②『フロラ』のヒナミと枢老院のカセイン
季節にそぐわぬほど晴れの続く長閑な日和に、そんな村の久々の静穏に、いつも眉根をひそめている老人も気の休まる午後を謳歌していた。
今でこそこのようにのんびりしていられるが、その男はほんの少し前まで重責を担う立場にあった。
ただそれも、この村についてきた者たちのように独立より静かな暮らしを望む「ユクジモ人らしさ」に心が動き、新たな形でヒトビトをまとめる役を負うことになったようだ。
とはいえ枢老院は今なお存続してあり、政治でヒトを束ねては何事かを訴えている。そういった者たちの中にはまだこの老夫を推す声もあったものの、当事者にしてみればありがた迷惑といったところだろう。
「カセイン村長、客人です。」
放っておいて欲しい。
今はそれが、願いだった。
「・・・姿を見るのは初めてになるか、「フロラのファウナ」。既に権力を持たぬワタシになぜそんなに入れ込むのだろうな。・・・ま、ここへ。」
では失礼して、とザリスル族の男は穏やかに笑んでその向かいに腰掛ける。
「さて、手短に話させていただきますね。あなたもご存知のはずだ。わたしが昔『スケイデュ』の長だったことは。
当然それなりに物事を知ることもできたし、先日には情報を掌握するウセミンという商人にも出会うことができました。しかしそこでいくつかの疑問にぶつかってしまったので、いくつかの疑惑を抱えるあなたに知恵を借りてみたいと思ったから来たまでです。
ところでカセイン元枢老院長、これをご存じですか?」
何かの粉を樹液で固めて丸めたものがコロコロとヒナミの手の平で転がる。
「・・・いや。」
それが何なのかカセインには解らなかったが、こういう話の流れが村長としての自分にではなく枢老院長であった自分に向けられていることは判っていた。
「名付けて「蟲乱し」です。あなたの蟲のいくつかはこの嗅色剤に誘われてわたしの部下のところへと向うことでしょう。無論、そこには蟲使いもいます。
ふふふ、わたしたちも聖都で遊んでいたわけではないのですよ。情報戦が主ですが手の余った者には蟲の開発を進めさせていたのです。なにせ聖都はさまざまな薬草や蟲、鉱物や知識が流れ込んできますからね。まだ実験段階とはいえ既に移動経路の解析ができる蟲も作り出すことに成功しました。」
それはもちろん報告でも自慢でもない。といってハッタリの類でもなさそうだ。
ただどちらにしてもそこに見える不気味な余裕が不必要にカセインの不安を煽っていく。
「どこまで掴んでいるのかはわからんがあまり首を突っ込まないでもらいたいものだな。」
迂闊に言葉を繋げられないカセインの苦渋が伝わったのだろう、同情するようにヒナミは嘆息して組んだ手を膝に置く。
「・・・なるほど。まだ「彼」のことは極秘事項のようですね。
ですが今『フロラ』が大白樹ハイミン奪還のために浮島シオンへ向っている、と知ったらさて、どうするのでしょう?
ふふ。この事実を知った今、あなたはどう動くのでしょうね、元枢老院長。」
わずかに残っていた希望も、もう手応えのあるものは失くなってしまっていた。
しかしやっとのことで平穏な暮らしを手に入れたこの村の者でさえユクジモ人の悲願である「大白樹ハイミンの奪還」は心を奮わせる出来事となる。
カセインとてユクジモの手にハイミンが戻ってくることは望ましいとは思うが、それが力によって強行されれば間違いなく『フロラ木の契約団』への支持が盛り返すことになる。
そうなれば志願者を募って大きな争いをファウナ側に吹っかけることも想定から外せなくなるだろう。
平和裏に解決するためこうして職を辞し、極秘事項である「打開策」のために粘り強い「説得」を続けてきたカセインには、そのような『フロラ』の暴走がもはや絶望にしか見えなかった。
「・・・形はどうあれ、時期が読めずともこうなることは初めからわかっていた。
ヒナミよ、はぐれ蟲だけでも「字打ちが誰なのか」はもう知ってしまっているのだろう?
