第10話 密談


 時は、あの夜にさかのぼる。

 松緒の正体が東宮に明かされてしまった、庚申待ちの夜のことだ。

 近くに人影がいないことを確かめた後、松緒はひそかに東宮御所に連れていかれた。

 東宮御所、すなわち、東宮の住まいだ。

 すでに人払いはされているらしく、だれもいない。


「あなたと同じだ。信用のおけない人間は極力置かないようにしている。理由はもう少し政治的だけれど」


 松緒は、東宮にすすめられた畳に座った。気分はと畜場に運ばれる子牛のような気持ちだ。

 東宮は、普段の御座所と思われる上座の畳……ではなく、近くの畳をよっこいせと自分で運び、松緒の畳にくっつけるようにして座った。

 小さな火が揺れる灯台あかりだいを挟んで、一組の男女が至近距離で向かい合っているような具合になった。


「……近くないでしょうか?」

「密談だからな」


 確信犯の東宮はくく、と笑う。胡坐をかいた膝をぽんと叩くと、明るい声で、


「さあ、込み入った話になるが、気持ちは楽にしてくれていい。別にあなたに危害を加えるつもりもないのでね」


 そのように言うけれど、松緒からしたら怪しさ満点である。

 さすがに相手は東宮だから、嘘を言わないとは思うが。


「東宮様は、姫様の敵でしょうか」


 松緒にとって大事なことはそれだった。

 東宮は二度も身代わりの松緒の前に現われ、松緒を翻弄したのである。


「姫様の何を知っていて、あのようなことをおっしゃったのですか」

「『あのような』とは?」

「『あなたの主人が何をしていたか、知っているか』と申されていたでしょう」


 東宮は近くに用意された酒の器を引き寄せて、手酌で飲み始めた。

 こちらは東宮に仕えている立場でもなんでもないので酌もしないが、松緒にもすすめてきたのはきっぱりと断った。酒よりも、松緒にとっては素面で主人の話を聞くほうが重要なのだ。

 松緒に断られた東宮は、肩をすくめてから、唇を湿らせるように少しさかずきの酒に口をつけた。

 

「ああ、そうだったな。……実のところ、あなたが本物の『かぐや姫』ではないことは当初からわかっていた」

「……は? 当初から、というのはいつから」

「出仕した当初から」

「どうやって」

「かねてから、桃園第には間諜(スパイ)を潜り込ませていたのだ」


 彼は目まぐるしく頭を回転させながら、一言一言を噛みしめるように言葉を発する。

 世間の評判では「野性的」だとか評されている東宮だが、本質は目の前にいる理性的な面にあるのだろう。

 

――でも、だからといって、これまでの行いの理由を聞いても、私が許す理由にはならない。


 間諜が潜り込んでいたという話も大事だけれど、それよりも。


「つまり、東宮様が、目の前にいる尚侍ないしのかみがだれかわかっていた上で、御簾越しに言葉を交わし、夜にはその偽物のところへやってきて脅迫めいたことをされていたとおっしゃるのですね。偽物だとわかった上で!」


 東宮のくせになんて卑劣なやつなんだ。松緒は心中で憤慨した。


「あなたはかぐや姫からもっとも信頼されていた女房だった。ゆえに事情も知っているだろうと揺さぶりをかけていたのだ。だがあなたは結局、何も知らない様子。だとすれば味方に引き入れるのが得策だと判断した」

