お向かいの来宮さんがやたらと親しげな態度でトラブルに巻き込んでくる話

平川 蓮

第一章

第1話 天真爛漫な少女との出会い

 教室の窓から眺める景色が好きだった。

 屈託なく笑う彼らが眩しかったから。

 そうしている時だけは、孤独な現実から目を逸せたから。

 いつの日か、誰かに声を掛けて欲しいと願っているから。

 きっと何も変わらないまま、今日も一人、放課後の教室で校庭を眺め続けた。




 かつて憧れていた高校生活は、もはや遠い過去のこと。

 高校二年生である山崎海斗にとって、青春とは勘違いによって歪んだウワサに苦しめられる日々であった。

 恋人どころか友達もいない。登下校するだけで指を差される万年ボッチ。

 それだけが海斗の日常で、他には何もない。

 どうせ家に帰っても一人暮らしで誰もいないのだから、と教室に残って宿題を済ませていた海斗は、廊下から響く足音に顔を上げた。

 誰だろうと思って足音の聞こえた方に振り向くと、教室に入ってきたクラスメイトの女子と目が合う。


「…………」


 しかし、気まずそうに目を逸らされて、海斗もすでに終わりかけの宿題へと視線を戻した。きっと忘れものでもあったのだろう。

 彼女はそれから自分の机を探って教科書か何かを出すと、逃げるように教室から出ていった。


「はぁ……」


 海斗は深いため息をつき、宿題を片付けるとおもむろに立ち上がって窓に歩み寄る。

 少し経って、眼下から明るい声が聞こえてきた。


「あ、陽奈ちゃんおかえりー! 忘れ物あった?」


 さっきの子かなと生徒玄関を見下ろすと、色とりどりの傘が見えた。

 見覚えのある女子がそこに合流して、さっきとは一転して楽しげな返事をする。


「あったよー! ごめーん、みんなお待たせ! 帰ろっか!」


 それで今教室でさー、とあからさまに海斗のウワサを広げながら、それぞれクラスさえ違う彼女たちの笑い声は遠ざかっていった。

 遠い夕方の空を見ると、六月らしい小雨が降りしきっている。

 まるで今の海斗の心情を、代弁してくれているかのようだ。

 とはいえ、明日からは運よく土日休みが入っている。きっと来週になれば忘れているだろう、と海斗は楽観的なことを自分に思い込ませた。

 ちらっと誰もいない教室を眺め、自分の机に歩み寄ってリュックを背負う。


「……さて、もう帰るか」


 海斗はそう呟き、すでにひと気もない雨音だけが響く廊下に向かった。




「ありゃー? 猫ちゃん、こんなとこでどうしたの?」


 不思議そうな少女の声に、海斗は自宅マンションへのT字路で足を止めて傘を少し持ち上げた。


「ん……?」


 海斗の口から、思わず戸惑いの声が漏れる。

 数メートルほど離れた道路脇に、傘を差した珍しい制服の女子高生がしゃがみ込んでいたのだ。

 しかし、それ自体はさして不自然ではない。

 海斗が驚いたのは、少女の目の前に置かれた段ボールにいたであろう黒猫の首根っこを、少女が鷲掴みにしていたからだ。

 ぱっちりした瞳に見つめられ、黒猫も困惑した顔をしている。

 印象的な真紅のリボンが結ばれた長いツインテールの黒髪が雨に濡れていたが、少女はそれを気にするような素振りも見せない。


(……だいぶ危ない持ち方してんな。猫が暴れても知らないぞ?)


 海斗がそう思っていると、案の定。


「──あっ」


 黒猫は器用に身をよじらせ、華麗に地面に着地した。


「ふにゃああ! ふしゃー!」


 そして止める間もなく、少女へと反撃を試みる。

 見ていた海斗は言わんこっちゃないと思いながら、慌てて駆け寄ろうとした。


「ひゃっ! せ、セーフ!」


 しかし少女の安堵の声が聞こえて、海斗は立ち止まる。

 どうやら両腕を伸ばしていたのが幸いして、黒猫の爪は届かなかったようだ。少女に怪我は見られない。


(よかった、無事みたいだな)


