バレッタ
今日も今日とて夏希とフカヒレはデートの約束をしていた。
場所は例の岩場だが、時間帯だけがいつもと違う。
普段のデートが太陽のギラギラと照った昼から始まるのに比べ、今回は星空がキラキラと輝く澄んだ深夜に待ち合わせをしていた。
フカヒレは夏希を待ちながら岩場で月光欲をしている。
例の小瓶を防水ポシェットに潜ませたフカヒレは酷く物憂げな表情で月夜を反射する海を眺めていた。
「フカヒレさーん、来たよ~! 日光浴中のフカヒレさんも最高だけど、月光浴も最高ね。神秘的!!」
深夜だからか、周囲に人間はいなかったが夏希は小さな声でフカヒレに話しかけた。
彼を見つめる黒い瞳は爛々としていて、興奮で頬が火照っているのが冷たい月光越しでもよく分かる。
「夏希ちゃん、こんな変な時間に呼び出してごめんね。道中、大丈夫だった? ちゃんと防犯ブザーは見えるところにつけて、痴漢撃退用のスプレーを持ち歩いてね」
申し訳なさそうな表情のフカヒレが夏希の姿を確認してから心配そうに口を開く。
人魚であるフカヒレからすれば夏希は豆腐レベルに弱く脆い人間である上に女性だ。
少し前に夏希が雑談で人間社会における女性の防犯対策を話して以来、フカヒレは彼女を心配してずっとこの調子だった。
眉を八の字にして不安そうな表情を浮かべるフカヒレを安心させるべく、夏希がバッグに括りつけられた防犯ブザーをチャラチャラと振る。
「ほら、フカヒレさん、見ての通りだから大丈夫よ。ちゃんと見えるところにつけてるし、スプレーも持ち歩いてるから」
ニッと明るく笑う夏希にフカヒレはホッと息を吐くと、日光浴後と同様に海に飛び込み、それからヒタヒタと浜辺まで上がってきた。
神秘的な豪快さや、まとった水滴を月夜で煌めかせる繊細な美しさに相変わらず夏希が見惚れている。
「あのさ、夏希ちゃん、俺、夏希ちゃんにプレゼントがあるんだ」
緊張で少し震えるフカヒレが取り出したのは、防水用の袋に包まれたラッピング袋だ。
ポシェット自体が防水加工されており、ボタンもチャックもきちんと閉じられていたので、仮に防水袋に包まずとも紙のラッピング袋は無事だったろうが、それでも重要な品が入っているのか、荷物の扱いは丁重だった。
乾いたプラスチック袋を渡された夏希が、開けてもいい? と問いかける。
ジッパーを開けて中の可愛いラッピング袋を取り出し、封を解いても更に出てきたプチプチを丁寧に取り除く。
そうやって過剰梱包を開封した後にようやく姿を現したのは、複数の貝殻や装飾用の石で豪華に飾られた髪飾りだった。
四角くカットされた藍色の石を中心に砕かれた貝殻やパールのような真っ白く丸い石が丁寧に並べられた髪飾りは、まるでおとぎ話のお姫様が身に着けるブローチのようだ。
飾りの裏にはバレッタ型の留め具が付いていて、夏希の長い髪を後ろで括るのにも、あえて前面に着け、まるっきり装飾としてしまうのにも良い品だった。
「綺麗……特に、フカヒレさんの瞳みたいな藍色の石が素敵だわ。こんなに凄い物、貰っても良いの?」
両手でバレッタを包み込む夏希がキラキラと輝く瞳でフカヒレに問いかける。
すると、フカヒレは照れて頬を赤らめ、恥ずかしそうに後頭部を掻いた。
「その、喜んでくれてよかった。実はそれ、俺が作ったんだ。前にも話したと思うけど、俺、装飾品を作って販売してるから。本当はもっと早くに渡したかったんだけれど、なかなか納得のいくものを作れなくて」
自分のために作ってくれたというのが果てしなく嬉しかったのだろう。
はにかむフカヒレに夏希は心底嬉しそうな表情を浮かべて、片手で大切にバレッタを包み込んだまま、キュッと彼に抱き着いた。
「ありがとう、フカヒレさん! 本当に、本当に大切にする! 毎日身に着けるね!」
嬉しそうにはしゃいだ夏希が甘えて、
「せっかくだから着けさせて、フカヒレさん!」
