16 会えなくなった理由
「それで、その後なんだけど」と日向が続ける。
そうだ、まだ日向と会えなくなってしまった理由が不明なままだった。俺の腕をしっかりと支えてくれている、隣の日向を仰ぎ見る。
「そうだよ! 俺さ、校庭の工事が終わった後も、日向がいないか気にしながら見てたんだぞ? 一年の教室も覗いてみたりしてさ。でも、どこにもいなかったんだけど」
うん、と日向がやや申し訳ない表情を浮かべる。
「実は……俺の身長、梅雨に入ってから急激に伸び始めたんだ。夏休みの間も、物凄い勢いで伸びてた」
「えっ、マジ!? 伸びたって、どれくらい?」
余程俺が羨ましそうな顔をしていたのか、日向がクスリと小さく笑った。
「六月から八月の三ヶ月間で、二十センチくらい。足の骨がギシギシいって、毎日痛くて寝られなかったよ」
「二十……凄いな……。にしても、骨が痛いって本当にあるんだな? 羨ましすぎるんだけど」
二十センチも一気に伸びたら、視界がガラリと変わったんじゃないか。いいなあ、成長痛。俺にはそんなもの、この十七年間一度だって訪れなかったよ。
へへ、と自分の頭頂を手でぽんぽんと叩く。
「マジで羨ましい。俺なんかさ、高校に入ってからは三センチしか伸びてないんだぞ?」
「ん。変わってなくてその……見つけやすかった」
そこ、答えにくそうに苦笑いしない。冗談で軽く睨むと、再び日向の武士然とした顔に小さな笑みが浮かんだ。
ひょこひょこと亀の歩みで進む俺の横を、日向は穏やかな微笑をたたえながら寄り添い続ける。
「それで実は……背が高くなると同時に、顔も縦に伸びたんだ。自分でもびっくりするくらい、顔が変わった」
「え、顔もそんなに一気に変わるもんなの?」
「俺の場合はそうだったよ」
「マジかー……」
日向の言葉に、改めて日向の顔をじっくりと眺める。よく見ると、パーツが春香ちゃんと似ているところが多い。瞳の形とか、二重の感じ、それに睫毛が長いところもそっくりだ。確かに同じ遺伝子を持ってると思える。ぱっと見は分からないけど、確かにあの時の彼は日向なんだと、今なら確信を持って頷けた。
日向が、じっと俺を見つめ返す。
「背が伸びたのは、物凄く嬉しかった。やっぱり、絡まれにくくはなるから」
「そっか、そういうもんか」
俺は基本空気になっているので、そもそも「あ、いたの?」と言われるくらいの存在感の薄さだ。なので、自分の意思に関係なく近寄って来られることに対する恐怖や嫌悪みたいなのは、正直想像することしかできない。
だけどきっと、当時の日向にとっては大きなことだったんだろう。
「だったらさ、でかくなれてよかったじゃん。成長痛はキツかったかもしれないけど」
へへ、と笑いかけると、何故か日向が悲しそうに眉を八の字にしてしまったじゃないか。あれ? 今度はどうした? 俺、何か言うこと間違えたかな。
「夏休みが明けるまでは、確かにそう思ってたけど……顔があまりにも変わったのと背が伸びすぎたせいで、井出が気付いてくれなくなってた。その後も、夏休みほどじゃないけど伸び続けてたし……」
「え」
その言葉から、ようやくどうして工事明けに日向に会えなくなったのかの理由を悟った。
「ま、まさか……日向が急激に変わり過ぎて、俺が認識できなくなってた……?」
日向が顎を引いて「ん」と肯定する。なんてこった。
「何度か声を掛けようともしたけど、俺、自分から話しかけるの苦手だし……。一度、頑張って『あの』って声を掛けたら、井出が物凄く驚いた顔をしてスッと逃げられて」
「ごめん、本当にごめん」
間違いない。俺は日向の眼光の鋭さと身体のでかさにビビって、カツアゲでもされるんじゃないかと慌てて逃げたんだろう。俺ならやる。絶対やる。
「……それから、話しかけ辛くなって」
日向がしょんぼりしてしまった。日頃はキリリとしたシェパードが叱られて項垂れるような姿を見て、俺の手が無意識の内に日向の頭に伸びる。
「ごめんな……?」
思ったよりも柔らかい髪をワシャワシャと撫でると、日向の切れ長の瞳が大きく見開かれた。あ、しまった。つい。
「あ、ごめっ」
慌てて手を引っ込めようとすると、何故か手首をガシッと掴まれる。え?