 ホッと安心しながら、海斗は思わず呆れてしまう。しかし、彼女はそれでも懲りなかったらしく。


「もー! やったなー! あたしの撫でテクで腹を出させてやるー!」


 そう豪語すると、黒猫を捕獲しようと追いかけっ子を始めた。だがちっとも捕まえられないまま、だんだん黒猫のリードに足を巻き取られていく。


「…………」


 一体、あの人は何をしているのだろう。


(もしやアホか? いや、もしかしなくてもアホだな、ありゃあ)


 薄っすらとあった疑惑が確信に変わり、こうなったらと海斗は一つの決心をした。


「あ、そうだ。俺晩ご飯の材料買わないと……」


 目の前の光景から気を逸らすようにポツリと呟いて、くるりと背を向ける。

 まあ、大して困っていなさそうだし、放っておいても平気だろう。

 海斗は言い訳のように思考して、早歩きでその場を離れて自宅に帰った。




「いらっしゃいませー!」


 スーパーの自動ドアが開くと、店員の掛け声が聞こえてきた。

 海斗は制服のままカゴを手に取り、野菜売り場に向かう。


「お、キャベツが安い。今日は野菜炒めにするか」


 ついでにニンジンとモヤシを入れ、精肉コーナーを素通りした。

 豚肉はまだ昨日の残りが冷蔵庫に入っているのだ。


「あとは牛乳と……お菓子もなんか買ってくか。少なくなってたし」


 たまにはシチューでもいいかもな、と思いながら、海斗はお菓子売り場に入っていく。

 すると少し離れたスナック菓子の棚辺りから、異様な雰囲気とむむむ、と唸る少女の声が聞こえてきた。


「うーん……これを買ったら猫ちゃんのご飯が……でも、そしたらあたしのおやつはなくなっちゃうし……」


 まさに究極の選択肢とばかりに、少女はやたら真剣な表情で悩んでいる。

 その珍しい制服とツインテールには見覚えがあって、ついさっき黒猫と格闘を繰り広げていたアホ少女であることはすぐに気づいた。


(そこは悩むなよ……)


 海斗が呆れていると、少女はようやく選べたようで店内に元気な声を響かせる。


「よしっ、決めた! おやつにしよーっと!」


 反射的に振り返ると、少女がニコニコと笑顔を浮かべてお菓子をカゴに入れるのが見えた。


(おいぃ! ちょい待て!)