「私は、姫様の味方です。死ぬのも、その先が地獄であってもご一緒すると心に決めております」

「そうか」


 東宮はつまらなさそうな相槌を打って、盃の中身をぐいと飲みほした。


「だが、あなたもあの女が何を考えていたのか、知りたくないか? 俺に協力すれば、それが叶うだろう」

「姫様はあの女ではございません!」

「……あなたはかぐや姫のことになると、犬のようにきゃんきゃんわめく。どうかと思うぞ。もう少し可愛げが……すまん、もう言わないから侮蔑の視線を向けないでほしい」


 松緒は浮かしかけた腰をすとんと下ろした。

 空気が動き、頼りなげに灯台あかりだい灯影ほかげが揺れる。


「『不死の妙薬』について耳にしたことは?」

「噂程度しか知りませんが。……先日も、『不死の妙薬』を口にした衛士が庚申待ちの後に行方不明になり、中毒で死んだと聞いています」


 中毒性の高い薬で、都中に蔓延している。高位貴族にさえ死者が出た。そのため、帝は禁制とした。

 松緒は、後宮に来るまで人の噂話には疎いほうだったから、市井しせいの者であればもっと詳しいだろう。


「そうだ。あなたにとっては庚申待ちの行事の成功に水を差されたようであまりよい話ではないだろう。主上おかみも残念がっておられた」


 なぜここで帝に話題が及ぶのだろうと思ったのだが、いまさらになって気が付く。

 今回の宿下がりを申し出た際に、何人かの女官から気遣いの文が届いていたのだ。


――行事を主宰せよとの命は、主上おかみの心遣いだったのね。「かぐや姫」が宮中で居場所を作れるように。


 松緒は帝をちょっと見直した。よくわからない思考回路を持つ宇宙人だけでもなかったらしい。と、思ったが。


「申し訳ありませんが、確認したいことが。主上おかみは、この身代わりの件は御存じなのでしょうか」

「いや。この件は一旦、おれのところで留めているよ。報告があったとはいえ、慎重に進めたかったからな。だが、「かぐや姫」に、ある嫌疑がかかっていることは承知されている」


 帝に報告されていなかったことにひとまず安心はするけれど、かぐや姫の嫌疑について話が及ぶとそれどころではなくなった。


「……姫様に、何の嫌疑がかかっているというのですか。不死の妙薬と関わりなんてありませんよ?」


 松緒は不安を押し殺して告げる。

 かぐや姫は深窓の姫君であって、犯罪に関わる余地など何もない。松緒も傍にいたのだから異変があれば気が付くはずだ。

 

「関わりがあるからこうして話しているのだ。現に、内偵の手が身近に迫っていたのを察したのか、かぐや姫はいなくなっている。……なんとかして後宮に呼び出せれば、内々にじっくり話も聞けたのだがな、彼女はそれを拒んだということだ」

「姫様がいったい、何をしたというのですか」

「不死の妙薬の流行を後押ししたと思われる」

「……なんですって」

「かぐや姫。月に帰ったとされる絶世の姫君と同じように評される彼女が、不死の妙薬を都に広めている」


 嘘です、と反射的に松緒は呟いていた。

 目の前の失礼な男は何を言っているのか。虚言で松緒を混乱させようとしているに違いない。

 松緒の「かぐや姫」は心まで美しい人だった。松緒を拾って、松緒とともに育ち、松緒をいつも傍に置いて、大事にしてくれた。


――老後は、椿餅を売りながら姫様と静かに暮らすの。


 かぐや姫は男嫌い。だれの求婚を受け入れなかったから、松緒が最期まで面倒を見ようと思っていた。年をとって、都中のだれも「かぐや姫」を気にしなくなり、しわくちゃの老婆となった「かぐや姫」でも松緒の姫様であることに変わりはないのだから。

 怒りで膝の上の拳がぶるぶると震えた。視界が滲んでいく中、かろうじて狼狽した東宮が映っている。


「私は信じません」


 松緒は一音一音をはっきり区切るように告げた。


「姫様を信じています。姫様が犯罪に加担するはずがありません」


 松緒は立ち上がって、東宮を見下ろした。


「協力が必要なのであれば、従いましょう。しかし、それは姫様の無実のためです。姫様が無実であることを証明するには、真実を見つけるしかないのですから。……それに、私自身、いなくなった姫様を見つけたい」


