第5話 意思疎通不可能です
翌日、心情的に襲撃と表現したくなる突撃を受けたのは、学園に到着した直後だった。
一緒に登校すると言うアルフレッドを無理矢理オルフェウス侯爵家の馬車に押し込み、リリアンナ自身はエドワード、クリフ、ミレーヌと共に王家の馬車で登校した。
エドワードが一緒に登校するのは、アンナの件でリリアンナのことを心配してのことである。
クリフはエドワードの学園内での護衛として、ミレーヌはクリフ同様、正式な騎士ではない為学園内に限ったことではあるが、リリアンナの護衛を任されているからだ。
クリフは護衛として王宮へエドワードを迎えに行くのが仕事の一環でもあるし、オルフェウス侯爵家とウィステリア侯爵家のタウンハウスは、王宮から学園までの通り道にある。
彼らが仲の良い幼馴染であることを考えれば、同じ馬車に同乗して登校するのは、特に不自然なことではない。
ルイスが一緒でないのは、単にコルト侯爵家のタウンハウスがこの通り道から外れているからだ。
学園の手前までは、馬車の前後左右を囲む形で馬に騎乗した四人の近衛騎士達が護衛に付くが、敷地内には入ることはできない。
敬礼した近衛騎士達に見送られながら学園の門を潜ると、馬車は徐々に速度を落とし、王家や侯爵家以上の家に割り当てられた場所で静かに停止した。
まずクリフ、ミレーヌが順番に降り、次に降りたエドワードが手を差し出してくる。
その手にリリアンナが自身の手を重ねようとした瞬間、クリフとミレーヌに緊張が走り、エドワードとリリアンナをより守りやすくなるように立ち位置を変えた。
それにまさかと思い二人の視線を辿れば、アンナが恍惚とした表情でエドワードを見つめながら駆け寄ってくるのが見える。
だがリリアンナと目が合った途端、怯えた表情へと変わり悲鳴を上げながらその場に倒れ込んだ。
その行為自体は予想内であるが、ただ馬車から五メートルほど離れた場所で、というのは流石に予想外だった。
当然馬車から降りていないリリアンナがアンナに触れることなど不可能であるし、二人の間にはクリフとミレーヌ、そしてエドワードがいる上、彼らもアンナとの間には充分な距離があり触れることなどできない。
目撃者もそれなりにいるようだが、誰が見てもアンナが一人で転倒したようにしか見えないだろう。
それでもアンナが叫んだ言葉は昨日とほぼ同じであり、それどころか更に悪化していた。
「酷いですリリアンナ様! どうしてこんなことするんですか!? 私が気に入らないからって、こんなに毎日毎日何度も何度も突き飛ばさなくてもいいじゃないですか!」
この距離でもそう言うのか、それに後ろから突き飛ばさないとその倒れ方にはならないのだがとか、色々と突っ込みたいことは当然あるが、それよりまるで以前から日常的にリリアンナがアンナを虐げているかのような口振りに、だから何故そんな言葉がでてくるのかと眩暈がしそうになる。
アンナと会ったのは昨日の初対面に続いて今が二度目であり、リリアンナ達の前でアンナが転んだのも今ので二度目なのだから、「毎日」も「何度も」も重ねてまで言うほどの回数ではない。
それ以前にリリアンナはアンナを突き飛ばしてもいないのだから、このような的外れな非難を受ける謂れはないのだ。
周囲には登校してきた生徒達で溢れており、アンナが大声で叫んだものだからすっかり注目を集めてしまっている。
そしてアンナの背後に目を向ければ、距離は離れているが「あいつか! あれが例の変な女か!!」と怒鳴るアルフレッドを、ルイスや生徒会役員と思われる男子生徒達が三人掛りで取り押さえていた。
アルフレッドがこちらに来ると更に面倒なことになりかねないので、ルイス達にはそのまま頑張って耐えてほしいところだ。
気を取り直して気持ちを切り替えると、それを察したエドワードが改めて手を差し出してくる。
その手を取り馬車を降りると、エドワードの隣に並んだ。
「また君か。昨日もそうだが、リリアンナは君に触れてなどいない。突き飛ばすことなんてできるわけがないだろう。それに、まるでリリアンナが常日頃から君を虐げているかのように言っているが、リリアンナと君は昨日が初対面だ。妙な誤解を招きかねない発言はやめてくれ」
「エドワード様の仰る通り、私は昨日も今も貴女には触れていませんから突き飛ばすことなんてできませんし、そうする理由もありません。それに貴女と対面するのは昨日が初めてでこれが二度目です。毎日とも何度もとも言われるほどお会いしたことがあるわけでもありませんし、嫌がらせをしたこともありません。妙な言い掛かりはやめてください」
努めて平静を装い、エドワードと共に毅然とした態度でアンナの言葉が事実に反していることを指摘し、その上で不快感を露わにする。
だがやはり、アンナがそれを大人しく聞き入れることはなかった。
「嘘ばかり言うのはやめてください! 毎日のように私の家に来て、私を突き飛ばして蔑んで楽しそうに笑っていたじゃないですか! 私が毎日どんなに怖かったか……」
「私は貴女の王都のタウンハウスを訪問したことはありませんし、この数年は王都とオルフェウス侯爵家の領地にしか滞在しておりませんから、貴女の家の領地にも訪れたことはありません」
「リリアンナがここ数年、王都とオルフェウス侯爵家の領地にしか滞在していなかったことは私が保証する。ところで、私もリリアンナも君から挨拶を受けていないのだが、まず君は名乗るべきではないのか?」
新たな設定が出てきたことに辟易しながらも、それを顔に出すことはなく淡々と事実だけを述べる。
十歳でエドワードと婚約してから直ぐ王太子妃教育が始まったこともあり、それから一年に一度領地に戻る以外は、常に王都で過ごしてきた。
その間、伯爵家以上の夫人・令嬢が出席するお茶会には何度か参加したが、それ以外で顔を合わせたのは家族と王族、王太子妃教育で関わった教師達や王宮関係者、それに幼馴染達だけだ。
ザボンヌ子爵家のアンナと知り合う切っ掛けになるようなことも何一つない。
それが何故、ザボンヌ子爵家を毎日のように訪れていたことになるのだろうか。
それにエドワードの言う通り、アンナはザボンヌ子爵家の令嬢だと名乗りもしていない。
だがそれも、彼女の中では既に済ませたことになっている可能性がある。
「エドワード様、どうしてそんな意地悪なことを言うんですか!? だって、私は……」
「アンナ・ザボンヌ! 何をやっているんだ!」
更に何かおかしなことを口走ろうとしていたようだが、騒ぎを聞き付けた教師達に遮られ、そのままアンナは強制的に連れ去られて行った。
気の毒なくらい真っ青な顔でエドワードやリリアンナ達に頭を下げ、更に暴れるアンナを連行しなければならない教師達の苦労は如何程だろうか。
意思疎通不可能だと匙を投げても、彼女の対処まで投げることは許されないのだから、ストレスは相当なものになることだろう。
確かに会話も成立しなければ意思疎通も不可能、おまけに先程の遣り取りでは何一つとして解決していない。
そして何よりリリアンナが引っ掛かったのは、アンナの目だ。
あれは、本気でリリアンナに害されたと思い込んでいる目だった。
実際にはどうであったかなど関係ない、アンナの中で、リリアンナに害されたと思っていることは全て事実となっているのだ。
改めてアンナのことを不気味に思い、その対処に頭を悩ませる。
これだけ話が通じない者の相手をするのは随分と骨が折れそうで、これからのことを考えると逃げ出したくなるほど憂鬱でしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます