あの日

身ノ程知ラズ

第1話

「じゃあ、行くか」


そう言った父は僕を車に乗せアクセルを踏む

僕はこの車が好きじゃない

タバコの匂いが染み付いているし何より父の運転が危なっかしい

田舎でもない公道を平気で100km出して走るし

急ブレーキや急カーブなんて日常茶飯事だ

そんな車に僕は半ば強引に乗せられ酔いそうになりながらもスマホを眺めている


「昼、何がいい」


信号待ちの間、スマホをいじりながら父が聞いてくる


「別になんでも」


「そういうのが一番困るんだよなぁ…」


聞こえるか聞こえないかぐらいの小声で呟く

そう言われても本当になんでもいいのだから仕方がない

結局少し行った場所にあったサービスエリアに寄り僕はラーメンを、父は何も食べずに水を飲んでいた

1時間運転した後だしこれから1時間以上運転するはずなので何か食べた方がよいのではとも思ったが、声に出しては言わなかった

食事中、会話は一切なかった

仕方ないといえば仕方ない、実に5年ぶりの再会である

小学5年生の時に最後に会った息子が高校1年生になっているのだ

どんな話題で話せばいいのかお互いに分からなかった

車に戻り再び出発する、と同時についに父が口を開いた


「もう8年か…あの時はすまなかった」


僕は返事に戸惑い8年前、小学校2年生の頃を思い出す

あれから8年か…

父が母に日常的に暴言を吐くようになってから8年

父が母に日常的に暴力を振るうようになってから8年

母が父に離婚届を突きつけてから8年

訳もわからず父と離れ、母と2人で暮らすようになってから8年

父も母も嫌いじゃなかった、むしろ大好きだった

小学校2年生から5年生までの3年間、3か月に1回くらいの頻度で母に内緒で父と会ってご飯を食べたりしていた

ところが小学5年生のある日、父と会っていたことが母にバレてしまいそれからというもの、父が内緒で家に来ることはなかった


「別に…」


その場を凌ぐため曖昧な返答をする

本当は「別に」な訳がなかった

もっと謝ってほしかった、それまで幸せだった家族の仲を引き裂いたこと、僕の日常をめちゃくちゃにしたことを謝ってほしかった

ただ今となってはそんな上辺の謝罪などもう必要ない、自分の中で気持ちは切り替えたつもりだ

この人はもう家族ではないと、今日会うのでもう最後だと


車が目的地に近づいてくる、徐々にあの日の記憶が思い出される

「目的地周辺です」という無機質な音声と共に車は駐車場に入る

バックする際、一瞬だけ見えた父の目元が赤くなっている気がした

車を降り、横に並んで歩き始める

父は相変わらず喋りかけてこなかった、というより喋りかけることができなかったのだろう、時折鼻をすする音が聞こえる

ようやく着いた


「本当に、本当にすまなかった…!」


父はそう言って涙をボロボロ流し、膝から崩れ落ちる

僕に言ってるのか、母に言ってるのか分からなかった

この言葉を聞いて母は何を思うのだろうか


一年前、女手一つで僕を育てるために働いていた母は出張中、東日本大震災の被害に遭い、別れの言葉も言えぬままこの世を去った

墓前で咽び泣く父親を母はどんな目で見ているのだろうか


気づくと僕は手を合わせながら泣いていた

その合掌は母に向けての感謝なのか

はたまた祈りなのか、自分でもよく分からなかった


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あの日 身ノ程知ラズ @mizoken

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