 海斗が心の中でツッコミを入れると、その声が聞こえたのか、少女はピタリと手を止める。


「あ、でも……どーしよ、ママにバレたら怒られるよね?」


 だろうな、と海斗は頷く。

 思考が口から漏れるタイプなのか、なんだか幼い子供のお使いを見守っているような気分だ。

 ちらっと一瞬だけ背後を振り向くと、いまだ少女が迷っている姿が見えた。とうとう我慢できなくなった海斗は、ぷっと吹き出して笑ってしまう。


「アホだろ、あいつ……」


 そう呟くと、突如として真後ろから肩を叩かれた。


「ちょっとー? あたし、アホじゃないから!」

「うおっ!」


 叫びながら、海斗は振り返る。

 どうやら少女にも声が聞こえてしまっていたらしい。

 むーっと頬を膨らませながら少女が整った顔を近づけてきて、バツの悪さを感じた海斗はすぐさま謝罪した。


「あ……すまん。悪かった」


 陰口のようになってしまったことを反省する海斗に対し、少女は少し悩むように「ん……」と眉を寄せた。

 それから底抜けに明るい笑みを見せ、


「じゃあ……いいよ。キミのこと、許したげる!」

「あ、ああ。ありがとう。……でも、猫のご飯はちゃんと買ってあげた方がいいと思うぞ?」


 と、苦笑いする海斗。


「うぐっ! そ、それは……やっぱり聞こえてた……?」

「まあ、あんだけ叫んでりゃな」


 海斗が頷きながら顔を見ると、少女は頬を真っ赤に染めていた。

 どうやら今更になって恥ずかしくなってきたようだが、それはそれとしてお菓子は欲しいようで。


「……ねぇ。お菓子、買っちゃダメかなぁ? キミはどう思う?」

「────っ!」


 駄々をこねる子供のように見上げてくる少女。

 無意識なのか、よほどお菓子が好きなのか。あどけない表情の上目遣いとなっていて、対人経験の少ない海斗にとっては効果バツグンだった。

 いや、ただでさえ容姿端麗な少女なのだ。きっと誰でも惑わされるに違いない。……まあ、それを確認しようにも海斗には友達がいないのだが。

 そんなブラックジョークで思考を逸らしつつ、海斗は目の前で瞳を潤ませる少女を見てから、頭をがしがしとかいてため息をつく。


「ったく、しょうがないな。さっきのお詫びに、俺がなんか一つ買ってやるよ」


 海斗がその言葉を口にすると、少女は潤んでいた瞳をきらきらと輝かせた。


「ホント⁉︎」

「ああ、ホントホント」

「やったー! あ、じゃあ、ついでにさっき拾った猫も飼って──」

「そりゃ意味がちげぇよ! んなこと言ってるとお菓子も買わないからな?」


 海斗が呆れて提案を撤回しようとしてみると、慌てて少女は弁解した。


「あああー! い、今の冗談! 冗談だから! だからセーフ! だよね⁉︎」


 ふっと笑い、海斗は手をひらひらと振った。


「はいはい。分かったから、早く選んでこいよ」

「うんっ! すぐ持ってくるねー!」


 嬉しそうに声を弾ませ、少女はお菓子を選びに向かう。

 その間に海斗は猫のご飯を取りに行ってやり、戻ってくると少女もちょうど選び終えていた。


「これでいいのか?」

「いいよー! ありがとー!」


 海斗は無邪気な笑顔を見せる少女から受け取ったチョコレート菓子を自分のカゴに入れ、キャットフードを少女に渡す。


「あ、あとこれ。適当に選んできたけど、合ってるか?」

「んんー……、あたしも正直分かんないからなぁ。ま、今回はこれにしてみるね」

「ああ」


 それから二人でレジに並ぶと、支払いを先に終えた少女が待っていてくれた。海斗はカゴからさっきのチョコレート菓子を出し、少女に手渡す。


「はい、これ。さっきは悪かったな」

「んーん。もういいよ、ちゃんと謝ってくれたし」


 少女は首を横に振ると、歩き出そうとして振り返ってきた。


「ところで、キミも一人暮らしなの?」

「えっ?」


 どうして分かったのだろう。

 言い当てられて海斗が混乱していると、少女は海斗のカゴを指差して言った。


「ほら、キャベツとかニンジンとか買ってるでしょ?」

「ああ……ま、そうだな。猫の話を断ったのもそれが理由だし」

「ふーん……」


 海斗の言葉を聞いた少女は少し考えて、ふいにニイッと口角を上げて悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「ねぇ。あたし、来宮クルミっていうの。クルミでいいよ。──キミの名前は?」


 ずいぶん珍しい苗字だな、と海斗は思った。

 しかし同時に、どこかで聞いたような懐かしさに襲われる。


(……ま、気のせいだろ)


 海斗は一度思考を止めて、慣れない自己紹介を口にした。


「俺は、山崎海斗だ。初めまして」

「うんっ! よろしくー!」


 クルミと名乗った少女に弾むような笑顔を返されてから、ふと海斗は野菜をエコバッグに詰める手を止めてポケットの携帯電話を探った。

 画面を表示すると、時刻を確かめる。


「あ、もうこんな時間か。悪い、そろそろ帰らないと──」

「ん? 今何時なの──って、もうこんな遅いの⁉︎」


 海斗の携帯電話を覗き込んできたクルミに画面を見せると、クルミはハッとして叫ぶ。


「あたしも急がないといけないんだった! お先にごめんね、また明日!」


 言いながら、クルミは海斗の返事も聞かずに走り出した。

 その速度は陸上部なのかと疑うほどで、あっという間にスーパーの外へと姿が消えていく。海斗はその後ろ姿を呆然と眺めていたが、ふっと呆れ笑いを浮かべる。


「……おう。まあ、またいつか、な」


 海斗はすでに姿の見えないクルミに向けて、普段なら使う機会もない挨拶を呟くのだった。






ひとまず切りのいいところまでは毎日更新します。ぜひ楽しんで読んでいただければ幸いです。


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