幸福の服毒
@yumeme
20XX年、YY月ZZ日。
国民的アイドルグループのメンバーの一人が、引退と同時に結婚を報告した。
『お相手は?』
「一般男性ですよ。四年前、街角で落としたハンカチを拾ってもらったんです。彼の方から私を見つけてくれて。やっと会えたね、って」
『交際期間は?』
「二年くらいです。彼の方から告白していただいたんです。少し迷ったんですけど、彼と一緒にいたいと言う気持ちは確かだったので交際させていただくことになりました」
『結婚の決め手となったのは?』
「ずっと前から決めていたんです。私にはこの人しかいない!って思って」
『新婚旅行はどこに行く予定ですか?』
「日本ですね。私達にとって思い入れが強いので」
『結婚式のご予定は?』
「六月一日に式を挙げようと思っています。これも私達の思い出の日なので」
ソファに寝転びながら、画面から流れるその光景を興味深く眺めていた。机には氷の入った水と紅茶がおいてある。
大好きなアイドルの電撃結婚。この世で一番愛しい人。嫉妬や憎悪なんて湧くはずもなかった。だって、彼女は僕の___。
*
死にたかった。ずっとそう思っていた。
理由なんてない。ただ漠然と生きるのが怖くて、でも死ぬのも怖くて。ただ惰性で生きていた。
お医者さんから処方された大量の薬を水で流し込む。適量飲んでいるはずなのに、最近は耐性がついてきたのか効かないことが多い。
今日も迫りくる希死念慮に抗うため、一度部屋のソファに横たわって掛け布団にくるまった。こうしている時間が一番落ち着く。適当にテレビのリモコンを操作してバラエティ番組を垂れ流す。カーテンの外からは月明かりが優しく私を照らしていた。
そういえば、最初に死にたいと願ったのはいつだったか。微かな記憶を辿る。ぼんやりとしていてあまり深く思い出せない、けれど。
あぁ、と1つ思い当たる節があった。確か小学三年生の春頃だった気がする。あのとき流行っていたものといえば、国語の教科書のパロディにバトル漫画、それから《幸せになる恋のお呪い》。
内容は、好きな人の名前と自分の名前を書いた人形の紙をそれぞれ用意し、誰にも見つからない場所に埋めるというもの。
当時好きな人なんていなかった私は、どうしても流行りに乗りたくてそのときに一番仲が良かった奈々の名前を承諾を得たうえで使ってそのお呪いを完成させた。
奈々とは小学二年生からの付き合いで、そのままだらだらと八年間交流が続いている。中学を卒業してから唯一連絡を取っている友達でもあり、高校が違う今でも週に一度は一緒に遊んでいる仲だ。
思えばあの時から死にたいと思い始めるようになった気がする。
*
夕刻に降り注ぐ橙色。少しずつ月が顔を出し、太陽は地平へと溺れる。雲は紫色に光り、この世のものとは思えないほど幻想的な空が出来上がる。セミが羽を震わす音が鳴り響いていた。アラームに似た雑音のはずなのに、それすらこの景色の幽玄さを助長する音楽のようにも聞こえる。この光景をカメラに映そうとスマホを向けると、その瞬間理想郷は世紀末へと変化してしまった。スマホのスペックが低いからだろう。
カメラ越しに住宅街の屋根が見える。スマホを下ろすとよりそれを実感してしまって、見える世界は理想郷でも世紀末でもない、ただの醜い現実だということを思い知らされる。
「写真、撮らないんですか」
「あぁ、なんか思ってたのと違くて」
「きれいなんですけどね、カメラ越しだとなんか違うなってなるのはあるあるですよね。新しいスマホ買えって話なんですけど」
奈々との帰り道。少しずつ日が傾いて来たものの、未だ蒸し暑さは残っている。歩いている間は汗なんて出ないのに、止まった瞬間豪雨のように流れ出すものだから不思議だ。
「私、彼氏と別れたよ」
え、と奈々が声をあげる。