驚いて日向の目を見ると、例の睨むような目で俺を凝視していた。
そして言ったんだ。
「――もっとやって」と。
一瞬何を言われたのか分からず、ぽかんと聞き返す。
「へ?」
すると、眼光鋭く日向が言った。
「二年分やってほしい」
「あ、うん……?」
そしてそのまま少し屈んできたので、俺は頭の上に大量のはてなマークを浮かばせながら、言われた通り日向の頭を撫で続けたのだった。
◇
日向と元々知り合いだったことが判明した日から、俺たちの距離はぐんと縮まっていった。
右足首の腫れは徐々に治まっていき、包帯が取れ、湿布が取れ、最終的にサポーターも取って問題なくなる頃には、日向が隣にいることが当たり前に感じるようになっていた。
明日は週末という今朝のお迎えで、二週間にも及んだ日向の送迎は終わりを迎えた。だけど「通学が楽しかった、これからも一緒に通いたい」と日向にボソボソと言われて、同じ気持ちだった俺は一も二もなく賛同したんだ。
だけどさすがに、怪我も治ったのに家の前まで迎えに来てもらうのは図々しい。しかもよく話を聞いてみたら、日向の家はうちから見て上り方面に行った駅にあったんだ。つまり日向はいつもわざわざ定期圏外の俺の家がある駅まで下ってから、自分の家がある駅を俺と一緒に通り過ぎて学校に通っていた訳だ。ということで、待ち合わせは時間と車両を定めた電車の中になったのだが。
これまでの送迎は、当然行き帰り両方のことだ。二週間の送迎分、余分な電車賃を支払わせていたことになる。
これに気付いた時、俺は顔面蒼白になった。
だって、これじゃいくらなんでも日向にばかり負担をかけ過ぎてるじゃないか。
俺が慌てに慌てていると、日向は苦虫を噛み潰したような顔になって「だからあんまり言いたくなかったんだ……井出、気にするでしょ、そういうの」とぼやかれる。
そりゃ普通そうだろうと思ったけど、ここで俺はひらめいたんだ。
「あ、じゃあさ……! 日向って今日の放課後は暇!?」
「物凄く暇」
間髪入れず、返される。
「じゃあ、そ、その……!」
「うん」
高校に上がってから、帰り道で一緒になった顔見知りと集団で帰りつつコンビニに寄るくらいのことならあった。だけど「この後カラオケ行こうぜ」と言ってる輪の中に自分は入れられてない気がしてならなくて、「じゃあまた明日!」と笑顔で手を振り立ち去っていた。
背中越しに「あれ、井出は行かないの?」「みたいだな」なんて話している声も聞こえてきたことがあったので、あの人たちの中では俺は当然行くものだという認識だったんだな、と後になって気付いた。「勇気を出してくっついて行けばよかった」と思っても後の祭りで、段々と「井出ってこういうの好きじゃなさそうだもんな」という雰囲気になっていった。
多分俺は、集団とつるむのが怖くなっていたんだと思う。俺がいなくなった後、みんなで俺のことを笑ってるんじゃないか。あの人たちは中学の頃のあいつらとは違うと頭では理解していても、想像するだけで居た堪れなくなって、逃げ出した。
――でも、日向は違う。
日向はその場にいない人のことを笑うようなことをする人間じゃないと思ってるし、そもそも集団でつるんでいない。
だから、本当のところは凄く怖かったけど、断られたらもう二度と自分から誘えないかもなんて考えが頭を過ったけど、勇気を出して誘ってみたんだ。
「じゃあ、ど……どこかに寄らない? 二週間のお礼に、奢るし……っ」
「絶対寄る」
被せ気味な日向の返答に、緊張しまくってガチガチになっていた身体が一気に弛緩する。
カクン、と膝が折れかけた俺の脇を「井出!?」と瞬時に抱えるあたりは、二週間俺を支え続けただけのことはあった。
「どうした? まだ痛いのか?」
「違うんだ、ちょっとその……まあ、へへ……っ」
腑抜けたみたいになってるだろう俺の顔を見ても、日向は馬鹿にしたりなんかしない。
代わりに、ここ二週間ほど頻繁に見られるようになった穏やかな笑みを、惜しげもなく見せてくれたのだった。
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