 松緒は一呼吸置いた。


「今のお話では、姫様が単に「巻き込まれた」可能性もあるかと存じます。ならば、一刻も早く姫様を見つけなければならないのですよね?」

「そのとおりだ」


 松緒は目を伏せた後、再度、その場で座り直して頭を下げる。東宮へ、臣下としての礼を取る。


「承知いたしました。……東宮の仰せのままに」

「よろしく頼む」


 こうして、東宮との密約が成った。




「この参道は、姫様とも何度も歩きました」


 布が垂れた笠をかぶった松緒は、隣にいる東宮を案内していた。


「寺で何日か参籠する前は、少し歩きもしましたが、寄り道はほとんどなかったように思います」

「他に思い出すことはあるか」

「……そうでした。参道を外れたところに荒れた邸があって、幼いころに探検と称して入り込んだことがあります。後でばれて、こっぴどく叱られてしまいましたが」

「では、そこへ連れていってくれ」

「わかりました。……ではこちらへ」


 松緒が徒歩なので、東宮も徒歩である。高貴な身分の者は馬などを使うだろうが、東宮は頓着していないようだった。


 ――そんな人だから、東宮らしくなく犯罪事件に自ら首を突っ込むような真似をしているのでしょうけれど。


 どちらにしろ、東宮はかぐや姫を疑っているため、松緒の敵である。敵ではあるが、松緒よりいろいろ知っていることも多いので、彼についていけば、かぐや姫の行方もわかるはず。呉越同舟ごえつどうしゅうの仲というもので、利害関係が一致しているから協力しているに過ぎない。


 ――私が思うに、怪しいのはあの子。あの子が姫様を巻き込んだ……。


 思い出すたびに腹立たしくなる「あの子」だ。

 松緒が遠ざけられた後、一番かぐや姫の傍らにいた新入りの女房。


『傍らに、片腕となる者がいたはずだ』


 東宮に指摘されて、はっと思い出した女房がいた。名は「あずま」。東国の出なのでそう呼ばれていた。新入りだったが、松緒より年上で、背がすらりと高く……。

 彼女が来るようになってから、松緒はそれとなくかぐや姫から遠ざけられるようになっていったのだ。

 だが、理由もわからないが、彼女は突然辞めてしまった。かぐや姫の出仕が決まった後のことだ。

 かぐや姫自身の出奔より前の出来事だったから、今まで気に留めていなかった(嫉妬心でおかしくなりそうだったので考えなかったということでもあるが)。しかし、彼女が怪しいと言われたらそう見えてくるもので。


「さすがに何の手掛かりもない、か……」


 辿り着いた廃屋の周辺を歩きながら、東宮はそう結論付けた。

 辺りには人気もなく、鬱蒼と茂った背の高い草と、崩れかけた廃屋があるだけだった。


「かぐや姫は滅多に外出しなかったし、外部の者と接触できるとすれば、寺社参詣の時しか考えられないのだが」

「姫様は、寺社参詣がきっかけで巻き込まれたのかもしれないのですね……」


 東宮が、もの言いたげにこちらを見て来たが、松緒は気にしないようにしている。


「ひどいではありませんか。姫様はとても信仰熱心でいらっしゃいましたのに。参籠の時は、いついかなる者も寄せ付けないで、ずっと祈願なさっておいででした」

「いついかなる者も? それはあなたも?」

「そうですよ? 姫様ご自身で出てくるまでは、私たち女房は近づけませんでした」

「なるほど。その時に接触できたのか」

「違います。私たちはすぐお傍に控えていましたし」

「だが、あなたはその間、姫君の姿を見ていないのだろう。参籠の室の仕切りでは、やりようはいくらでもある。それこそ参籠の間、『身代わり』を立てることもできただろう」

「東宮様は、どうしても姫様を悪人にされたいご様子ですね」


 松緒はここぞとばかりに例の文を見せた。庚申明けの朝にかぐや姫の元に投げ込まれた結び文である。


「なんだそれは」

「見覚えはございませんか? 庚申待ちが明けた朝に、文箱の上に置かれていました。東宮さまのご意志ではございませんか?」


 東宮は文を手に取って、舐めるように観察すると、

 

「いや? おれの字はもう少し上手いぞ。その字は下手くそじゃないか」


 そう言って、文を返してきた。

 松緒は、東宮の様子が自然に見えたので、ひとまず嘘ではないと判断した。それに、庚申待ちの夜は途中から東宮御所に拉致られていたのである。わざわざ別で文を渡す必要もない。


