第二話 『鏡に映る男』


「やっと目覚めたか!」


 その声が部屋に響いたとき、俺は驚きと共に振り返った。

 三十代前半と思われる赤髪の男が入ってきた。

 部屋の雰囲気には少しエロスが漂っていたまま、彼の後ろには二人の女性が続いて入ってきた。

 彼女たちもまた、鮮やかな赤髪を持っている。

 うち、一人は幼女だ。

 まるで血のつながりを感じさせるような光景だった。


「すみません、ユリシアさんのご家族の方ですか?」


 俺は戸惑いながらも尋ねた。


「ん? ああ、そうだ」


 彼の日本語もまた、流暢だった。

 

(でも、惜しかったなぁ。

まあ、でも今度チャンスが巡ってきたら確実にユリシアは仕留められるな)

 

《性格: 平凡→自信家……シフトチェンジしました》


 どこからともなく機械的な声が響いた。


「はい? 何か言いましたか?」

「い、いや、何も言っていないが……?

それより、傷口はどうだ?

ユリシア、確認してやってくれ」

「はい、お父様」


 ユリシアが軽く頷き、彼に従った。


「失礼します」とだけ告げると、ベッドの縁に腰を下ろし、背筋を伸ばして座っていた俺のシャツのボタンを一つずつ外していった。

 微かな興奮が股間を襲った。

 だが、周囲の誰もその変化には気づいていないようだ。

 男のプライドというものが許さないので、念のために言っておくが、俺のアレは決して小さいわけではない。


 全てのボタンが外され、俺は自分の身体を確認した。

 驚くべきことに、あの時刺されたはずの胸は無傷だった。

 さらに、体の感触が自分のものとは思えないほど違和感があり、少し細身で筋肉が不足している。

 目線も以前より少し低くなっていることに気づいた。

 

「よくやった、ユリシア。

念の為にこれからも治療は続けるように」

「はい、お父様」


 部屋に響くその声は、深い安堵の感情を含んでいた。

 ユリシアは、小さく頷きながら「はい、お父様」と答え、軽く身体を反らせるようにして立ち上がった。

 その動きには、幼いながらも毅然とした責任感が表れていた。


 彼女が俺の治療に当たってくれていたのか。

 さては、無意識の間に俺の服を脱がせて、この身体を好き勝手にしていたのだろう。

 悪い子だ、ユリシアちゃん。


 そんなことよりも、どうして傷跡がまったく見当たらないのだろう。

 確かに刺されたはずなのに、身体にはどこにもその痕跡がない。

 目の前に広がる静かな部屋と、完璧な状態に整えられた身体がまるで異次元からの奇跡のように感じられた。


「それにしても、治癒魔法の技術が随分と上がったな」


 男の言葉には、心からの称賛が込められていた。

 ユリシアは微笑みを浮かべつつ、謙虚に頭を下げて答える。

 

「いえ、お父様ほどではありませんが。」


 その言葉に、男の声がさらに柔らかくなり、次に幼い少女が興奮気味に声を上げる。


 「いいなぁ、お姉さまばかり褒められて! 私も褒めてよ、お父様!!」

「うん、悪かったな。ユーリアも良い子だよ」

 

 と男性は笑いながら応じ、彼女に優しく語りかける。

 その言葉に、幼い少女は喜びに満ちた輝く笑顔を浮かべ、彼の手に甘えるように頭をすり寄せた。

 彼女の頬には満ち足りた幸福感が溢れ、まるでその小さな体全体で愛情を受け止めているかのようだった。


 だが、俺はその一連のやり取りを耳にしながら、心の中で微細な違和感を覚えていた。

 治癒魔法?

 ……全くつまらない冗談だ。

 

「それより、クソッケツさんはなぜ胸を怪我していたんですか?」


 ……クソッケツさん?

 一体誰のことを言っているんだ?

 俺は中沢煌だろう?

 一つも文字が合っていない上に、「クソッケツさん」なんて単なる悪口に過ぎない。


 その瞬間、積もり積もった違和感の正体が、ぼんやりと明らかになった。

 家族の言葉と振る舞いの背後に潜む不自然さは、どこか釈然としない。

 ドアの近くにいた家族を押しのけ、混乱と焦燥に駆られながら家中を迷路のように駆け回る。

 心臓が激しく打ち、視界が狭まる中で、ようやく洗面台の前にたどり着いた。

 そこには、天井から吊るされた大きな一枚板の鏡が、淡い光を反射しながら静かに佇んでいた。


 鏡の前に立ち、深呼吸をしてから、自分の姿をじっくりと見つめた。

 その瞬間、まるで時間が止まったかのように、心の奥底から押し寄せる強烈な絶望が全身を襲った。

 自分の顔が、まるで他人のもののように映り込んでいた。

 

