第3話 前途多難のようです

 職員室から戻ってきたミレーヌは、これまでに見たことがないくらい憔悴しきっていた。


 負けん気が強く、弱気な姿は見せないよう意地でも毅然とした態度を崩さない彼女にしては、随分と珍しい状態だ。


 その様子に、リリアンナは思わず彼女に駆け寄ると、直ぐ様縋るように抱き締められた。


「リリィ…、疲れたぁ……」

「ミレーヌ、大丈夫?」

「大丈夫じゃない、もう無理ぃ……」


 やはりあの少女を一人で職員室まで連れて行くのは、精神的な負担が相当大きかったらしい。


 この国の女性としては背が高いミレーヌが、平均よりやや小柄なリリアンナに抱きつくと、頭に頬を擦り寄せ甘えている。


 リリアンナも労わろうとその背に手を伸ばしかけたところで、何の前触れもなくミレーヌから唐突に引き剥がされた。


「ちょっ…、エド酷い! 私の癒しがっ……!」

「リリィに癒してほしいのは分からなくもないが、先に報告をしろ。それからミィ、僕の前でリリィに遠慮なく抱きつくな」

「女にまで焼き餅を焼くのは見苦しいわよ! それにあの意味不明な未確認生物を一人で職員室まで連れて行ったんだから、少しは労ってよ!」


 エドワードがリリアンナを後ろから抱き締めたまま、ミレーヌと不毛な言い争いを始める。


 二人とも先程とは違い、お互い愛称で呼び合うだけでなく、口調も一人称も親しい者同士ならではの砕けたものになっていることもあって、放っておけば何時までも続けそうな勢いだ。


「二人ともそれくらいにしろ。さっきの件で余計な注目を集めてるんだから。それにミィはこんな場所で人間相手に未確認生物なんて表現はやめろ。気持ちは分からなくもないが流石にまずい」

「僕が崩しているのは口調だけだから問題ない。周囲で見物している者達に聞こえるような声では話していないからな」

「クリフだって、結局は未確認生物だって思ってるんじゃない……」


 まだ正式な騎士ではないことから、現状学園内に限りエドワードの護衛を任されているクリフが、スッと二人の間に入り込み冷静に嗜める。


 それに対し、遠目に見れば王太子として完璧に取り繕えているエドワードはきっぱりと反論するが、逆に少なからず酷いことを言っている自覚があるミレーヌの反論は弱々しい。


 ただ未確認生物に関しては、ミレーヌの言うとおり何のフォローにもなっていなかった。


「兎に角、二人とも落ち着いて。それからエドは離れて。この場所で何時までもこのままなのはどうかと思うわ」


 リリアンナを抱き締めたままのエドワードの腕にポンポンと軽く触れながらそう促すと、彼は微かに唇を尖らせながらも大人しくそっと身体を離す。


 そうして改めてミレーヌに向き合うと、リリアンナは王太子妃教育で培った知識を引っ張り出した。


「彼女はアンナ・ザボンヌ子爵令嬢で間違いないかしら?」

「ええ、流石はリリィね。彼女とは今日が初対面だと思うのだけど、それで合ってる?」

「確かに彼女とは、先程会ったのが初対面よ。でも我が国の貴族は、定期的に絵姿を見て顔と名前を確認しているから」


 間違いなく先程の少女、アンナ・ザボンヌと会ったのは今日が初めてであるし、これまで一切関わったことがない。


 だからこそ何故彼女があのような言葉を投げかけてきたのか、その理由が全く見当も付かず不気味でしかなかった。


「ザボンヌ子爵ってことは、ニコラス・ザボンヌの姉ってことか?」

「ええ、そうよ」


 ルイスが信じられないとばかりに目を見開き、驚愕を露わにする。


 リリアンナ達より二歳下のニコラスが成し遂げた偉業を考えれば、アンナの言動は、二人が姉弟であることを疑いたくなるほど奇妙なものであることは間違いない。


 百年に一人と言われるほど優秀な弟と支離滅裂な言動で騒ぎ立てた姉。


 彼女の名前が分からないままであったならば、二人が姉弟だと思う者は誰一人としていなかったことだろう。


「リリィィィ--ッ!」


 誰もが神妙な面持ちで顔を見合わせていると、遠くから切羽詰まった様子でリリアンナの愛称を呼ぶ声が聞こえてくる。


 顔を見ずともその声の主が誰かを理解できてしまった五人は、一瞬前とはまた異なる何とも言えない面持ちで、その声が聞こえてきた方向へそろりと視線を向けた。


「リリィ! 変な女に絡まれたと聞いたが大丈夫なのか!?」

「…大丈夫ですから落ち着いてください、お兄様。あまりにも荒唐無稽で理解不能すぎて精神的なダメージは大きかったですが、身体の方は怪我一つありませんから」

「身体は無事でも精神的なダメージが大きいなら、大丈夫とは言えないではないか!」


 駆け付けるなり両肩を掴んできたリリアンナを溺愛する二歳上の兄・アルフレッドの剣幕に、面倒なことになりそうだと誰もが現実逃避しそうになる。


 だがそんなことをしてもどうにもならないと、ここでもすぐに頭を切り替えたエドワードは、冷静かつ落ち着いた声音でアルフレッドを嗜めた。


「落ち着けアルフレッド。話を聞かずにここで騒ぎ立ててもどうにもならないことくらい、お前なら分かるだろう? 僕達はこの後、王宮に向かい父上と母上に入学の挨拶をすることになっているからお前も一緒に来い。詳しいことは馬車の中で話そう」

「……承知しました」


 取り敢えずアルフレッドを落ち着かせると、予定より随分と遅れて漸く馬車へと向かう。


 ただ怒りを露わにしているアルフレッド以外の者達の表情は疲れ切っており、その足取りは途轍もなく重い。


 誰もがこの先前途多難なことになりそうな予感を抱いていたのだから、それも致し方ないことであったのかもしれなかった。

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