。

 不快な声の主を涙が溢れる目でにらみつけるが、柊那は至極真面目な顔を向けてきた。

 私が一番欲しい言葉をわかっているからこそ、その言葉を選んだんだろう。

 志保と同じ長く伸びた明るい色の髪に、彼女と同じ高校のブレザータイプの制服。

 どこを見ても彼女の面影がちらつく。


 違うところと言えば、志保は髪を縛らないが柊那は後ろで結んでいるのと、少しばかり柊那の方が顔がいいくらいだと思う。

 志保もメイクをしなくてもそれなりに綺麗な方ではあるが、柊那は一度もメイクをしているのを見たことがない。にも拘わらず姉に劣っていると感じたことはなかった。

 あとは学力も差があると思う。

 志保はいつもほぼ満点を取っていて、調子が悪くても九十五点は固いが、柊那はそこまでではなかった気がする。

 そこまでではないと言っても学年で見れば上位数%の実力はあるし、これは志保がおかしいだけだろう。


 それに柊那に勉強を教えるようになったおかげで、彼女とは親しい友達と呼べるくらい仲良くなれた。そう考えれば学力に差があってよかったと思う。

 そのまま無視を決め込んでも、柊那が何かする気配は見せなかった。

 ただ私の横に座り、なにかを眺めている。

 彼女の目線と同じ方を向くと、ブランコがギィーギィーと不気味な音を立てながら揺れていた。

 じゃあブランコを眺めながらぼーっとしているのかと、少しだけ隙間を開けるとすぐに横にズレてくる。


 何回か横に動くのを繰り返すと、夜風によって冷やされた手すりが腰に当たった。

 最悪。もう動けないじゃん。

 これだけぴったりとくっつかれると、私が帰ろうとしてもついてくるんじゃないかと不安になる。

 瞳に溜まり景色をぼやけさせていた涙を拭うと、柊那に話しかけた。


「何しに来たの?」

「別に、特に用はないですよ」


 柊那はさっき向けてきたのとまったく同じ笑顔で微笑み続ける。

 嘘つき。

 さっきは「復讐しませんか?」とかわけわからないこと言ってたくせに。

 復讐って……、今更そんなことするわけないじゃん。

 どうせ志保の浮気……。

 いやっ、ほかの女と親しく遊ぶことに対して言ってるんだろうけど、今に始まったことじゃない。

 一々そんなのに目くじら立ててたら関係なんか続くわけないし、いつもみたいに数日置けばまた今までの関係に戻れるんだ。

 私が数日我慢すれば済むことでわざわざ荒立てたくはない。


「なら帰って。今独りで居たい気分なの」

「そう言って人知れず泣けば満足できるんですか?」

「さっきから、なに?」


 せっかく涙も引いてきて、あとは腫れた目だけどうにかすれば家に帰れると思ったのに。

 さっき拭った涙は止まることなく溢れ出してくる。

 どれだけ止まれと願っても、目の周りにひりひりと染みる。

 思い出さないよう頑張っているのに、さっきから志保に似た顔で見つめられると色々とごっちゃになって心を蝕んでくる。

 柊那は彼女じゃないじゃん。


「言いたいこと言ったならさっさと帰って」


 出来る限りの力で柊那を押すがピクリとも動かない。

 銅像でも押している気分になりながらもさらに力を籠め続けるが、やわらかな柊那の手が頬に触れた。

 彼女の指は涙の痕を拭い取るように頬をなぞる。


「私なら泣かせないのに……」


 さっきは動揺して気付かなかったが、志保に似た匂いが鼻をくすぐり、余計に彼女を思い出す。

 記憶に蓋をしていたのに、無意識に目の前にいる柊那を志保として求めたくなってしまう。

 頼りになるのが月明かりか遠くにある街灯の灯りしかないせいもあるのだろう。

 今の柊那は志保に似通っているように見える。

 だからといって理性の箍をここで外すわけにはいかない。

 志保と柊那は別人だしちゃんと拒絶しないと。


「それだけ? 気が済んだ?」

「まだですね」


 柊那はわざわざ立ち上がると、まるで舞踏会に誘うかのように手を差し伸べてきた。


「一緒に浮気の仕返ししませんか?」


 満月を背負って微笑みかけてくる姿はとても魅力的に見える。

 とは言ってもとても手を取る気にはなれない。

 仕返しが何を意味してるのかはわからない、ただ今この手を取ると確実に志保との関係は悪化するだろう。

 いくら柊那が志保に似ているからといっても、柊那が代わりにならないのはわかる。

 私には志保しかいないんだし、悪化させるわけにはいかない。

 拒絶の意を込めて思い切り手をはじくと言った。


「浮気されてないし。帰って」


 なんでよりにもよりによって柊那が。

 私なら泣かせないってなに?