「何があったんですか」
「私じゃ幸せにできないから。だから、奈々に幸せにしてあげてほしい」
最初からわかっていた。自分のことすら幸せにできない人間が、他の人のことを幸せにできるわけがない。今の私に恋愛をする権利はない。それでも一時の幸福を選んでしまったのは私だ。私の快楽のために大和くんは不幸になった。
死にたいな。
そんな感情に蓋をする。表に出す必要なんてないし、感情的になっても意味がない。
ハンカチで自分の顔を扇ぎながら奈々の様子を伺う。
「大和さんに告白、してもいいんですか」
「もちろん。私にそれを止める権利はないよ」
「ちょっと待ってください。そんな簡単に認めていいんですか。好きだったんじゃないんですか」
彼女は少し声を張り上げてそう言う。
「好きだからこそ幸せになってほしい。大好きな奈々と大和くんが一緒に幸せになってくれるなら私は嬉しいよ」
本当は少しだけ違う。大和くんの視線の先には、いつも奈々がいた。あの人の一挙手一投足が奈々を好きだと物語っていた。
「私が大和くんと付き合ったあともずっと好きだったんでしょ。諦めるべきじゃないよ」
「……少し考えさせてください」
奈々は少し間をおいてからそう言った。その日はそのまま解散になった。
*
あれから一週間が過ぎた。未だに奈々からの連絡はない。
ヒグラシのきれいな鳴き声が心を落ち着かせてくれる。部屋が闇夜に閉じ込められていく。私はそれから逃げるように部屋の明かりをつけた。
カフェテーブルに置かれたお茶菓子を口に含み、よく味わう。次に紅茶の香りを楽しむ。
手にはスマホ。私は紅茶片手に画像フォルダを見漁っていた。
奈々と撮った写真に、旅行先で見た鈴蘭の写真。歴史的価値のある建物に、夕焼け朝焼けの写真。その中には大和くんとの思い出をまとめたフォルダもあった。
幸せな、はずだった。親友もいて、恋人もいて。たしかに私は幸福だったはずなのに。
どこか欠落している。大事な何かが足りていない。私の幸せはいつ訪れるのだろうか。ずっと我慢してきた。希死念慮を表に出さなかったし、どんなに辛くても人に当たらなかった。悪口も言わなかった。
いつになったら救われる?
わからない。終わりなんて来ないかもしれない。だから人は先の見えない不安を自ら断ち切るのだ。それも一つの手段かもしれない、けれど。
私は幸福を諦めたくない。幸せになって、普通の生活を送りたい。
多分、私の画像フォルダから大和くんが消えることはないだろう。正直未練ばっかりだし。それでも今の私には奈々がいる。親友でいてくれている。奈々を悲しませないためにも、私は生きようと思う。
ちょうど紅茶を飲み終わったタイミングで、スマホの着信音が鳴った。奈々からの連絡だった。だいたい予想はついているけれど。応答ボタンを押す。
「紅華、私…」
奈々は少しためてから言い放った。
「大和さんと付き合うことになりました」
*
葉の色は新緑から深紅に変わる。木は少しずつ葉を落とし始め、下には鮮やかなカーペットができる。夜になると鈴虫が演奏会を始める、そんな季節。
フードコートで肉うどんを頼む。奈々はラーメンを選んだようだ。席について、二人で手を合わせて料理を頂く。
美味しいねとか、一口ちょうだい、とか言いながら手を進める。牛肉と温玉と麺を一緒に頂く。程よく弾力がありとても美味しい。奈々は水を美味しそうに飲んでいた。
昼食を済ませたあとは映画館に向かう。ドリンクをそれぞれ購入してから入場する。ちなみに私はアイスティーを頼んだ。
スマホの電源を切り、館内が暗くなるまで軽く雑談を交わした。
映画の内容は、どうしようもないほどのクズの男の子を好きになってしまった女の子が、彼と一緒になるために鈴蘭の服毒で心中を図る話。それに至るまでのストーリーが壮絶で、ところどころに伏線が張り巡らされていた。その思考に至ったあとの彼女の狂気と行動の速さも観ていて面白かった。
