第6章 最悪な誕生日 その③

 帰宅すると夕食までまだ時間があるのに父がいた。


「今日は午前で仕事を切り上げてきたよ」


 予測していなかった展開に私は慌てて洗面所に行き、手の甲まで流れて固まった血を洗い流す。


「自分で切ったんだね?」


 ふいに電気をつけた父が聞く。私はただ黙る。


「おいで。消毒するから」


 父は洗面台のタオルを1枚取ると私の腕をふき、リビングのソファに私を座らせた。そして脱脂綿につけた消毒液で優しく傷口に触れる。


 ガーゼをのせられ、きつめに包帯が巻かれていく私の左腕を、私はただ黙って見ていた。


「傷が深いから縫ったほうがいいかもな。外科に連れてくよ」


 そこまで聞いて急に涙が出てくる。ルカさんは気づいてくれなかったのに、お父さんは私を見てくれていた。


 私は父に連れられて近くの外科に行く。私がボーっと待ってる間、父はスマホを握りながら廊下を歩いたり、外に出たりしている。


 処置室に呼ばれ、私は傷の縫合治療をしてもらう。傷を縫いながら、半ばあきれたように医者が言う。


「こういうのやめなさいね。親御さんが悲しむよ」


 ……私の悲しみは? この傷は私の心の痛みなんだよ。



 このまま家に帰ると思っていたが、病院の玄関を出ると何か場違いな黒いワンボックスカーが止まっている。目隠しシートでも貼っているのか、中が見えない。


 何か嫌な予感がすると思ったとき、中から屈強な男たちが出てきた。


 そして父が低い声で言う。


「心愛……嫌だろうな、父さんを恨むかもしれない」


 男たちが私を取り囲み両側から私を抱える。


「今まで心愛は、部屋にこもって、自傷行為をしていただろう? 私は気づいていたよ」


「どういうこと?」


「父さんの知り合いに相談したら、いい病院があるって。そこに行けばゆっくり休める。変な友達にそそのかされることもない」


 男たちは私を車に押し込んだ。


「お父さん! 助けてよ?」


「こうするしかないんだ。わかる日がいつか来ると信じているよ」


 私はなすすべもないまま車内で震えていた。男たちが一言も発しないことが、より一層不気味だった。



 ワンボックスカーの後部からは外が見えず、時間の感覚がない。1時間たったのか2時間たったのかもわからない。


 やがて車は止まり「サナトリウム武蔵野」と書かれた建物につく。割と新しい建物が何棟かある。


「お待ちしていましたよ」


 優しそうな看護師が話しかけてくるが、看護師の後ろには数人の男性が私を待ちうけている。


 私はそれまで私の腕を掴んでいた男たちから、病院の男たちへと引き渡された。


 腕を掴まれた痛みで思わず声を上げる。


「いたっ! 離してよ!」


「暴れてるぞ! 押さえろ!」


「鎮静剤持って来い!」


 男たちが私を押さえ込む。私は反射的に体を引き離そうとするが、男たちはますます強い力で私を押さえつけてくる。


 気づいたら私は白い部屋の白いベッドに拘束されていた。周りには誰もいない。喉が異常に乾き、叫ぶが誰にも来なかった。

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