「姫様の秘密を知る者が、東宮さまと別にいらっしゃるのかもしれません」

「それはぜひ送った本人に尋ねてみたいところだなぁ。秘密、という曖昧なことを言って、こちらを揺さぶるつもりなのかもしれない。変に反応しないことをおすすめするよ」

「……あの夜、私が姫様の声を聞いたことと、何か関係があるのかもしれません」

「声だけじゃないか。空耳かもしれない」

「いいえ。あれは間違いなく姫様でした。姫様は、お声でさえ、この世のものではないほどに整っていらっしゃるのです」


 松緒がきっぱり言えば、東宮は呆れた様子で「なるほどなるほど、そりゃすごい」と気のない返事をする。


 ――信じてなさそう。


 不本意な気持ちになる。

 それから松緒と東宮は参道まで戻ってきた。

 おもむろに東宮が松緒の体を自分の後ろに隠した。


「東宮さま?」

「余計な詮索をされたくなければ、しばらく話さないほうがいいぞ」


 東宮がそう囁く。

 前方から狩衣姿の二人組が小走りにやってきた。


「東宮さま!? どうしてこのようなところへ?」


 息を切らしながら声をあげたのは蔵人頭くろうどのとう長家。柔和な面差しに驚きの色をあらわにしている。

 そして、もうひとり。東宮に向かって頭を下げた若者は、近衛少将行春だった。庚申待ちの行事に客人として参加していたものの、楽人希望を取り下げた合奏の夜以来の対面である。

 とはいえ、今の松緒は名無しの姫君だ。あえてかぐや姫を演じる必要はない。広い背中に隠れて、東宮と二人組の会話に耳を傾ける。


「たまにはお忍びもよかろう。よい気晴らしになるぞ」

「型破りなことをなさるのも大概になさったほうが。息が止まるかと思いました」

「長家も参拝か? 友人同士連れ立っていくのも悪くはなかろう」

「そのようなものです。とはいえ、私は気が向いただけのことでして。行春は両親の参詣について参ったところ、私と出くわしたのですよ」


 長家の視線がちらちらと松緒のほうにも向けられている。

 声を発すれば「かぐや姫」のことがばれてしまうかもしれない。

 東宮は袖を広げた。袖で遮られることで、松緒の姿はさらに見えにくくなる。


「掌中の珠なのだ。残念ながら見せられぬ」

「そうなのでしょう。……失礼いたしました。それでは東宮さま、御前を失礼いたします」

「長家。そなたのことだ、わかっていると思うが、みだりに口にしてはならぬこともある」


 東宮が「この場にいたことは口外無用」との意を示せば、長家は神妙に頷いた。


「承知しております」

「行春も、わかっておるな?」

「ご心配は無用のことにて」


 言葉少なに行春も答える。

 東宮は松緒の手を引いた。


「ゆくぞ」


 大きな手に握られて、松緒は閉口しながらついていく。

 相手二人も背中を向けて遠ざかっていくのを確認すると、やっと松緒は安心して口を開いた。


「東宮さま。手を放してください」

「不可抗力だと思え」


 東宮はぱっと松緒の手を離した。

 早々に言い訳を口にしたということはやましい気持ちがあったに違いない。


 ――男は狼だものねぇ。


 この世界、男は積極的なのだ(意味深)。うまく身を処す術を身につけなければ、あっという間に丸裸にされてしまうだろう。文字通りの意味で。


「東宮さまは……」


 そう言いかけた時。

 いたずらなつむじ風が巻き起こった。

 ばたばたと笠から垂れた布を揺らして、合わせ目から松緒の素顔が一瞬、あらわにされた。


「おいおい、無防備だぞ」


 東宮が呆れたように、松緒の笠をもう一度深く被せかけた。

 群衆はだれも気に留めていない。参拝にくる貴人は多くはないが、少なくもない。景色に埋没した男女の一幕は、ありふれた光景として過ぎ去るはずだった。

 しかし。

 彼は見ていたのだ。その時、何の因果か、東宮の傍にいた女が気になって、振り向いたのだ。

 気まぐれの風に、松緒の素顔を垣間見た。

 

「……ね、うえ……?」


 東宮が現れた時よりもよほど愕然とした顔で惚けていたのだった。


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