そして何より鈴蘭での服毒心中。それがとても美しくて、綺麗で崇高で、幸せそうだな、と思ってしまった。
帰り道、今から二人でカラオケに行こうという話になった。そこで、普段行きつけのドリンク無料のカラオケ屋さんを選んだ。
案内された部屋に入って荷物をおいてから、ドリンクを取りに行く。奈々は相変わらず氷水を選んでいた。下手なジュースよりも美味しいとか言って毎回それを飲んでいる。私は無難にメロンソーダとコーラを混ぜた。
質素だけど地味に広い部屋に入って適当に曲を入れる。ソファの座り心地が良い。それにしても相変わらず奈々は歌が上手い。だらだらと話しながら歌っていると、曲の方向はだんだんと好きなアイドルグループ、サーベイランスの曲になっていった。
「そういえばサーベイランスのライブが今度あるらしいんですけど一緒に行きませんか?」
「いいね。いこういこう」
「チケット買っておきましょう」
「わかった」
二人でチケットを買っておく約束をしてからその日は思いっきり歌うことにした。
*
今回は運が良い。ライブのチケットが一回で当たった。そもそも地下アイドルだから倍率はそこまで高くないのだけれど。履き慣れた靴を履き、持ち物は最低限に。お金を多めに持っていって奈々と合流してから会場に向かう。
入場の一時間前に着いた。
グッズが売ってるテントに行って欲しいグッズを手当たり次第に購入していく。奈々はかなりのファンなので、グッズはほとんど購入していた。
流石にお金の問題もあるのでだいぶ迷ったが、厳選に厳選を重ねて選び抜いたグッズを購入することができた。満足だ。
三十分前に会場入りし、ライブが始まるのを待つ。楽しみと興奮で心臓の音が脳まで鳴り響いていた。
ライブが始まるともう気分は最高潮で、全力でコールをした。
踊りも歌も完璧で、ミュージックビデオで見た通りの完成度ですごく驚いた。
最初はアップテンポな曲。めちゃめちゃ気分が上がって、会場全体が盛り上がってくる。
次にサーベイランスの曲の中でもリズムが独特な曲。癖になるリズムで、ファンの間では結構人気な曲。
次は三拍子の曲。今までとは違う、リラックスできるような曲だ。
その次にバラード。メンバーからメンバーへの美しい友情を綴った曲で、箱推しの人たちからあつい人気を誇っている。
最後にサーベイランスのデビュー曲。これが一番会場が盛り上がった。どの曲よりも人気で評価の高い曲。メンバーにとっても思い入れが強いのだろう。
ライブが終わったあとも興奮が止まらなくて、本当に時間があっという間で楽しかった。
次はチェキ会。一枚千円で推しと写真を撮れる。
私も奈々も最推しと写真を撮って帰宅することにした。帰る頃には足はもうパンパンで、棒になるんじゃないかと思うほどだった。もう棒になっているかもしれない。
そしてふと現実に戻される。終わっていない課題、明日の準備、スキンケアや髪の毛の手入れ。
死にたい。明日を生きたくない。明日を生きるのが苦痛でしかたない。でも抑えないと。我慢しないと。
「来世はアイドルになりたいな」
帰る途中、奈々が突然そんなことを呟いた。
「どうしたの急に」
「アイドルってみんなを笑顔にできて素敵だなって思って。だから来世はアイドルになりたいです」
「奈々は可愛いから今からでもなれると思うけど」
「無理ですよ、年齢的に無理。見た目のことは自分ではどうかわからないですけど……」
「奈々は可愛いよ」
彼女はふふっと笑って答えた。
「ありがとうございます」
「奈々がアイドルになるなら私はマネージャーかな」
なんとなくぼやいてみる。芸能界のことはよくわからないけれど、スケジュール管理とか楽しそうだ。
