04.副団長、怒る1

「聖者!」


 悲鳴が聞こえすぐに見れば、真柴が魔魚の成魚に遭遇していた。稚魚は小さな毒泡を出すだけでそれほど被害はない。泡をはじき返せば自らの毒で死んでしまうが成魚は違う。毒泡を吐き出すのは変わらないが、その泡は風で飛ばすことができない程重く、僅かでも触れれば人間など骨の髄まで瞬時に溶けてしまう。

 彼らは溶けた人間の体液を吸って養分にして生きているのだ。


「せいじゃーーーっ!」


 叫んでローシェンから降りようとしたがすぐにその肩をローデシアンに掴まれた。


「今は目の前の敵に集中しろ!」

「見捨てるんですか! あのままじゃ……」

「……前を見ろっ!」


 目を反らしたその隙に魔魚は襲いかかってくる。


「でもっ!」

「黙っていろ! 今はまっすぐ前を見ろ」


 今まで聞いたこともないほど低いローデシアンの声に、アーフェンは奥歯を噛み締め、目の前の敵を見つめた。一瞬でも目を反らしたら、突っ込んでくる。

 けれど、真柴のことも気になる。あのまま毒泡を受けてしまったら、これから騎士団はどうすればいいんだ。


(くそっもっと後ろの奴らに任せておけば良かった!)


 だが彼らとて目を反らすことはできない。これだけの数だ、魔魚が誰を見ているか分からない。


(ああ、くそっ! どうすれば良かったんだよ!)


 後悔が焦りへと変わっていく。このままでは確実に真柴が毒泡を受ける。しかも成魚の泡を。

 自分の無力を奥歯を噛み締め堪えるしかなかった。


(だめだ、やっぱり助けに行こう!)


 ローデシアンの命令に背き、もしかすれば騎士団に多大な損害を与えるかもしれないが、どうしても真柴が気になってしょうがなかった。

 言い訳なんて頭に浮かばないほど気にかかる。

 目を反らしたその時、あの目映いばかりの光が放たれた。


「うわっ!」


 そうだ、真柴には聖者の力があったんだ。この光はすべての魔獣の属性を無力化できるのか分からないが、少なくとも腕で作った僅かな影の間から見た稚魚は動きを止め、次第に次々と地面に落ちてピチピチと跳ねた。

 そして成魚はと言うと、同じように地面へと落ち悶えるように身体を跳ねさせるが、その大きさが次第に小さくなっている。

 なんだ、この現象は。

 なぜ落ちるんだ。


(もしかして、浮遊も属性の一つだったのか)


 てっきり水と毒の属性が無効化するのかと思ったが、彼らには浮遊の属性すら纏っていたというのか。

 光が次第に弱まり、その隙にアーフェンは馬を下り真柴の前でのたうち回る成魚の頭部に剣を突き刺した。力を込めると剣先が地面まで刺さる。

 まだ成人女性ほどの大きさだが、さっき見たときよりも確実に小さい。これなら振り払われることはない。アーフェンは剣が抜けないよう、全体重を剣に掛けた。


「アーフェン、はらわたは破くな! 毒が飛び散ったら全員死ぬぞ!!」

「分かってますって!」


 剣を入れられるのは頭部だけだ。それは魔魚を相手にするときの鉄則。だからこそ、稚魚を前にして剣を振るうことができなかった。小さな身体であっても宿しているのは猛毒なのだから。

 苦しみにのたうち回った成魚が動きを止めひれが動かなくなるまで、ひたすら剣を地面に突き刺し続けた。


 ようやく動きを止めた成魚はデカい目玉を動かすことなく口を開けたままの、本当に魚のような死に顔となった。

 真柴はどうなった?

 アーフェンは慌てて後ろを向けば、あの時と同じように意識を失って倒れていた。

 どこも怪我をしている様子はない。


「……よか……た……」


 ホッと一息吐いて成魚に刺していた剣を抜いた。血を払ってから鞘に収め、真柴の身体を確認した。どこにも毒泡を受けた形跡も傷つけられた跡もない。

 ホッとして細い身体を抱き上げた。

 いくら道が悪いと言ってもこれが毎回では馬車を用意した方が良いのか。だが機動力が落ちる。


(ローシェンに乗せればなんとかなるか)


 貴婦人にするように抱き上げ、ローシェンの傍へと戻った。


「聖者はどうだ、毒は受けたか?」

「その形跡はありませんでした。服も溶けていなければ小さな傷もない、あるのは泥汚れだけですよ」


 なんという強運だ。


「……やはりそうか」

「団長?」

「いや、なんでもない。ローシェンに上げられるか。手伝おう」

「あっ……いや……一人でできます」


 いつもであればローデシアンの申し出は有り難いばかりで甘えてしまうのに、今だけは真柴を誰かに触らせるのが嫌だった。理由は、いつもながらわからない。自分の力だけで持ち上げられるが、真柴のことを考えれば手伝って貰った方がいいのは確かだ。


(あの光を浴びたからか?)


 そんなはずはないと思おうとしても、しっくりいく理由ではない。

 アーフェンは頭を振って、腕に力を入れ真柴の身体をうつ伏せでローシェンに乗せた。そしてすぐに自分も乗り、もう一度引き上げる。

 くたりとした真柴の身体を起こし、自分に凭れかかるように座らせて手綱を取った。その一部始終を見ていたローデシアンは苦笑し、他の団員に声をかけた。


「魔魚の回収はどうだ? 気をつけろ、絶対に腸は潰すな!」

「わかってますって。麻袋に入れるには成魚がちょっと大きすぎますね」

「では藁を巻いておけ。そうすれば毒が出ても害は少ないだろう」


 魔魚の毒の取り出しは専門家が行う。特別な薬草に混ぜれば薬となり高額で売れるのだ。

 魔獣が歩いた後や特定の魔獣が放つ瘴気に苦しむものは多い。それらを一瞬にして治す薬は高値で取引され領に財をもたらすのだ。


 これほど大きな成魚であれば随分な量になるだろう。稚魚もたくさん手に入れることができた。今までは稚魚一匹とて毒が恐ろしくて近づくことができず、自らの毒で溶けた後でないと捕獲できなかった。魔魚をここまで美しく捕らえられたのは初めてではないか。


「ルメシア候に良い土産ができましたね」

「そうだな。……聖者はどうだ? どうやら力を使った後はすぐに意識を失うようだな」

「みたいですね。あれだけの力なら体力が消耗するんでしょうね、その分すごい量の飯を食いますが」


 笑ってみせればローデシアンの表情も和み始めた。真柴から意識が逸れたようで、どこかホッとする自分がいるのにアーフェンは気付かなかった。

 すべてを回収した騎士団はそのまま領城へと向かった。大量の魔魚を目にして領民は驚き、誰一人怪我をしていない騎士団に賞賛を浴びせた。

 それはルメシア候も同じだった。


「なんということだ! これすべて魔魚だというのか……こんなにも大量で状態が良いのは初めて見た……」


 領城で待っていたルメシア候は顎が外れそうになった後、諸手を挙げて喜んだ。

 腸の毒の半分だけでも、かなりの金になると踏んだのだろう。


「候へのお渡しは先のお約束の通りで。今はゆっくりと部下を休ませていただけると助かるのだが、いかがか。できたら副団長のベルマンは聖者と同じ部屋でご用意いただきたい」


 いつにない厳ついローデシアンの言葉に、だがルメシア候は満面の笑みで頷き、すぐに部屋を用意してくれた。

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