涼風岬

第1話

 私は同僚と公園のベンチで昼食を取ろうとしている。


 ふと、私の視線の先に1人の少女が目に留まる。しばらく私は少女の様子を眺めている。


 少女は、じっと空を見上げた後、頭を下げ地面を見つめている。それを数回繰り返す。もう一度繰り返すと少女は肩を落とし溜息をつく。


 少女が顔を上げ、人差し指を唇に当て首をかしげる。少女は疲れたのだろうか、その場にしゃがみ込む。


「あの子、迷子じゃない?」


との同僚の言葉にハッとなる。私は少女の一連の動作に気を取られていて、その考えに至らなかった。私は自身を恥じる。


「私、声かけてくるね?」


  そう言うと私は立ち上がり駆け足で近づく。その前に、また少女は空を見上げ一連の動作を続ける。


「う~~ん、おかしいな~」


 その言い方が愛くるしい。彼女は項垂うなだれ爪先で地面に弧を描き始める。


「眩しくないのかな?」


 私の言葉にビクッとなり、彼女は私を見上げる。そして、澄んだ目で見つめる。


「お日様は背中にあるから眩しくないよっ。眩しいですか?」


「あっ、うん」


 思いもかけない返しに、それだけしか発することが出来なかった。


「じゃあ、後ろ向くといいです」


「あっ、ありがとっ」


「どういたまして」


 おませな言葉に思わず口元が緩む。彼女が不思議そうに私を見つめている。


「もしかして迷子になったのかな?」


「ううんっ、違うよ。ママ、あそこにいるよ?」


 彼女が私たちの座っていた左斜め前のベンチを指差す。そこには日傘を差した女性が座っている。彼女と目が合う。私が会釈すると彼女も返してくれた。


「ごめんね、邪魔したみたい」


 私は彼女に背を向けベンチへと歩み出そうとする。


「飛べますか?」


 突拍子もない言葉に思わず足が止まる。私に投げかけられた言葉なのか一瞬疑った。しかし、この声は少女のものだ。私は向き直る。


「んっ、飛べるって言ったかな?」


「そうですよ」


「空を飛べるって事かな?」


「そうです」


「うん~~っ」


「あっ!!!」


「どうしたの?」


「ごめんなさい。やっぱりいいです」


「んっ? どうしたのかな?」


「ママが人に聞いたらダメって言ってたです。そうしたら、聞いた人が飛べなくなるって!」


「……あっ」


「だから言わなくていいですよっ」


「あっ、分かった」


「ん~~~っ、飛べてるんだけどな~」


 そう言うと彼女は口を真一文字に結ぶ。そして、俯き加減になり首をゆっくりと左右に何度も動かす。


「飛べるの?」


「それは聞いちゃダメって教えたですっ!!!」


 そう言った彼女の曇りのない二つの瞳が私の両目を射貫く。思わず仰け反りそうになった。


「あっ、ごめんごめん。そうだったね」


「でも飛び方は教えても大丈夫ですっ」


「そっ、そうなんだ?」


「そうなんです。知りたいですか?」


 彼女が真剣な眼差しを私に向けている。さほど興味のない私は、その澄んだ瞳に負い目を感じてしまう。


「いらないですか?」


 彼女の眉が下がり口を尖らせている。そして、俯いてしまった。


「せっかくだから教えてもらおうかなっ?」


「いいですよっ!」


 今さっきの表情が見間違えかと思うほど彼女は満面の笑みを浮かべている。自然と私の口元も緩んでいる。


「お空にある雲を見て下さい」


「分かった」


 私は空を見上げ雲を見る。私は流れゆく一番大きな雲に照準を合わせる。


「違うですっ!」


 私は頭を下げ少女を見る。彼女は腕組みをし真剣な面持ちで私を見上げている。


「首は動かしたらダメです」


「そうなんだ」


「目も動かしたですか?」


「そうだね」


「目もダメですよっ」


「そうなんだね」


「そうなんですっ!」


「分かった。教えてくれた通りにやってみるね」


「やってみるです」


「はい」


 私は再び空を見上げ彼女の助言通りにやってみる。


 しばらく眺めていると地に足が着いていないような不思議な感覚に襲われる。その後、足下がフラつきそうになってきたので止めることにする。


 私が少女を見ると彼女は続けている。一点を見つめる彼女の表情は大人びて見える。しばらく見守り続けることにする。


 すると、彼女は終えて項垂れる。彼女の行動の訳を知った今、私は何とも言えない気持ちになる。


 彼女が顔を上げる。彼女の表情は次第に元に戻っていく。私を思っててくれてのことだろうか。


「飛べたですか?」


「う~~ん、飛べ」

「あっ! 言っちゃダメです!! 飛べなくなるです!!!」


「あっ! そうだったね」


「新しい飛び方見つけたら、また教えてあげるですっ」


 そう言うと彼女は小指を立てて差し出す。


「約束ですっ」


 私はかがんで彼女と指切りをする。すると、彼女は腕を上下に大きく振る。しばらく続けた後、私たちの小指は離れる。


「今日は、沢山やったので疲れたです。帰るねっ」


 そう言うと彼女はペコリと頭を下げる。そして、背を向け母親の元へ走り出す。


 母親の胸に飛び込んだ彼女は抱き上げられる。目が合った私は、もう一度母親に会釈する。返した彼女が私に背を向け歩き出す。


 彼女の背中越しに少女が顔を出す。そして、私に手を振ってくれる。私も振り返す。姿が見えなくなるまで振り続けてくれた。


 日々の生活で蓄積されていた疲労が私の中から抜けていく。

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涼風岬 @suzukazeseifu

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