祟り神は情報を食べる

鈴木空論

第1話 里子が森に入った経緯

 小学五年生になった夏休み、篠原里子は両親とともに祖父母が住む田舎の村を訪れていた。


 村へ行くのは毎年恒例のことだった。

 祖父母に元気な顔を見せて、数日滞在しながらその間に墓参りなどをする。それだけだ。


 ただ、近所には同じ年代の子供はおらず、周辺は民家と畑しかない。

 コンビニですら車で数十分かかるというド田舎である。

 祖父母のことは嫌いではなかったが、都会育ちの里子にとっては少々退屈に感じる行事だった。


 そして今年は運の悪いことに、滞在期間が延びてしまった。

 祖父母の家に着いて早々、父の勤める会社でトラブルが起きたとかいう連絡があったのだ。


 対応のために父親は一人で車で戻ってしまい、父がトラブルを片付けて迎えに来てくれるまで里子と母は祖父母の家で待つことになってしまったのである。


 父が言うには一週間から十日はかかるらしい。

 祖父母は予定より長く娘や孫と一緒にいられると喜んでいた。

 里子も祖父母の前では嬉しそうな素振りをしていたが、内心憂鬱だった。


 数日ですら大変なのに一週間以上とか、どうやって暇を潰せと言うのか。


 最初の三日くらいは祖父の畑仕事の手伝いをしたり祖母や母と一緒に台所に立ってみたり近所を散策してみたり川遊びをしたりと思いつく限りのことをして過ごしたが、やがてどれも完全に飽きてしまった。


 何か楽しそうなことは無いだろうか。

 少しでもいいから刺激的な体験がしたい。


 里子はそう考えた。

 そしてあることを思い出し、翌日早速やってみることにした。


 その結果が最悪の事態を引き起こすことになるなどとは、露ほども思わずに。



 ※ ※ ※



「へえ、それっぽくて良い感じじゃない」


 麦わら帽子にワンピースという姿の里子は、草木でできたトンネルのような細い道を覗き込みながら満足そうに言った。

 里子がやって来たのは村の北の外れ、そこに広がる森の入口だった。


 ――北の森へは決して近付いてはいけないよ。禁忌の森といって、とても怖い物が棲んでいるからね。


 何年も前のことだが、祖父は幼い里子にそう語ったことがあった。


 『怖い物』というのが具体的に何なのかは祖父は教えてくれなかった。あるいは教えてもらっていたかもしれないが、どちらにしても小さい頃のことなので里子は覚えていなかった。

 とにかくこの細いトンネル道の先に曰く付きの場所があるらしい、ということだけは印象に残っていたのだ。


 そして、この奥に何があるのかを確かめてみよう、というのが里子の思い付いた暇潰しのアイデアだった。

 要するに肝試しである。


 よほど木々が生い茂っているのか、昼間だというのに道の先は薄暗く、入口から覗いただけではどうなっているのか良くわからない。

 本当にお化けでも出て来そうな雰囲気だ。


「でもまあ、お化けなんているわけないしね」


 里子は自分に言い聞かせるように呟くと屈みながら細い道へ入り、森の中へと足を踏み入れていった。


 外は日差しが強く耳を塞ぎたくなるほど蝉の鳴き声がうるさかったのに、森の中は肌寒いくらいの涼しさで虫の声も全く聞こえなかった。

 まるで別の世界に来たようである。


 こんな場所だからおじいちゃんは「怖い物が棲んでいる」なんて言っていたのかな、と里子は思った。


 幼い頃ならともかく、今の里子はお化けとかそういった類の物は信じていなかった。

 フィクションとして友達とキャーキャー騒ぐのは好きだが、現実にはいるわけがない。


 祖父がここへ近付くなと言っていたのも単なる迷信か、あるいはまだ小さかった里子がふらりと迷い込んでしまうのを防ぐための脅かしだったのだろう。


 しかし今の自分はもう子供ではない。

 帰り道はしっかり覚えているし、気を付けていれば怪我をするようなドジも踏まない。

 ある程度スリルを味わって満足したら引き返せば祖父母にバレて怒られる心配もないだろう。

 この時の里子はそう高を括っていたのだ。


 ところがトンネル道が終わって開けた場所に出た時、里子のそんな考えはあっさり崩れ去った。


「………」


 しばしの間、里子は無言でその場に立ち尽くした。


 里子の視線の先には小さなお堂が建っていた。

 かなり古いお堂だ。あちこちに修復の跡が見られるが、軽く押したら簡単に崩れてしまいそうなほどボロボロなお堂だった。


 そしてこのお堂を見た瞬間、里子はここへ来たことを後悔した。


 理屈ではない。里子自身の本能が、これは人間が関わっていいものではない、と告げていた。


 背筋に悪寒が走り、足がガクガク震える。

 暑くもないのに全身から嫌な汗が噴き出してくる。


 ――逃げなきゃ。ここから離れなきゃ……。


 里子はお堂を見つめたまま後ずさりした。

 しかし数歩も進まない内に背後から声を掛けられた。


「……おや、久々の客人か」


「ひっ! だ、誰っ!?」


 思わず悲鳴を上げて振り返る。

 そこには里子と同い年くらいの男の子が立っていた。


 ただ、どう見ても普通の子供ではなかった。

 男の子は髪も眉も真っ白で、肌も不自然なほどに白かった。

 そして社会の教科書でしか見た事が無いような、昔の公家みたいな服を着ていた。


「あなたは一体何者なの?」


 里子は尋ねた。

 すると男の子は笑顔を作って言った。


「僕はここら一帯を任されている土地神だよ。ああ、君たち人間にとっては祟り神と名乗ったほうが伝わるかもしれないね」

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