「紅華がマネージャーなら仕事も捗りそうです」
「完璧なスケジュール組んであげるよ」
「頼りにしてますよ」
「まかせてよ」
ふと空を見上げると、満天の星が見えた。秋の空はいつにも増して綺麗だ。空気中の水分が少ない分光の屈折が少なくて星の光が遮られず、綺麗に見えるらしい。
この光景を写真に映そうとするも、やっぱり上手く撮ることができない。スペックの高いスマホに変えれば映るのだろうか。そろそろスマホの買い替え時かもしれない。
「空、綺麗ですよね。オリオン座を見るのが楽しみです」
「また二人で出かけようね」
「もちろんですよ、何年もずっと一緒にいましょう」
約束を交わす。二人だけの永遠の誓い。幸せな呪い。奈々と一緒の未来が楽しみで仕方ない。
*
外は寒気で満たされ始める。少しずつ虫は顔を見せなくなった。クリスマスが近づいてくることで周囲は必死に恋人づくりを始めたり、タイツを履きたくなってきたりする季節がやってくる。
奈々の家で遊んでいた。白基調のきれいな部屋で、白のもこもこしたカーペットに薄いピンクのガラスの机が中央においてある。部屋の角には白のクローゼットとカラーボックスがあることで、清潔感を醸し出している。
お菓子をつまみながら雑談していると、突然彼女にピアスを開けてくれませんか、と頼まれた。
最初は驚いたものの、どうしても私に開けて欲しいと言うので、代わりに私のピアスも奈々が開けることを約束に渋々承諾した。
用意はできているようで、ニードルを使って開けることになった。
まず手を良く洗い、ファーストピアス・消しゴムを十分に消毒しておく。消毒液で開けたい部分を拭き取ったあと、奈々自身に開けたい場所にマジックペンで印をつけてもらった。
ニードルの先端を軟膏のチューブに入れて、ニードルに軟膏が塗られた状態を作る。
少し緊張する。一生モノの傷になりかねないので、慎重に、かつ大胆にやる必要があった。
覚悟を決め、マーキング位置の裏側に消しゴムを当てて、表から思いっきりニードルを刺す。
ニードルを奥まで刺しこみ、ファーストピアスとキャッチをつけて終わり。すごく緊張して手汗ダラダラだった。
もう片方の耳も違うニードルを使って同じことをする。
同じくファーストピアスとキャッチをつけたら、そろそろお昼を食べようという話になった。今日は奈々の家に両親がいないので、二人で一緒に牛丼を作ることにした。といっても牛丼だと特にやることも多くないので、私が牛丼、奈々がサイドメニューを担当するということに。
牛バラ肉と玉ねぎを切る。玉ねぎを先に炒め、次に味付け調味料を一通りいれてひと煮立ちさせる。最後に牛肉をいれてアクを取りながら煮込んで完成。ご飯の上に盛り付ける。奈々はもう終わっていたようで、ちょっとしたお味噌汁がちょこんとおいてあった。
牛丼を食べながらお味噌汁を一口飲む。じゃがいもとキャベツのお味噌汁のようで、どちらも程よく柔らかくなっていて食べやすい。
牛肉は食べ応えがあり、ご飯と一緒に頂くとタレとの相性がぴったりでほっぺたが落ちそうだ。自分でもこれはなかなかうまくできたと思う。
ご飯を食べ終わったあとはお泊りのときに使う私用の歯ブラシを使ってそれぞれ歯磨きをした。
そのまま電車で数駅先の観光地へと向かう。
観光地というだけあって賑わっていて、外国人観光客が多い。そしてそれなりに物価が高い。ソフトクリームで五百円くらいはする。
でも、今回用があるのはここじゃない。
奈々と一緒に町外れにあるショッピングモールに足を向けた。
モールの中は広く、メガネ屋さんやカフェ、服屋さんなど多くの店が展開されている。
適当に歩きながらウィンドウショッピングを楽しんでいると、ふと、一つの灰色のブラウスが目に入った。灰と黒で統一されており、黒のボタンにネクタイが特徴的なブラウス。