ならばルマに伝えてくれ。ワタシではどうすることもできなかったが、ルマならばあるいは・・・。
願わくはそれに呼応してワタシと協調してくれればよいのだが、もう・・。
ハハ、まだまだワタシも未熟なようだ。分、というものが解っていなかったのだな。」
いつもどおり訝るよう眉根を寄せていながらももう、覇気はなかった。
渇望する力さえ枯れ果てたカセインはそう言って老け込んだ笑みをひとつ浮かべるだけだ。
「あなたの求める結果が伴うかは明言できませんが蟲を飛ばしておきますよ。
ただ、カセイン元枢老院長、わたしとてもタダで帰るわけにはいきません。ひとつお聞きしたいことがあるのですよ。
フローダイム、という名前に何か心当たりはありませんか? 人物であろうことまでは把握できたのですが、そんな名前の者も、その単語が何を意味するのかもわからないのです。」
ヒナミはこの質問のために村を訪れ、求めもしない『フロラ』の動向を教えたのだ。
フローダイムに関する情報を引き出せそうなのはもはやこのカセインしかいない。といってこちらの隙につけこまれても交換に値する手札など持っていない。
押し付けがましくてもこちらから価値のある情報を渡しておいて、友好的な関係を築いてから切り出した方が合理的だった。
ウセミンの予測にしろヒナミの予感にしろ、このカセインがフローダイムの仲間となる可能性の薄い人物だと想像できたから持ちかけた話なのだから。
「フローダイム・・・すまぬな、ヒナミ。ワタシには思い当たる節がない。
ただ耳慣れぬ音であることは確かだからな、もしかしたら昔の言葉ではないのか? どうもそのあたりは疎いのでやれ上代だ、神代だ、というのは判りかねるが・・・
ハハハ、あるいは自分で「尋ねに行く」のもいいかもしれんよ、ヒナミ。
『カラカラの経典解識研究班』にいた者なら各時代の辞書くらいは持っているだろう。ヒトによっては、それすらもいらぬ膨大な知識を溜め込んでいることもあるからな。
・・・ハハ、こんな皮肉も届かなければ虚しいだけか。
正当な理由を携えれば面会できるコロニィに「最後の希望」はいるはずだ。」
それだけで、ヒナミには充分だった。
「ありがとうございます、カセイン村長。以後はあなたの望むとおり我らの配下の者を含めここへは近づかせぬよう努めます。それでは。」
そうして恭しく目を伏せて礼をするヒナミはすぐに村を後にした。
裏切り者のあった五人組の部下は聖都に置いたままだったので手持ちの蟲をルマへ向けて放つといよいよ一人になる。
聖都区局主を任されているヒナミの単独行動は褒められたものではないが、真偽の確認と銘打てば暗々裏の任務としてルマも承服するだろう。
「そうだな・・・ふふ、やはりそれが最善か。」
向かう先は普通に暮らす者であれば近づくことのない場所だった。
しかし、踏み出す一歩が確実に求める解答へ近づいているヒナミに迷いはない。
「そちら側も近いな。ふふふ。」
そして聖都から駆らせたクラゲ馬を撫でると、男は不敵に笑って森の奥深くへと消えていった。
そこだ、いけっ!
さすがに荷物が軽くなり過ぎて警戒するダイーダからちょろまかすのは苦心の強いられるところだ。
しかし大好きな金の話に夢中になっている今なら狙うことができる。
盛り上がりを見せる話の展開と波長を同じくするように拳を握り締めるアヒオは声にならない心の声でダイーダの背負い袋に忍び寄るリドミコにそう呼びかけていたところだ。
「―――わかるかなぃ、そこが狙い目なん、お、っとっと、どしたに?」
ぱ、っと盗むのをやめてとったった、とリドミコはアヒオの方へ渡り抱きついてくる。
それら三人を乗せたシャコ馬は何かを察してかぴたりと立ち止まってしまった。
「どしたんだ? んー、ちょっとこのあたりは見通しが利かないし生い茂ってるからな、獣の音もちゃんと伝わってこないだろうし・・・それともなんか変なモンでも踏んだのか? 悪いダイーダ、ちょっとリド預かっててくれ。見てくるわ。」
ひょい、と馬から飛び下りて、ごめんよー、とヒヅメを返して見てみるも特に何かが挟まっているわけではない。
道らしからぬ木々の隙間を縫って進んではいるものの、猛獣の類が出てこられてはたまらない。また葉に梢に覆われたささやかな空では昼下がりといえどもかろうじて色かたちがわかる程度の明るさしか届かせてはくれない。夜目が効くアヒオでも二人と一頭を背にした中での相手が獣となれば勝ち目などなかった。