とおねだりしようとしていたところに、
「夏希ちゃん、良かったら着けてあげようか?」
と、フカヒレが提案してくれたので、彼女は嬉しそうにコクコクと頷いてバレッタを手渡した。
左上の方にパチリとバレッタをつけてもらう夏希は玩具のティアラを頭に被せてもらう女の子のようにソワソワとしていて、キチンと装飾された瞬間、パッと表情を明るくした。
「ねえ、似合う? フカヒレさん」
前かがみになってバレッタのついた髪を見せびらかしつつ、ワクワクと問いかければ、夏希の無邪気な笑顔にフカヒレがシッカリと頷く。
「うん。凄く似合ってるよ、夏希ちゃん。かわいい」
ニコニコの笑顔で褒めれば夏希が「えへへ」と頬を緩め、バッグから取り出した手鏡でソワソワ、チラチラと姿を確認し始めた。
バレッタをチョイチョイと触って「可愛い」と嬉しそうに顔をほころばせるので、フカヒレは心の底から作って良かったと感じた。
だが、柔らかく微笑んでいたフカヒレがポシェットの上から、もう一つ過剰梱包された品に触れて物憂げな表情になる。
それから、夏希のために丸く削っていた分厚い爪先で彼女の頬を繊細になぞった。
「なぁに? フカヒレさん」
可愛いじゃれ合いだと思った夏希がコテンと首を傾げて目を細めると、フカヒレが少し視線を落とした。
「ねえ、夏希ちゃん。実はもう一つ、夏希ちゃんのために作ってるアクセサリーがあるんだ」
ポツリと呟くフカヒレに夏希は、
「え!? そうなの!?」
と目を丸くする。
それから、
「うん。だから、完成したら身に着けるって約束してくれる?」
と、問いかけられると軽はずみに頷いて、
「勿論! でも、幸せ過ぎて困っちゃうな! フカヒレさんがくれるアクセサリー、全部つけたいからジャラジャラになっちゃう」
と、ふわふわ浮かれた笑みを溢した。
夏希は幸せに浮かれていてフカヒレの様子がおかしい事には気がついていない。
ボソッと出したフカヒレの、
「夏希ちゃん、絶対に約束だよ。絶対に」
という言葉も聞こえていなかった。
なお、フカヒレのいうアクセサリーとは彼が夏希と恋人になって以来、チマチマと製作し続けている物で、人魚の尾に取り付ける煌びやかな装飾具だった。
フカヒレの物と対になっているソレは婚礼用の品である。
「ねえ、夏希ちゃん、そろそろ海に出ない?」
明るい表情に戻ったフカヒレが柔らかく問いかける。
元々、深夜にデートを設定した理由が人目を気にせずに二人で海へ出て、ロマンチックな風景を二人占めしながらイチャつくことだった。
「そうね、ふふふ~」
嬉しさの余韻に浸る夏希が口内で笑いを味わいながらバッグを開き、空気が抜かれて折り畳まれたビニール製のボートを取り出した。
それをフカヒレが受け取ると人魚の凄まじい肺活量を使って、ほどよく膨らむまでボートに空気を送る。
「フカヒレさん、ありがとう」
「どういたしまして」
完成したボートに夏希がポスンと寝転がると、フカヒレは彼女ごとボートを持ち上げて海の上に浮かべた。
「夏希ちゃん、ボートを動かすよ。気を付けるけど、もしも顔にかかっちゃったらごめんね」
ボートに括りつけられた紐を引き、ゆっくりと海の中を進むフカヒレが申し訳なさそうに声をかける。
そんな彼に夏希は大丈夫だと微笑んだ。
「平気よ、フカヒレさん。だって、海水がかかっちゃうのもバランスが崩れそうになるのも、ボートで揺られる遊びの醍醐味でしょう? 何よりも人魚のフカヒレさんがついているから、私、転覆しちゃっても怖くないわ」
ボートで仰向けになる夏希がどこまでも自分を信用してくれるからフカヒレは嬉しくなって、けれどちょっぴり苦しくなって、
「ありがとう」
とだけ笑った。
二人は確かに陸から離れていく。
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