「あれ、可愛いですね」
奈々が同じ方向を指さして言った。
「ね、可愛いよね。ちょっと欲しいかも」
「買いますか?」
私はある考えが浮かんで、少し迷って、恐る恐る口にした。
「お揃いで買わない?」
「いいですよ」
あっさりとした奈々の返事に驚く。恋人でもないのにペアルックなんて、少し抵抗があるんじゃないかと思っていた。
「双子コーデ、ってやつですね。確か紅華は黒いズボンを持っていましたよね。私も黒いスカートを持っているのでよく合いそうです」
ニコニコと微笑みながら言ってくれる。彼女のこういうところが大好きだ。
「じゃあお揃いで買おう」
私たちは同じ灰色のブラウスを持ってレジに並ぶ。これを着て出かけるのが楽しみ。
次に目に入ったのはアクセサリーショップだった。新しい髪飾りが欲しいなぁと思ったのでなんとなくお店に足を踏み入れると、そこには色とりどりの髪飾り、カチューシャ、ピアスやイヤリングが数え切れないほど揃えられていた。
私にとってそれは宝箱と同じくらいの価値があった。
この髪飾りいいかもな、なんて考えていると奈々が私の袖をくいくい引っ張った。どうしたのかと彼女の方を見ると、一つのピアスを指さしてこう言った。
「これ、色違いで買いませんか?双子コーデするときにつけましょう」
それは小さな鍵の形をしたピアスだった。鍵の持ち手の部分がハートになっていて、それぞれ薄い水色と翡翠色の宝石のようなものが埋め込まれていた。
「え、めっちゃいいじゃん。買おう買おう」
即決した。まだピアスは開けていないけれど、ピアスを開けて穴が安定したら付けようと思った。
他にもカラーコンタクトが売っているお店や雑貨屋さんを見て回った。今日は奈々とのおそろいが増えた日だ。
電車に乗って最寄りまで帰る。そこそこの田舎だが、やはり安心感がある。そういえばもう冬だ。そろそろオリオン座が見え始めるかもしれない。空を見るとまるでそれは宝石を散りばめたように美しくて、とても輝かしくて。光る星たちの中にオリオン座を見つけた。
「奈々見て、オリオン座があるよ」
「ほんとですね。綺麗です」
しばらくの間、あれは何座じゃないかとか、あの星綺麗だねとか言って笑い合った。
「約束、果たせましたね」
秋にした一緒にオリオン座を見ようという約束。無事に達成することができて嬉しい。
「もちろんだよ。これからも一緒」
奈々はふふっと笑ってからそうですね、と答えた。
「これからも一緒です」
二人で小指を絡めて指切りをした。
その時にはもう、私は奈々に友情以上の感情を抱いていた。
*
数週間後、奈々にピアスを開けてもらった。少し痛かったけれど、思ったほどの激痛ではなかった。私は痛みに強いのかもしれない。
そして昨日の夜、奈々から一つの連絡が入った。
『明日の朝、一緒にメイクの練習してから東京に行きませんか』
一応カレンダーを確認して、特に予定もなかったので私は承諾した。
そして夜は明け、今日が訪れる。朝八時半に奈々が家にやってきた。
「今日は新しいコスメを買ったのでそれを試したかったんです」
「え、何買ったの?」
「アイシャドウです。今回は赤色のアイシャドウを買ってきたのでそれを試してみたくて。」
「いいね〜!私は涙袋練習しようかなって思ってる」
「一緒に可愛くなりましょ!!」
そう言ってそれぞれメイクを始める。お互いなんとなく話しながら黙々と可愛くなっていく。
今回は涙袋コンシーラーを買ってきたので、それで涙袋を作っていく。ちゃんと影も描いて、地雷ラインもしっかり描く。地雷ラインは目が大きく見えるから好きだ。まつげもちゃんと束感を意識して作れば、さっきとは打って変わった可愛い女の子が出来上がる。これは自分で見ても普通に可愛いと思う。