そんなこの森の静けさに不安の根を見つけるより今は一刻も早く安全なところへ、ナナバの村へと向いたいところだ。
「なんか刺さってたかなや?」
ダイーダに抱かれながら心配そうにリドミコもアヒオのほうへ顔を向ける。
「よ、っこい、っと。いや、何も。・・・なぁリド、なんか嫌な予感とかはしたか? そか。
うーん、まあいいや。馬さんよ、悪いがもちっとだけ頑張って歩いてくれ。村に着いたら贅沢させてやっからさ。」
そうして再び馬によじ登ったアヒオは馬の頭を撫でながら機嫌を取ってやる。
ダイーダを乗せてからもう四の日巡りぶっ通しで歩かせていた。疲労も重なれば身の危険を感じるハードルが感覚的に下がっていてもおかしくはない。
「お、歩いてくれたなぃ。んん、確かにアタシもこの馬さんにはお世話になっているからに。あ、そうだ、滋養強壮の薬草を・・・」
あぱぱぱ、とアヒオは慌てて妙な動きをやりだす。
だのでとりあえずリドミコもダイーダの腕の中で同じように動き出す。
必死なのだ。
二人とも、必死なのだ。
「あっはっは、ダイーダよ、おまえさんもやっときな。コレ、森の妖精に安全を祈願する古来からの踊りなんだよ。ほら、よく言うだろ、馬の上で願うものより叶う安全はこの世にない、って。・・・なーリド。」
うんっ!と元気いっぱい嘘をつくリドミコ。
あまり心は汚れていないが行為としての罪は常人を凌ぎつつある。
「おう、そうなのかに。ならアタシも参加しようなぃ。ええと、こうかなぃ? あ、右手はこっち――――」
とそこへ。
どががががーんっ!
「ぷみっ、なんだっ! なんか落っこちてきたのかっ?」
さっきまでの静寂が一瞬にして破られ、向こうの方に落ちたらしい何かが今度はこちらへ木々をなぎ倒して突進してくる音が響く。
「くっ、ダイーダ、リドを落とすなよっ! 手綱は任せろっ!」
地響きの衝撃にいななく馬をなだめ、こちらへ迫ってくる巨大な轟音を振り切るよう走らせる。大人ふたりと子どもひとりは軽くない荷だったがこの時ばかりは踏ん張ってもらうしかない。
「リドっ、村はどっちだっ!」
んごごごご、となおも迫ってくるそれから逃れるにはあまりに道が拙かった。
といって勝ち負け問わず正面切って対峙するにしてもここでは狭すぎる。
かくなるうえは迷惑承知でナナバの村へ逃げ込むより仕方がなさそうだ。
どんなに獰猛で巨大な獣であっても火さえ手に入れれば追い返すくらいはなんとかなる。今の手持ちの道具では頼りないものの、それでも村へ行けば使える材料は見繕えるはずだった。
「ふもっ、ちょっ、ムシマの兄サン、なんか完全にこっち狙ってるみたいだにっ! ここはひとつアタシの「超豪華滋養強壮薬草セット三袋入り~今ならお得なもうワンセット~締め切りはただいまから四半刻・さぁみなさん急いでおいでませデラックス」で手を打ってもら――――」
「頼むダイーダ黙ってかがんでてくれっ!・・・お、あの倒木の向こうだなっ?」
しがみつくように馬の首を抱えるアヒオが振り返ってリドミコを見る。
あの時リドミコは熱でフラフラしていたが場所はきちんと覚えていたらしく、うん、と頷くとひとつ笑みを返してダイーダの腕にぎゅっと掴まった。
その間もバキバキと森の中を破壊して駆けてくる音はそのスピードを緩めてはくれない。
「ちっ、あの扉ぁ馬じゃ開けられないな。・・・馬さんよ、最後の無理、聞いてくれよ。」
枝も幹も構わずへし折り追いかけてくる音はもうすぐそこまで来ていた。
正面にはカムフラージュされた門を閉ざす倒木があるだけで右手にあるのは尖った細木ばかりの茂み。左は樹木の密生地。どこにぶつかっても軽傷では済まされない。
「リド、ダイーダ、とりあえずがんばれよっ!」
むぎゅう、とシャコ馬にへばりつくアヒオはわずかに飛び込める下草ばかりの空間を目がけ、手綱を右に切った。
ずだーんっ!
「いもぉぉぉぉーっ!」
黙ってかがんでいられなかったダイーダだけが絶叫を上げ、馬ごとアヒオたちは草むらに投げ飛ばされる。
そしてその一瞬の後に追いかけてきた獣が門の扉へ豪快に衝突した。
ばごーんっ!
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