第8話 女たちの「百鬼夜行」

 庚申の夜がやってきた。

 この日はいつもよりも盛大に燈籠とうろう篝火かがりびで後宮がきらびやかに照らされているように感じる。

 そして、人もどこか浮き足だっている。耳を澄ませば、期待に心落ち着かぬ人々の囁き声が聞こえるようだった。


「尚侍さま。すべての支度が整いました」


 須磨が、松緒の前で平伏した。

 いつもの、「かぐや姫」の室……ではない。

 彼女たちは行事の行方を見守るため、別の殿舎に作った控室にいた。

 

「ご苦労さまでした。……では、はじめてください」

「承知いたしました」


 須磨が御簾向こうに下がった。

 やがて、遠くで合奏がはじまる。

 御簾の前を、人影がぞろぞろと通っていく。

 人影とは言いつつも、その「形」はさまざまだ。

 乱れ髪をそのままに歩く、男が着る狩衣をまとった者。

 かなえや穴の空いたたらいを頭に被って、白装束をまとった者。

 はたまた両腕を振り上げて踊りながらつるりとした脛を見せながら歩く「水干姿の童」たち。

 あらいやだ、おかしいわ、こんなの。

「彼女たち」の、けらけらとした笑い声が響いている。


「弟の狩衣を借りてきたの」

鬼女きじょになってやったわ。つれないあの人に見せつけてやるのよ」

「このきれいな足を見せつけて、玉の輿を狙うのよ」


「彼女たち」は後宮にいる女官たちだ。普段は女装束を着ているが、今宵はいつもより性別や年齢が異なる衣装を身に纏ってもらった。

 彼女たちには後宮の廊を練り歩いてもらう。先々で、帝をはじめとした見物人が待っている。

 女たちの仮装による「百鬼夜行」。

 彼女たちにはひとりひとり籠を持たせていて、中に入っている唐菓子を見物人に配り歩くことになっていた。

 これが松緒の考えた庚申待ちの行事である。


「それはさながら和製ハロウィンのごとし……」

尚侍ないしのかみさま。今なんと?」

「いえ、なんでもありません」


 須磨にひとりごとが聞こえてしまい、松緒はごまかした。


「本当によかったです。みなさま案外、突拍子もない思いつきでも乗り気になってくださって。須磨が声をかけてくださったおかげです」


 後宮の女官をまとめる重鎮が動いたのも大きいだろうと告げたら、須磨は遠い目をしていた。


「それだけでもございませんよ。あの子たちは、娯楽に飢えていますからね。珍奇なものに飛びついて、騒ぎたかっただけでしょう。こうしてハレの場を作ることで、普段の生活で抱えた鬱屈したものを解き放っているのですよ。わたくしめはもう若くないので、そのような元気もありませんが」


 須磨はいつもどおりの落ち着いた色合いの女装束をまとっている。

 松緒はおもむろにあるものを差し出した。


尚侍ないしのかみさま、それは?」

「見ての通り、用意した唐菓子とうがしです。庚申待ちが終わってからと思いましたが、気が変わりまして」

「……必要ありません」

典侍ないしのすけをねぎらうのは内侍ないしのかみの義務ですよ。たいしたものでないので、さっさと受け取ってしまうのです、さあさあさあ」

「強引な方ですね……」


 呆れたように須磨は菓子を受け取り、ぽりぽりと齧り始めた。

 行事の運営側は、準備が終わって、段取りがすべて整っていれば、あとは突発的なことに備え、行事を見守るのみである。


「練り歩きが一段落しますと、池の舞台で内教坊ないきょうぼう(後宮で芸能関係を司る部署)の女官たちが舞を披露いたします。その後は徐々に遊興の場となるでしょう。わたくしめは後片付けの指示を含めて見回りをいたしますが」


 須磨はここで言葉を切ると、


「……本当に『そのように』されるので?」


 そう、念押しのように尋ねてくる。

 もちろんと「かぐや姫」は答えた。


「このような時しか、機会がないでしょう。須磨からしたら、気を遣うでしょうし、その点は申し訳なく思いますが」

「いえ。尚侍ないしのかみさまをお支えするのが役目でありますれば」


 須磨は平伏した。

 

「助かります。では、そろそろわたくしも着替えてきます。須磨は、また声をかけてください」

「承知いたしました」




 身に付けるのは桃色の狩衣。袴は藍色。髪はひとつにまとめ、女のように薄布を巡らせた笠をかぶる。薄布でも顔は透けてしまうので、紙の面もつけている。

 男のような、女のような。

 異様な恰好をしている。しかし、今宵の喧騒では、それがかえって自然と言えるだろう。

 実際、須磨の後ろをついて回っても、「だれかしら」と思われる眼差しを向けられるだけで、特に目立ちもしなかった。

 姫君は、姫君たる恰好をしているから姫君だとわかるのであり。

 ならば、今の異装の「かぐや姫」は、中身が「松緒」なのだから、「かぐや姫」と見られることもないのかもしれない。

 本来の松緒は、後宮にはいない人間である。


 ――今の「私」は、いったいだれだろう?