奈々もメイクが終わったようなので、荷物を持って二人で一緒に外への扉を開けた。
街行く人がコートやマフラーを身に着け始める。クリスマスやお正月が間近に迫ってきて、世間はお祭りムード真っ只中。
電車に乗って原宿まで行く。竹下通りでいちご飴を食べ、コスメ専門店やロリィタ専門店を見て回る。東京のお店はどれも華やかで観光していてとても楽しい。
お昼は池袋に行ってパスタ屋さんで美味しいパスタを食べる。結構有名なところのようで、席は混み合っていた。私はカルボナーラ、奈々はミートソースを頼んだ。
カルボナーラはチーズがとても濃厚で、ソースもよく絡んでいて美味しかった。今まで食べたどんなパスタよりも美味しいかもしれない。
奈々も幸せそうにパスタを頬張っていた。
午後はショッピングモールで服を見漁る。どれも魅力的な服ばっかりで、全部買いたくなってしまう。ヒラヒラしたワンピースにふんわりとしたスカート、ロック系のブラウスにスポーティーなズボン。どの系統もかっこよくて可愛くてつい見とれてしまう。そして後先考えずに買ってしまうのが良くない癖だ。この前奈々とお揃いで買ったから今回は我慢するけれど。
その後はカフェに向かった。結構有名なカフェで、都会ということも相まってかなり賑わっていた。なんとかテラス席を確保し、そのカフェの新作を注文する。商品が渡されたらテラス席に戻り、外の景色を眺めながら優雅にフラペチーノを嗜む。トロピカルな味がして美味しい。口当たりが爽やかだ。
都会と言うだけあって、絶景!とはお世辞にも言えなかったけれど、道行く人の流れや高層ビルを見つめているのはなかなか面白みがあった。
帰りがけには二人でプリクラを撮った。メイクしただけあってやはり盛れる。めちゃめちゃ可愛い奈々の顔がさらに可愛くなっている。
撮ったプリをスマホにダウンロードして、お互い共有し合った。
今日は違う道で帰ってみようと、少しだけ遠回りをした。ゆっくり景色をみながら歩いていると、一つの公園が目に入る。
「イルミネーションですね!」
奈々は少し駆けてイルミネーションに近づくと、キラキラと宝石をみるような目でそれを見つめていた。
「奈々、こっち向いて」
そう言って彼女にカメラを向ける。
振り返ってピースをした彼女の写真を撮る。また奈々との思い出が一つ増えた。
何枚かイルミネーションの写真を撮ってから駅に向かう。
電車に揺られながら、まどろみの中に意識を投げ出した。
*
季節は巡る。大和くんと別れてから一年が経とうとしていた。桜は散り、新緑が目覚め始める。少しずつ夏の暑さが顔を出してきて、空は梅雨へと歩みを進めていく。
六月一日のことだった。奈々から連絡があった。内容は今日会えないか、と言うもの。基本暇なのでこれも快諾。
近くの公園に集合する。最近の子どもは公園で遊ばないらしい。案の定公園には人っ子一人見当たらなかった。この時期はやっぱり少しずつ暑くなってくる。必然的に木陰のベンチに腰掛けることになった。
八月はもっと暑いのか、と思うと急に生きるのが億劫になってきて、希死念慮がここぞとばかりにやってくる。マイナスの感情がすべて死にたいに集約するのは良くない癖だなと思うのだが、簡単に直せたら苦労しない。
数分間暑さと戦っていると、やがて奈々がやってきた。何やら深刻そうな顔をしていて、真面目な相談かと身構える。
奈々が私の隣に座る。彼女が何か言い出すのをずっと待っていた。
3分くらいは経っただろうか。奈々は少し息を吸って、こう切り出した。
「もう、死にたいんです」
え、と口から空気が漏れた。
「どうして、?」
慎重に、刺激しないようにゆっくりと聞き出す。
「冬にピアスを開けてほしいと言いましたよね。あの頃にはもう、大和さんに振られていたんです」