 違う。

 志保に泣かされたわけじゃない。

 これが私たちの関係なんだから壊そうとしないで。

 私が受け入れれば全部上手くいくんだから。

 柊那はさっき弾かれた手を痛そうにさすると冷たい目を向けてくる。


「まあ、帰ってもいいですけど。これで私が帰った後どうするんですか? どうせお姉ちゃんにうやむやにされてまた付き合ったあと、泣かされるんでしょ?」

「だったらなに?」


 今できる精一杯の力で柊那を睨み付けるが、眉一つ動かさずに話し続ける。


「いやーそれがいいなら私はいいんですけどね。好きな人に自分を全く見てもらえなくて、そろそろやり返したいとか思わないのかなーって思って」

「好きな人相手にそんなこと思うわけじゃないでしょ」

「真衣さんはそうなんですね。私は私以外見ないでほしいタイプですよ」

「だったらなに?」


 志保は私を見てくれるから、いつも私を必要としてくれるんでしょ。

 ちゃんと見てくれてるし、あれが志保なんだからやり返したいなんて思うわけない。


「真衣さんも同じだったら復讐、手伝おうかと思ったのに」

「さっきから復讐とか仕返しとか、なにが言いたいの?」


 柊那は周りに誰もいないとわかっているはずなのに、わざと顔を近づける。


「だから……」


 そう言いかけて何度か彼女の呼吸音が聞こえたあと囁いた。


「私と浮気しませんか?」

「何言ってるの? するわけ――」


 そう言いかけたところで、何を言いたいのか察したらしい柊那が被せてくる。


「あー一応言っておくと、本当に浮気するわけじゃないですよ。ただ振りをして気を引くだけです」

「それでも振りはするんでしょ……。そんなことして気が引けると思ってるの?」


 普段だったら振りだったとしてもそんなふざけた提案、即答で断っていたと思う。

 浮気なんかして恋人関係が壊れるくらいなら、いつも通り何も見なかったことにして、付き合い続けたほうがいい。

 ただ今までこの気持ちを見ないようにしていただけで、内心では何度も繰り返される彼女の遊びに飽き飽きしていたのかもしれない。

 それか今まで志保からのお願いを断ったことがなかったせいで、志保似の柊那の提案も拒絶してはいけないと無意識に思っているのか。


「引ける引けないじゃなく、やらないといずれ捨てられるだと思いますけど?」

「捨てられるって、なに言ってるの?」


 そんなわけない……。

 いつもちょっと時間が経てばすぐ私のこと好きって言ってくれたし。

 問題なく付き合えてた。


「もしかしてまだ自分が一番目だとか自惚れてないですよね? とっくに二番目以下ですから」

「え……」


 そんなのありえないでしょ……。

 付き合い始めた時はほかの誰かと会ったりしなかった。

 元々は私が一番で、私しかいなかったんだしそれが二番以下になるわけ。


「もしかして自覚すらしてませんでした?」

「なんで……」

「そうやって事実から目を背け続けて、完全に断ち切れたあとも独りで泣くんですか?」

「なんで柊那がそんなこと言えるの?」

「なんでって……」


 柊那は肩をすくめると、小さなため息をついた。


「ずっと見てきたからですよ。お姉ちゃんの彼女として家に来るようになってから、彼女としての扱いをされなくなるまで。ずっと」

「だから『私と浮気の振りして気を引きませんか?』って? 意味がわからない。柊那にメリット無いし」


 姉の彼女にそこまでできる理由ってなに。

 直接言われたことはなくても二人の仲が悪いのはなんとなく察していた。

 どちらかというと志保のが立場が上で柊那が下なことも。


「メリットって……。別に私のことはどうでもいいでしょ? 浮気されたのは真衣さんなんだし」

「そうだけど……」


 だからって二人の喧嘩に巻き込まれるのは、ごめんだ。

 柊那は私と浮気の振りをして、姉が動揺すれば満足なのかもしれない。

 けどそれで気が引けたとしても、柊那の利益のために協力した事実があるだけで負い目を感じてしまいそうだ。


「あーじゃあそんなに気にするなら言いますよ。一度浮気されて泣いてるの見てから、どうせまた今日も泣いてるんだろうなとか思っちゃうんですよ。もうそう思いたくないから提案してるんです。あの人もいつまでもいると思った真衣さんがいなくなると思えば焦ると思うんですけどね」

「そうかもしれないけど……」

「だから決めてください。お姉ちゃんにやり返して自分のことを見てもらうのか、このまま自己満足の現状維持を選んで完全に振られるのを待つのどっちがいいのか。今までさんざん本物の浮気されてきたんだし、今更紛い物の浮気すらしたくないなんて、気を遣わなくてもいいでしょ?」


 完全には振られたくないし、柊那の憂さ晴らしに付き合わされるわけでもない。

 もしこれでもっと志保が私のことを見てくれたらもう泣かずに済むかもしれない。

 目の前に並べられた都合のいい事実を前に自然と声が漏れていた。


「わかった、気を引くの手伝って」


 ただ私の言葉はあっさりと否定される。


「振りでも付き合うんですし、ちゃんと告白してくれませんか。少なくとも好きぐらいは言ってほしいなって」

「そう、だよね……。ごめん」


 好きって言ってほしい、か……。

 目の前にいるのは、髪型が違うだけの志保。

 柊那が好きなわけじゃない。

 志保に告白するだけ。

 自己暗示でも掛けるように何回か脳内で唱えると、柊那の顔をじっと見つめた。


「好きです。私と付き合ってください」

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