 燈籠や灯台から少し離れれば、いくら後宮内でも闇が広がる。こころもとない気分になる。闇が松緒という存在を呑み込んでしまうのではないかと……。


尚侍ないしのかみさま」

「はい」


 先導する須磨の声に反射的に応えたことで、胸に生まれた疑問が霧散した。

 今は、後宮内で、須磨による案内を受けている。

 尚侍ないしのかみとして、後宮のことをもっと知りたいと思っていたのだ。

 須磨が、行事の合間に見回りをすると聞き、ついていこうと決めた。

 普段は重い立場にあることと、かぐや姫の秘密があるためになかなかできないが、庚申待ちで大勢の者が普段と違う装いをする今夜ならば、人目も避けやすいのが決め手となった。

 須磨は、「かぐや姫」の申し出に渋々了承し、今に至る。

 実際のところ、仮装した者たちを眺めるのは楽しかった。どさくさに紛れて、須磨も松緒も、もらった菓子で、袖が重たくなってきた。松緒はおまけだろうが、須磨は女官たちに信頼されているのがよくわかる。


尚侍ないしのかみさまをはじめ、なぜみながわたくしめに菓子を渡すのでしょうか」


 本人が一番困惑していた。

 池の舞台近くに差し掛かった辺りに、人が大勢集まっていた。

 楽の音がゆったり流れる中、舞姫たちが舞を披露している。

 もっともよい席には御簾が下げられていた。帝が鑑賞する席だ。

 松緒たちは、それらにこれ以上近づくことなく、人が楽しんでいる様子だけ眺めて、見回りに戻ろうとした。

 ところが。


「須磨さま。こちらで碁を指してください。助っ人が必要なのです」

「そんな。ずるいです。左方の味方はなさらないでくださいまし。右方の助っ人に」


 両腕を掴まれた須磨が困惑していた。


「だめですよ。わたくしめは行事を見回る必要があるのです」

「ちょっとだけ! ちょっとだけですから!」

「そうですそうです。須磨さまも楽しんでくださいませ」

「い、いえ。ちょっと……」


 珍しく押され気味の須磨が有無も許さず連れていかれた。

 松緒はひとりきりになった。

 先ほどまでの須磨の案内によれば、控室まではそう遠くないはずだと思い直し、記憶を頼りにひとりで歩き出す。

 ひそかな話し声が聞こえたのは、その時だった。

 女の声。

 忘れもしない、松緒が願ってやまない声が。


「姫様……!」


 松緒は声のある方向へ夢中で駆け出した。廊を渡り、妻戸をのぞきこみ、几帳の裏を見る。


――どこ。どこ、どこ! 姫様、ここにいらっしゃるのですか……?


 唐突に、胸に衝撃が走る。よそ見をしながら早足になっていたため、だれかとぶつかったのだ。

 松緒はよろけた。笠が拍子に落ちてしまう。


「だいじょうぶか」

 

 それでも、紙の仮面があるから平気だと思った。たとえ、月明りがそそぐ濡れ縁であっても、松緒の顔を見る者はいない。

 ただ……。

 松緒は傍らにその仮面が落ちているのを見て、頭が真っ白になった。

 笠が取れた拍子に落ちてしまったのだ。

 ……遠くで、須磨の声が聞こえた。尚侍ないしのかみさま、いらっしゃいますか。


尚侍ないしのかみ……?」


 震える松緒は、自分を抱きとめている男の顔を見上げることはできなかった。ばっと袖で顔を隠しても、もう遅いだろうが。


「ち、ちがいます。……べつじんでございましょう」

「『ごみ虫』か……」


 ぽろっと零した言葉に、松緒の頭は猛烈に回転した。

 ごみ虫。以前、松緒は自分自身をそう言ったことがなかったか。

 今度は、別の足音が聞こえてくる。廊ではなく、地面の砂利を歩く音だ。

 

「東宮さま、いずこにおわしますか、東宮さま……!」


 ああ、面倒なことになった。

 男はひとりごとを言いながら、松緒の頬に手を這わせ、そっとその方向を外ではなく、己に向けるようにした。


「人に見られたら嫌だろう? あなたは今、名もなき姫に過ぎない。逢瀬のふりでもするのが妥当だと思わないか?」

 