衝撃的だった。奈々から大和くんの話を聞かないなと思っていたけれど、てっきり上手くいっているものだと思っていた。
「何で急に、?」
「急じゃないです。ずっと前から死にたかったんです」
「だめだよ、そんな一時の感情で死を選んじゃ、」
「そうじゃないんです」
奈々は少し口ごもって、深呼吸をして、ゆっくりと告げた。
「小学生の頃から、死にたかったんです」
*
冬に一緒に買ったお揃いの灰色のブラウスに着替える。私は黒色のズボンで、奈々はスカート。耳には同日に買った銀と翡翠色のピアスをつけて、奈々と一緒に練習したお気に入りのメイクをして私は家を出た。
私たちは少し北に移動していた。どうやら東北に私たちの探しているものがあるらしい。
電車に乗った。景色を眺めていた。都会から田舎へと景色は移り変わっていく。都会の明るく華やかな街並みから、住宅街、商店街、そして田んぼや畑。私はどちらかと言うと田舎のほうが好きだ。空気が澄んでいて、すべてを忘れさせてくれる気がする。
美しいと思ったものがあった。でもそれはとても崇高で、私には到底手が届かないものだと思っていた。人生何があるか分からない。私たちは今、それを求めて生きていた。それを完遂するためだけに行動していた。
電車から降りてさらに高地の方に向かう。奈々と手を繋いで歩いた。ずっと探し求めていたものがようやく手に入る。それなのに私の心は沈んでいた。本当にこれでいいのだろうか。もっと違う道はあったんじゃないか。後悔ばかりが押し寄せる。奈々の方を見ると、彼女はすでに覚悟を決めているようだった。
鈴蘭のお花畑を見つけた。私たちはそれを少しだけ摘んで、川の方に向かった。
少し汚いけれど、川の水を汲んでそれに鈴蘭を浸した。何を使おうが結果は変わらないのだから問題ないだろう。お互い無言でそれを眺めていた。私は今死の恐怖と戦っている。
もっと生きたいと思っていたはずだった。幸せになってやるんだと。死ぬのは怖かった。それでも、奈々と一緒ならいいと思ってしまった。奈々に友情でも恋情でもない、特別な何かを抱いていた。
しばらくしてから、奈々と一緒にその水を飲んだ。もう後悔はしない。それから彼女と色々なことについて話し合った。
「そういえば私たちが出会ったのは小学二年生の頃でしたね。私が絵を描いていたら、紅華の方から話しかけてくれて。そのアニメ好きなの?って」
「懐かしいね。私もちょうどそのアニメにハマってて、でもマイナーだから誰も知ってる人いなくてさ。奈々が描いてるの見つけたとき、すごい嬉しかったんだよ」
「小学三年生の頃に《幸せになれる恋のお呪い》をやったんですよね。詳しくは知らないんですけど、どういうものだったんですか?」
「お互いの名前を書いた人形の紙をそれぞれ用意して、それを誰にも見つからない場所に埋めるってやつだったよ。…今思い出したんだけど、あれをやったのは四月十日くらいだった気がする。わかんないけどね」
「え、そうなんですか。よく覚えていますね。それにしてもそのお呪いって…いえ、何でもないです」
奈々は何かを言いかけて、結局言うのをやめてしまった。
「小学六年生の頃には修学旅行がありましたよね。あのとき、紅華と一緒の班になりたくて必死だったんですよ」
「え、そうなの?初めて知った。」
「初めて言いましたからね。」
二人でクスクスと笑い合った。
そうして一時間が経っただろうか。段々と毒が効き始める。気分が悪くなってきた。頭痛とめまいもひどい。
手足がしびれて動けなくなる。あぁ、そろそろ死ぬんだなと実感してしまう。
「来世は数千年に一度の美少女に生まれてアイドルとして全人類を魅了しちゃいますから。探し出してくださいね」
「うん、もちろん。絶対に見つけ出すからね。来世も一緒」
奈々はふふっと笑って、嬉しいと言ってくれた。
