第23話 祭りの前に

 汽車を下りたら、ホテルは駅からさほど離れていないからと、徒歩での移動となった。


 てっきり馬車が迎えに来ていると思っていたリーズロッテは、駅舎を出たところで係員に渡されたトランクを気合を入れて持ち上げる。

 横から、ひょいっと伸びてきた手に奪われた。


「持ちますよ。これだけ男手があって、体の小さなあなたに大きな荷物を持たせているわけにはいかない」


 ごく当然のように言ったのは、眼鏡の奥の目を優しく細めたマクシミリアン。彼はアーノルドのお目付け役で世話係のはず、とリーズロッテは焦って手を伸ばした。


「大丈夫です。マクシミリアンさんは殿下の荷物もありますよねっ」

「殿下はご自分で持つので大丈夫です」

「あっ、でも、両手がふさがってしまっては、何かあったときに……」


 アーノルドやジャスティーンが連れ立って出るということは、要人警護の護衛がどこかについてきているのかもしれないが、王子のすぐ近くにいるマクシミリアンが緊急時に動けないわけにはいかない。

 どうにか断らねばと、リーズロッテがあわあわしていると、マクシミリアンはふふっと柔らかく笑った。


「ご心配なく。いざというとき、殿下はご自分でどうにかします。何かあっても、ジャスティーンもいます。リーズロッテ嬢が気にするのは、はぐれないようにすることです。祭りの人出で、道が大変混んでいますよ」

「はい。ありがとうございます」


 口ぶりは優しいが、譲る気配はない。押し問答している間に、アーノルドもジャスティーンも歩き出したのを視界の端にみとめて、リーズロッテは引き下がることにした。

 特別車両の止まったホームでは他に下車するひとはいなかったし、駅舎の外までは駅員のエスコートで一般とは別の出口まで案内されたが、一歩外に出れば駅前は見たこともないくらい人が押し合いへし合いしている有様だった。リーズロッテは、こくっと唾を呑み込んだ。


(はぐれないように、って真面目な忠告よね)


 子どもの姿なので、大人たちに囲まれたらあっという間に視界をふさがれてしまう。誰かのジャケットの裾を掴ませてもらった方が良いかも、と視線を泳がせたところで、右手を掴まれた。


「おい、眼鏡。リズの荷物は俺が持つ。お前は自分のやることをやってろ」


 リーズロッテの小さな手が、すっぽりと包まれてしまうほど大きな手。見上げると、いつもながらの整いすぎたジェラさんの横顔が、剣呑な表情を浮かべてマクシミリアンを睨みつけていた。


「ジェラさんがそれで良いなら、こちらは別に意地を張るところでもないので」


 言い争うことはなく、マクシミリアンはトランクを渡してくる。空いた右手でそれを受け取ったジェラさんは、リーズロッテに目を向けることなく「行くぞ」と低い声で言って歩き出した。


「ジェラさんって、荷物を持つことあるの? ジェラさんが?」


 ひとまず歩き出しながら、リーズロッテは目を丸くして尋ねてしまう。ジェラさんは、人だかりを鬱陶しそうに睨みつけながら、繋いだ左手にきゅっと力を込めて、いかにも面倒な様子で答えた。


「ねぇよ。いまだけだ」

「どうして?」


 どういう風の吹き回しなのかと、思わず食い下がる。ジェラさんは長いまつげを伏せて、宝玉のような緑の目でリーズロッテを見つめ、いかにも気怠げに息を吐き出した。


「リズの荷物を、俺以外の男に持たせるわけにはいかない。これ以上の説明が必要?」


 顔面凶器が、無造作に本領を発揮していた。

 憂いを含んでいてさえ、強く輝く緑の瞳に射すくめられた一瞬、息が止まる。


「ごめんなさい」

「謝るなよ。一から十まで全部説明しても、てんで鈍くて何もわかってないリズのその感じ、結構好きなんだ。リズ以外だったら、許さねぇけどな」


 言葉がいちいち不穏で、怒られているわけではないとわかっていてさえ、心臓がひゅっと縮む。そのせいで、うまく受け止められない。


(ジェラさんにとってわたくしは「聖女」だから、特別って意味よね……?)


 もう少し優しく話してくれても良いのにと思うが、それは人外である彼には望みすぎなのだと、わかっているつもりだ。

 わかりにくいからといって、彼が優しくないわけではない。そもそも、リーズロッテとの生活の中で、ジェラさん自身、自分の言葉が「わかりにくい」ことを自覚して、どうにか歩み寄ろうとしている気配は感じる。


「おお、祭りって『火祭り』か。夜は盛り上がるだろうな」


 不意にジェラさんが、楽しげな声を上げた。

 リーズロッテは、ぎゅっとジェラさんの手を握り返しながら、その視線の先を見る。

 駅前広場に、彩色の施された巨大な人形らしきものが設置されていた。


「火祭りって、どういうお祭りなんですか?」


 全然知識のなかったリーズロッテが尋ねると、口の端を吊り上げたジェラさんが楽しげに話し出す。


「日が落ちてから、花火を打ち上げて、爆竹を鳴らし、あの人形を燃やし尽くすんだ」

「燃やす?」


 慌てて人形をもう一度見ようとしたとき、さっと目の前を人が横切って、視界が塞がれる。しかも、鼻先のぶつかるすれすれ。リーズロッテが目を見開いたところで、ジェラさんにぐっと手を引かれる。勢いがあって、振り返ったタイミングでどん、とジェラさんの体にぶつかってしまった。


「立ち止まらない方が良さそうだな。人形はまた後でも見ることができる。行くぞ」


 言いながら、ジェラさんが軽々とリーズロッテを片腕で抱え上げる。


「ちょ……! 歩けます!」


(普段荷物を持たないジェラさんに!? 荷物どころかわたくしが運ばれるなんて!)


 とんでもないことになっていると、リーズロッテは慌てて降りようとしたが、かえって強く抱え直されてしまった。


「落とさねぇよ、暴れるな。踏み潰されたくなきゃ俺に抱えられてろ」


 それだけ言って、ジェラさんは歩き出す。もう絶対に聞き入れられることはないと察したリーズロッテは口をつぐんで黙り込んだ。

 そして、ちらっと広場を振り返り、夜には焼かれてしまうという人形を見た。


 ローブを羽織った魔法使いのような姿。

 それはこころなしか、ジェラさんの魔法使い姿を思い起こさせた。

 ジェラさんが炎に巻かれて燃やし尽くされる光景を幻視しそうになり、リーズロッテは慌てて視線を逸らした。


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