 ……俺は中沢煌ではなかった。

 いや、その表現は少々、誤解を招くかもしれない。

 俺は中沢煌だ。

 だが、鏡に映る男は中沢煌とは関係のない、

見知らぬ人だった。


◇◇◇


 それから一週間が過ぎた。


 俺は転生したようだ。

 それも異世界に。


 鏡に映る自分の顔と身体は、以前の中沢煌とはまったく異なる。

 この世界の住人らしい見知らぬ少年のものだった。

 そして、残念ながら、名前も「クソッケツ」であった。 

 なぜそのように呼ばれるのかは依然として謎だったが、着ていたシャツのタグにはその名前がはっきりと記されていた。


 俺がなぜ異世界に転生したのか、その理由はまったくわからない。

 前世の記憶がなぜ残っているのかも答えが見つからない。

 一週間という短い間に、ユリシアの家族からこの世界のことをかなりのことを学んだが、(記憶喪失という嘘をついて)まだ全てを把握するには至っていない。


 まず、この世界には魔法が存在するらしい。

 これはつまらない冗談でも何でもなく、ユリシアが実際に魔法を使うところを見たからだ。


 彼女は「ヒール」と詠唱を唱え、ただそっと俺の胸に手を置いただけで、目を閉じると眩い白い光が全身を包み込み、次第に胸の痛みが消えていった。

 その出来事で、魔法が本物であると確信させるには十分だった。


「ありがとうございます!」と、俺はユリシアの手を強く握りしめ、その国宝級の愛らしい瞳で彼女を見つめた。

 彼女はその視線を受け流すように冷たく「はい」とだけ呟き、静かに部屋を後にした。


 この出来事からもわかるように、俺の見た目はかなり変わってしまった。

 以前は国民的彼氏と呼ばれるほどのイケメンだったが、今や十四歳くらいの少年の顔立ちになってしまっていた。

 童顔で、どこか可愛らしい外見が俺の心には最も受け入れがたいものだった。


 鏡に映る自分の情けない姿を見ていると、自然と自信を失ってしまう。

 こんなことは人生の中で初めての経験だった。

 

《性格: 自信家→内気的……シフトチェンジしました》


◇◇◇


 ユリシアの家族は、名門の医師一家である。

 父アルフ=ワイナレットは治癒魔法の名手として、その技術を駆使してベテンドラという地の大病院で院長を務めている。

 その豪華な邸宅の広さと装飾が、彼の地位を物語っている。

 彼は治癒魔法のみならず、一般的な魔法の研究者としても名を馳せているらしい。


 母イシア=ワイナレットはかつて、その大病院の看護師として活躍していたが、今は専業主婦として家庭に専念している。

 彼女が料理、掃除、洗濯といった家事全般を一手に引き受けており、その姿にはどこか温かな気配が漂っている。

 裕福な家にあっても、メイドの姿は一切見当たらず、その代わりに家族の絆がひときわ際立っている。

 しかし、アルフはよく彼女のような逸材を射止めたと思います。

 なんとなくだが、イシアの巨乳っぷりを見て、俺はアルフと趣味が合いそうな気がした。

 こんな幼稚な姿じゃなければ、今すぐに「兄弟っ」と言って共に酒でも飲み交わしていただろう。

 

 ユリシアの妹ユーリア=ワイナレットはまだ六歳で、古典的な妹らしさがしっかりと表れているが、言動の全てに知能を感じる。

 良いと思う。

 まあ、それ以外のことについてのコメントは俺の名誉のためにも控えておく。

 

 そして、ユリシア=ワイナレットは、俺が倒れているところを見つけて助けてくれた張本人だ。

 彼女の心優しい性格には感謝しているが、なぜか俺に対してはひたすらツンツンしてくる。

 彼女と出会って、すぐに攻めたことをしてしまったからだと思う。

 ただその少し面倒な振る舞いも、彼女の愛らしさによって許してしまう自分がいる。

 そして、彼女の身体を見れば、イシアの遺伝の真価はまだその全貌を見せていないように感じられる。


 ……ここ一週間で体験した新たな出来事を振り返ると、心の奥底で少し興奮が込み上げてくるのを感じる。

 かつての人気俳優としての過去はもはや存在しない。

 俺はあの人生を結局のところ楽しむことができなかったのだ。

 全てがあまりにも簡単に手に入ってしまうから、まるでチート状態の中にいたかのようだった。

 非常につまらない人生だった。


 だからこそ、俺の心の琴線が震える理由が理解できてもらえるはずだ。

 全てを失い、苦痛に包まれているはずなのに、この新たな状況がなぜか俺を奮い立たせてた。

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