「これはきっと恋愛感情ではないけれど、私は紅華とずっと一緒にいたいと思っていますよ」
「私も」
「私、ずっと死にたかったけれど。紅華と過ごしている時間だけは幸せでした」
私たちはお互いが唯一無二で、かけがえのない存在で。結局私が奈々に抱く感情が恋情なのか友情なのかは分からなかったけれど、それでいいと思った。関係に理由をつける必要なんてない。曖昧でいいんだ。
薄れゆく意識の中、なんとなく思った。あのお呪いは《死逢わせになる故意のお呪い》だったのかもしれないな、と。
*
死ぬのは怖かった。でも、奈々と一緒なら怖くなかった。あの事件があってから、僕の中での死に対して悲観的な感情はなくなっていた。
僕が覚えている一番最初の記憶は、たくさんのアイドルが出演するテレビ番組を眺めてことだ。あの時から僕は何かを探していた気がする。
ずっと遠い、でもとても愛おしい誰か。
すべてを思い出したのは小学三年生の春。四月十日。
それからは必死だった。自分の手の届く数少ないマスメディアを駆使して必死に奈々の生まれ変わりを探した。
けれど答えが見つかるはずもなく。
もしかしたらそんなもの幻想だったんじゃないか、夢だったんじゃないかと思い始めてしまった。それにもし現実だったとして、僕は奈々のことを覚えていても、彼女は前世の記憶がないかもしれない。だとしたらアイドルになることもない。それか、彼女だけ生き残ったか。心中は成功していなくて、奈々は今頃自殺の代償に苦しんでいるかもしれない。どちらにしろ、八十億人の中から一人を探し出す気力なんて僕にはなかった。
そのうち僕は歌番組を見るのをやめた。
高校一年生の三月、花粉が忌々しくなってくる季節。終業式のすぐ前のこと。何やら最近話題になっているアイドルグループがいることを女子たちの会話から知った。最初は意にも留めていなかったが、二年生の四月、始業式になっても騒いでいたので気になって調べたのがきっかけだった。
いた。そこに、彼女が。見た目が変わっていてもわかる。彼女の面影を感じる。気のせいだ、期待するな、と思っていても早まる鼓動を抑える術なんて持ち合わせていなかった。
急いでスマホで彼女のプロフィールを調べる。好きな飲み物は氷水で、趣味は音楽を聴くこと。特に好きなのは数十年前のアイドル、僕たちが好きだったアイドルグループだった。特技は歌うことで、不得意なことは探し物。
会って話してみたかった。でももし僕のことを覚えていなかったら。相手は大人気アイドルグループのメンバー、片や僕はただの一般人で、男子高校生。近づくことはできても、一緒にいることなんて不可能だった。
それでも、もしかしたら覚えていてくれているかもしれない、と僅かな希望にすがるしかなかった。
その後は精一杯だった。どうにかして彼女に会う方法を探した。真っ先に挙がったのはライブだった。しかしどれも倍率が高く、その上値段も高いと来たものだから高校生が簡単に手に入れられる権利ではなかった。
やっとチケットが当たったと思ってライブに行ったけれど、よく考えたら数多のファンの中から僕を探すなんて無理なことに気がついた。目が合うかどうかすら怪しい。
数年後には彼女らは国民的アイドルグループにまで発展していた。もう道はないのかもしれないと途方に暮れていたときのこと。紅茶とお菓子を買うために僕は久々に外出した。道を曲がった瞬間、目の前の女性がハンカチを落とすのが見えた。
「あの、ハンカチ落としましたよ」
そう言って女性に声を掛ける。
振り返った彼女を見て思った。
あぁ、あれは本当に《幸せになる恋のお呪い》だったんだな。
幸福の服毒 @yumeme
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