第8話 涙


 頭が混乱して、うまく状況を整理できない。

 どちらも言葉を発しない馬車の中、私の斜め向かいに座るのはリアム。

 彼は「目的地に着いたら話す」とだけ言って、黙り込んでしまった。御者に話を聞かれたくないのかもしれない。

 真っ直ぐに家に向かうはずだった我が家の馬車は、貴族街の大通りに向かっていた。

 リアムはずっと馬車の窓から外を見ている。

 鼻筋がとてもきれいで、彫刻のような横顔に見とれてしまった。リアムってこんなにきれいな顔をしていた?

 私のそんな視線に気づいたのか、彼がこちらを向く。私はあわてて視線を伏せた。


 回帰前、婚約者候補と言いつつ彼とはそう接点は多くなかった。

 幼い頃は我が家によく遊びに来ていたけれど、ある時期からぱったりと来なくなったのよね。

 それでも一年生の頃は、彼から私に接触してきていた。そして何度も忠告していた。アンジェラを信用するなと。

 私は大事な友達にそんなことを言うなんてと、彼を避けるようになった。

 ……馬鹿だったわ、本当に。

 そうこうしているうちに天才と言えるほど成績が良かった彼は、二年も早く学院に入学し、姿を見かけることすらなくなった。

 学園と学院は同じ敷地内ではあるけれど建物はかなり離れているから顔を合わせることは滅多にないし、学院には制服もない。

 それがどうして、学園の制服を着てあの場所にいたの?

 私を過去へ回帰させて、彼も過去とは違う行動をとっているということ?


 何もわからないまま馬車を降り、大通りを少し歩いてカフェに着いた。

 彼がウェイターに「二階使うから」とだけ告げ、階段を上っていく。私もそれに続いた。

 一階は満員に近いほど客が多かったのに、二階には誰もいない。

 不思議そうに見回していると、彼が「ここアメイシス家が経営してるカフェだから」と言った。

 少ししてアフタヌーンティーセットを運んできたウェイターが去ると、一階の賑わいからは考えられないほどの静寂に包まれる。


「どうぞ」


「あ、ありがとう……」


 せっかくなので、まずは紅茶を一口飲む。


「……リアム。さっき言っていたことだけど」


「俺が時を戻したってやつ?」


「そう。その……本当に?」


「ああ、そうだよ」


 あまりにもあっさりそう言うので、言葉が続かない。


「順を追って説明しようか?」


「え、ええ……お願い」


「まず、君は馬車に轢かれて死んだ。それは憶えているな?」


「……ええ」


 緊張に喉が渇いて、紅茶をもう一口飲む。

 馬に弾き飛ばされ、地面に落ちたあと馬と車輪に踏まれた感覚がよみがえる。

 思い出すだけで脂汗が浮かぶ、この世のものとは思えない激痛。

 いっそ即死していたほうが楽だった。


「俺が病室に駆けつけたとき、君は息を引き取る寸前だった」


 死の直前、男性の声を聞いた気がした。

 あれはリアムだったんだ。


「君のご家族の嘆き悲しむ声が、今でも耳に残っている。夫人はその場で気を失って……次に会った君の葬儀のときには、ひどくやつれてた。君の父君も兄君も、憔悴しょうすいしきった様子だった」


 喉の奥がぐっと詰まる。

 美しく優しいお母様。不器用なお父様に、ちょっと変わり者なお兄様。私の大切な家族。

 そんな人たちを置いて逝くなんて、私はなんて愚かだったんだろう。

 馬車に轢かれるあの瞬間、生きたいという強い気持ちがあれば、私のたいしたことのない精霊術でもなんとかできていたかもしれないのに。


「葬儀が終わって少し経った頃、君のご家族が女神の聖遺物“回帰の砂時計”を俺のもとに持ってきた。入手先は不明だが……」


 女神の聖遺物。

 女神が作ったと言われるこの大陸には、神の力を宿したいくつかの不思議なアイテムが残されているのだとか。

 当然貴重なものでおいそれと手に入るものじゃないし、買ったとしたらいったいいくら支払ったのか……。

 そもそも、市場に出回ることは滅多にないと聞いた。


「それを使って、あなたが時間を戻してくれたの?」


「ああ。女神の聖遺物は誰にでも扱えるものじゃない。かなりの魔力……それも魔術系統の魔力が必要だ。だから、君のご家族が俺にひざまずいて懇願こんがんしたんだ」


「それを、あなたは引き受けてくれたの? なぜ? 私は婚約者候補に過ぎなかったし、ましてやあなたを信用せずに……」


「アンジェラに夢中だったからな、君は。まあ愚かだとは思ったが、同時に哀れだとも思っていた。アンジェラはいつでも被害者面をしていて胡散臭い。君はどんどん孤立していく。それなのに彼女を信用するのをやめない」


「……」


「そして最後にはアンジェラを突き落とした犯人として死んだ。……それがあまりに気の毒だった」


「気の毒って……あなたは私がアンジェラを突き飛ばしていないって信じてくれるの? 何らかの調査の結果、それが判明したの?」


「いや、肝心の君が死んでしまったし、調査なんてろくに行われなかったよ。第二王子は罪悪感からかしぶとく調べていたようだが」


 つまり私が死んだあとも、私は「アンジェラをバルコニーから突き落とした犯人」だった。

 残された家族は、どれほどつらかっただろう。


「ローゼリア。助けてやれなくてごめんな」


「……えっ?」


 どくん、と心臓が痛いほどに動く。

 真っすぐに私を見つめる彼の瞳は、切なく揺れていた。


「卒業記念パーティーで起こったことをあとで知って、ひどく後悔した。みんなの前で犯人扱いされ、力ずくで押さえつけられて。悔しくて怖くて悲しかっただろう」


 どうして。どうして謝るの。

 私はリアムを信用しなかったのに。学院生だった彼はあの場にはいなかったのに。


「アンジェラを胡散臭いと思っていたのに、君に何もしてやれないまま死なせてしまった。あそこまでの事態が起きるなんて思っておらず、俺の見通しが甘かった。飛び入学なんてせず、君の傍で君の味方でいるべきたったんだ」


「どう、して……?」


「うん?」


「どうしてそんな風に言ってくれるの? どうして信じてくれるの? 私は、愚かで、あなたの言うことも聞かない、ただの嫌われ者で……」


 心臓がうるさくて、自分が何を言っているのかよくわからなくなってきた。

 息が苦しい。鼻の奥がツンと痛い。


「アンジェラに何か裏がありそうだと思っていたというのもあるが、俺は君が人を突き落とすような人間じゃないと思っている。幼いころに交流があっただけだが、俺はそう信じている。それなのに君を助けてやれなくて本当にすまなかった」


 ついに耐え切れず、涙がこぼれ落ちる。

 一度そうなってしまうと、それはせきを切ったようにあふれ出た。

 ああ、そうか。

 私はずっとこの言葉を言ってほしかったんだ。

 君はやっていないと信じていると。そんな人間ではないと。

 

 涙を止めようと思っても止められず、顔を覆う。

 誰にも信じてもらえなかった過去の私の悲しみが、涙と共に流れ落ちていった。

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