 松緒は堅く瞑っていた目を開いた。

 相手がだれかはもうわかっていたものの、信じられない気持ちでいっぱいだった。


「東宮様」


 男の顔は月影に隠れて、細かい表情は見えない。自分の方はそうでないのに。


「身分の尊い方が、姫様につく『悪い虫』とは思いませんでした」

「あなたこそ、大胆なことをしているのでは。今のあなたを須磨の前に出せば、あなたをだれと呼ぶと思う?」


 東宮だ。

 この男が、かぐや姫の殿舎に入りこんだ、不届き者なのだ。

 松緒は精一杯、東宮を睨みつけた。気持ちの上だけでも負けてたまるか。その思いだった。


「さあ、互いの正体がわかったところで、腹を割ってこれからのことを話し合おうじゃないか。……かぐや姫の秘密について」


 そう言いながら、東宮は手近な殿舎の暗がりに松緒を連れ込んだのだった。




 庚申待ちが明けた朝。

 多くの人がようやく眠りについた後のこと。

 宮中を守る衛士えじが、後宮の外れの草むらで倒れる人影を見つけた。

 覗き込めば、男が目を見開き、口元から泡をふいたままで死んでいる。

 奇しくもそれは彼の同僚で、昨夜から行方がわからず探していた者だった。途中まで共に警固の役目についていたのに、ふいにいなくなってしまっていたのだ。

 衛士は数人の仲間を呼び、急いで遺体を外に運ばせようとした。

 宮中に死の穢れは許されるものではないからだ。

 衛士たちは持ってきた戸板に遺体を乗せる。その時、ぱさり……と何かが落ちた。

 それは薬包紙に包まれていて、少し零れた粉は、日に照らされてきらきらと光る。

 まさかと思って、舌先に含んだ衛士は味を確かめるとすぐに唾ごと吐き出した。


「『不死ふじの妙薬』だ……」


 彼が呟けば、周りの者も静まり返る。

 すぐに上に報告しなければ、とみなの意思が一致した。


 


 翌朝、松緒はいつも文をまとめていた文箱ふみばこの上に見慣れぬ結び文を見つけた。ごわごわとした手触り。開けて見れば、心臓がどきりと跳ね上がる。

 すぐさまぐしゃりと文を潰し、袖に隠した。相模に見つからないように。


『かぐや姫。秘密を知っているぞ』


 昨夜、松緒はいなかった。庚申待ちの行事のため、戻らなかった。自室にて待機していた相模に客人がいないか尋ねてみれば、そんなものはいないと言った。

 ただ、松緒の戻りが遅いので、須磨が探しに来た時、相模も近辺を探していたので、室を開けていた時があったという。

 不審な文はその時に内部に入った何者かの手によって入れられたのだろう。

 いつでも『秘密』を暴けるぞ、という無言の意思表示だ。

 混乱しているうちに、須磨がやってきた。

 

尚侍ないしのかみさまとはぐれた時には肝が冷えました……。わたくしめの不徳の致すところで申し訳ございません」


 彼女は深々と頭を下げていた。


「あの後に、突然、様子がおかしい男が乱入してきたと騒ぎがございまして。尚侍さまにもしものことがあってはと……」

「尚侍さまはご自分で戻ってこられました。わたしはこちらで控えていたのですが、まさかそのようなことが起こっていたなどとはつゆしらず……」


 傍らにいた相模さがみが、須磨に応じるが、ふと松緒を見ると、


尚侍ないしのかみさま。どうされましたか。あまりお加減が……?」

「え、ええ……」


 松緒は曖昧な返事をした。

 心の中は嵐である。大嵐だ。暴風と大雨がおさまらない。

 気が気でないので、言葉もすべて上の空だった。気がかりなことが多すぎる。


「ご自分のせいだとは思わないでくださいませ」


 須磨はそう慰めた。

 先日の庚申待ちが明けた朝に、宮中に死人が出た話である。

 相手は衛士だったとのことだが、中毒性が高いために禁止されたはずの「不死の妙薬」を大量服用したために死んだらしい。

 今、宮中はその噂でもちきりなのだ。


「わかっていますよ。……ただ、わたくしはこれから主上おかみに数日の宿下がりを願い出ようと思っています」

「……え」


 その時の、茫然とした須磨の様子は忘れられそうにないだろう。まるでがっかりしたとでも言いたげだった。


「実は乳母の身体の調子が悪いのです。この際に、病の平癒を願って寺社参詣に出かけるつもりなのですよ」

「まことでございますか」

「はい」


 松緒がはっきりと頷くと、須磨はいつものように淡々とした調子に戻る。


「承知いたしました。お帰りをお待ちしております」


 そう告げて退出した。

 傍にいるのが、相模だけになる。彼女は不安そうに松緒を見ていた。


「なぜ、急に……?」


 それは、松緒を近くで見ていた彼女がずっと考えていただろうことだった。


「姫様の乳母は健在です。嘘をついてまで宿下がりする理由は……」

「ごめんなさい。言えないの」

「松緒。無理はしないで」


 松緒は何も言えなかった。

 相模にも、理由は告げられなかった。

 

 

 三日後。

 「かぐや姫」は慌ただしく宿下がりをした。

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