第13話 ……にゃん

 振り上げた拳から、凄まじい光が迸る。

 真昼の明るさの中にあっても、そこに強烈な光が集中しているのが視認できるほどに。


(強い。それなのに、眩しく目を射ないのは、これが魔法の光だから……!?)


“リズの耳に何きかせてんだよゴミカス。死ねよ”


 聞き覚えのある声。

 蠱惑的で、官能に訴えかけるような美声が。

 とてつもなくガラの悪いセリフを口走っていた。


(声の温度が、違う……!)


 極寒。凄まじい冷気に襲われた錯覚に、リーズロッテは思わず両腕で自分の体を抱きしめた。それほどに、冷ややかで。

 ガラが悪い。


 命を奪うことに、少しの躊躇もなさそうな声。

 一体、どんな表情をしているのか。

 半透明の人影の向こうで、デヴィッドが腰を抜かしたように石段に座り込んだのが見えた。


“穿ち貫け 七色の光の王 ライトニング……”


 圧倒的な輝きを放つ光が、かの人の拳の中で矢の形状になり、その先がデヴィッドに向けられる。


(と……止める!? さすがに殺すのはやりすぎじゃなくて!?)


 硬直しながらリーズロッテは思考を巡らせ、目の前の相手に手を伸ばそうとした。

 その指はすうっと半透明のローブに吸い込まれる。

 声が、ふっと力を失って消えた。

 暗い色のローブがみるみる間に透き通り、フードをかぶったそのひとがリーズロッテを振り返る。

 そのときには足元だけでなく、頭部もほとんど消え失せていて、わずかに鼻筋と恐ろしく整った唇だけが見えた


“力が出ない……にゃん”


 一瞬、自分が「止めなければ」と思ったせいで、魔力が発動し、相手の姿をかき消すほど強く作用してしまったのかと。

 跡形もなく滅びてしまう? と、最悪の予想が駆け巡って動揺してしまったリーズロッテであったが。


 冷気一転、凄絶な色香すらまとった美声で弱々しげに甘えるように鳴かれて、それまでとは別の意味で固まる。

 にゃんと言われましても。


(……猫の擬態してた。この期に及んで。『にゃん』って語尾だけ猫にしてた。人間語と猫語まざっててなんかすごくエセ感ばくはつの。ジェラさん。ジェラさんよね?)


 言いたいことが多すぎて、逆に一言も口がきけないリーズロッテの前で、透明な人影は完全に消え失せた。

 数秒後、緊張がとけきらないまま、リーズロッテは肩ではーっと大きく息をする。

 同時に、周りのざわめきが急に意識にのぼってきた。


 ――聖女さまだっけ、あの子。

 ――伯爵令嬢だよ。

 ――魔法使えるの? 

 ――すごい光。

 ――光? そんなの見えなかった。

 ――何があったんだ?


 いっせいに押し寄せてくる声。

 痺れたように立ち尽くしたままそれを聞いていたリーズロッテは、かなり情報が錯綜していることに気づく。


(光が見えていないひともいる。少しでも見えるかどうかは、魔力のある無し? あれは魔法の光だった。それと……)


 おそらく、あのローブの人物が見えていたひとは、この場には自分以外いないのでは、という直感があった。

 光が見えたひとにも、その源はリーズロッテと誤認されている節がある。

 それは目の前のデヴィッドも同じらしい。

 何か凄まじい圧力によって転んでいたはずだが、すでに立ち上がっていて、リーズロッテに爛々とした好奇の目を向けていた。


「すばらしい。長らく魔法が使えないと言われていた話は、いったいなんだったのか。君はやはり、『聖女』の器の持ち主か」


(いまのは、わたくしでは)


 自称猫で、カフェスタッフによれば「聖獣」の仕業だと思います、と言いたかったが、デヴィッドを前にすると情けないほどに足がすくんで声が出てこなかった。

 そのリーズロッテの左横に、誰かが立った。


「女生徒にみだりに近づかないように、ヘイレン卿? 先日はランパード伯爵家でお会いしましたね。たしか、あのときのお話ですとクララ嬢との件を進めていたのではなかったですか。相手を間違えていますよ」

「殿下」


 前に進み出てリーズロッテをかばうように立ったのは、黒髪の後ろ姿。第三王子のアーノルド。デヴィッドが、一歩ひいたのが視界ぎりぎりに見えた。

 一方、右隣にもよく知った気配。

「お待たせ、リズ。一緒に昼食にしよう」

 見るだけで心強くなるような、美貌の持ち主。いまは女性の姿をしているジャスティーン。


「殿下におきましては、何か誤解があるようですが。当家がランパード家のとの縁談を進めているのは事実ですが、私から申し込んでいるのはリーズロッテお嬢さんです。クララお嬢さんと、というのは手違いであって」


 デヴィッドの耳障りな言い訳に対し、ふっと、アーノルドが息を吐いた気配があった。

 答えた声は平坦であり、感情は特にのせられていなかった。


「そうなんですか。これは失礼した。その件、いま一度確認しておきます。ところで、ここは学校です。卒業生が大きな顔をしているのは、それほどかっこよくないですよ。嫌がる在校生に馴れ馴れしくしているのも、どうかと思います。稀に、そういう先輩がいないこともないですけど。後輩にしか相手にされなくて、自分の居場所が卒業した学校以外どこにもないのかな、と心配になるんですよ。ご健勝ですか?」


 さらさらっと言ったアーノルドに対し、ジャスティーンが「殿下、本当のこと言い過ぎ。相手の立場も少しだけ考えてあげたら、殿下は王族なんだし」と感じの良い口調で意見を述べた。爽やかさにごまかされかけたが、特にデヴィッドをフォローする内容ではない、とリーズロッテは鋭く気づいてしまった。


「リーズロッテお嬢さん」


 言われっぱなしだったデヴィッドが、アーノルドの体を避けるように上半身を傾けて、リーズロッテに切実なまなざしで訴えかけてきた。

 その瞬間、アーノルドとジャスティーンの放つ空気が変わった。


「帰れと言われないと、わからないのか。女生徒へのつきまといは、問題行為だ。学校に訴え出るなんて、中途半端なことでは終わらせないぞ。今のうちに去れ」


 叩きつけるように言い放ったのは、アーノルド。

 その気迫にさすがに分の悪さを悟ったらしく、デヴィッドは「では、また改めて」と言って歩き出した。

 すれ違いざま、その目がリーズロッテを捉える。視線を感じたリーズロッテは、返事をすることなく、体を強張らせてやり過ごした。


「大丈夫だった? 何もされていない? まさか構内まで入り込んでくるとは」


 ジャスティーンに、優しく声をかけられる。

 リーズロッテは呼吸を整えて笑みを作り、「大丈夫」と答えた。


「リズ狙いというのを、思いの外はっきり言ってきたな。この後はどんな手段に出てくるかわからない。リズ、身辺は本当に気をつけた方が良い」


 デヴィッドが消えた方向に目を向けながら、アーノルドは考えながら言う。


「手段?」

「今は外道だと認識されているけれど、昔あった方法だ。射止めたい相手を手篭めにして、既成事実をたてに『もう婚姻は成ったも同然。自分と結婚する以外にない』と脅す。『娘が傷物にされたとしても、責任をとってくれるなら』と、婚約が成ったこともあるとか」


 包み隠すことなく言うアーノルドに、リーズロッテは笑みを強張らせつつ、「わたくし、子どもよ」と言った。

 アーノルドとジャスティーンは渋い表情で顔を見合わせる。

 話を継いだのはジャスティーンであった。


「そんな方法で相手を手に入れようとするような輩には、禁忌なんかない」


 だから、くれぐれも身の周りには気をつけて、と懇願するように続けた。



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