男、猫になる

天竺牡丹

猫生

 男はクズであった。


 

 男は顔が良かった。

 無駄に顔が良かったから、何度も浮気をした。

 

 相手にはさぞ恨まれていることだろう。

 

 

 そんなある日、目を覚ますと体に違和感を覚えた。


 視界がいつもと少し違うように感じる。何より、体が軽く感じる。

 

 ふと視線を体の方へと向ける。

 

 男は驚愕した。なんと体中が黒い毛に覆われているではないか。


 男は口を開け

「うわぁぁ!」と叫ぶ、はずであった。


 しかし実際に口から出たのは「にゃぁ〜」という間の抜けた鳴き声だったのである。

 

 猫だけはいやだ

 

 男にはトラウマがあった。子どもの頃に猫によって植え付けられた悪夢のような思い出である。自分の身が猫になるなど恐ろしくて考えたくもなかった。

 

 しばしの逡巡の末、男は自分の姿を確認するため鏡のある洗面所へ向かった。


 結果はもちろん、想像のとおりである。


 しかし、意外にも男は冷静であった。

 なぜこのような姿になったのか考え始めたのである。


 男は今まで自分がしてきたことを振り返った。

 

 (なにが悪かったのかわからない。困ったな...心当たりがまったくないぞ。もしかしてとばっちりなのか?)


 まさか心当たりがないとは。女遊びだのなんだの、あげればきりがないだろうに。これは天罰である。


 (とりあえずご飯を食べるか。今後のことは食べてから考えよう。そういえばまだあれが少しだけ残ってた気が...)

 

 


1日目(残り27日)

 

 今日の朝はカレーの残りでも食べようか。一応猫がカレー食べれるのか調べよう。何かあったら困る。

 

 ・・・無理じゃん。死にはしなそうだけど体調が悪くなるみたいだな。調べといてよかった。


 そうなると、家にある食べれるものは限られるな。たしかサバ缶ならあったような。サバなら大丈夫だろう。

 

 モグモグ... 

 

 しょっぱ!やっぱり人間とは味覚が違うのかなぁ。開けちゃったし、朝は頑張ってこれを食べるしかない。

 

 

 缶は開けるだけで1時間くらいかかってるし、スマホだって肉球だから扱いづらい。

 

 この体に慣れるの時間かかりそうだなぁ。




2日目(残り26日)

 

 昨日は結局3食サバ缶だったから今日は他のものを食べたいなぁ。

 

 そういえば冷蔵庫にパン入れてたの忘れてた、ソーセージが入ってるやつ。にんにくが効いてて、ついつい買っちゃうんだよなぁ。

 

 問題なのは人間と味覚が違うことだが、このパンは美味しかった。

 



10日目(残り18日)

 

 確認したところ、食料がせいぜい3日から5日間くらいしかなかった。

 すべてが食べられるわけではないから、人間と比べると猫は食べる量が少ないとはいえ1ヶ月が限度だろう。

 

 

 そして、1週間ほど過ごして人間に戻ることができるとわかった。

 

 ただ、時間には制限はあり、1回せいぜい10分程度だった。

 しかも、変身はおそらく1週間に1度きり。8日くらい前に初めてしたが、次に変身できたのは昨日の夜だ。


 残念なことに10分で往復できる距離にコンビニやスーパーはないため、今の貯蓄が尽きたとき、この命も尽きるというわけである。

 

 多少遠くても侵入がたやすく、かつ盗み出すのも簡単に行えてしまう残念な店を探したが、健闘もむなしく見つけることができなかった。

 

 どのお店にもカメラが設置してあるため、店から出る前に見つかってしまうのだ。

 

 1度広いスーパーで店員5人とドロケイをしてみたがなかなかに機敏な動きだった。口に大きな物をくわえて逃げるというのは至難の業だな。


 どうにかしないと3週間後にはお陀仏。困ったなぁ。




13日目(残り15日)


 流石に限界が来た。

 

 もう1週間くらいこの調子だし、ここ数日はなんか力も入りにくい感じだ。流石に病院に行こう。

 

 何かは食べないといけないと思って、冷蔵庫に何個も入ってたソーセージのパンを毎日食べてはいたんだけどな。



 「あら?先生、ねこちゃんが1匹入ってきましたよ」

 

 「そうかい、珍しいねぇ」

 

 待合室の奥から少し太った先生が出てきて、こちらを不思議そうに眺めた。

 

 「ほんとに1匹だね。飼い主さんはいないのかい?」

 

 「さっき、1人できたの?ってきいたらコクってうなずいてました。この仔は言葉が通じるみたいですねぇ」

 

 なぜか自慢気に語る女医さん。

 

 小太りヴェットが訝しげに覗き込んでくる。


 「たまにいるらしいけどねぇ。君もそっち系なのかな?」

 

 ・・・うなずいておこう。

 

 「おお!ほんとにうなずいたよ大門くん!」

 

 すごい目が輝いてる。

 はやく診てほしいんだけどな...

 

 「にゃぁ~」

弱々しい感じで鳴く。

 

 「おっと!そうだったそうだった。ここに来たということは君も立派な患者さんだからね。ほら、こっちにおいで。今は人もいないからすぐに診てやれるぞぉ」

 


 なんだか賑やかな場所だな。2人しかいないのに。

  

 

 検査が終わり、家に帰ってきた。

 

 どうやら体に良いと思っていたにんにくが原因だったらしい。自分で自分の体調を悪化させていたようだ。

 

 とにかく、不調の原因がわかってよかった。




19日目(残り9日)


 することもないし、体調も悪いしってことで今日もあの病院に行こうと思う。やっぱり食事の大半がお菓子っていうのは良くないよなぁ。


 

 「あ!こないだのねこちゃんだ〜!」

 

 「なぁんだってぇ!」

 

 今日も元気だな、頭に響いて痛い...

 

 「おや、なんだか元気がないですねぇ。よぉし、今日はわたしがこの仔を診察しましょう!」

 

 「だめだ、君はいつも失敗しかしないじゃないか!たまに来るお客さんもそのせいで3度目は来ないんだよ!」

 

 おいおい

 

 「よし!じゃあねこちゃん、かもん!」

 

 何もよくない...まだ死にたくないなぁ

 

 おれはこの日、この体になって一番、いや、今まで生きてきた中で一番の叫び声を上げた。

 

 

 結果は栄養失調。キャットフードを食べさせてくれた。

 まだ一度も食べたことがかったのでその味を知らなかったが、お腹いっぱいになった今でもすぐ食べたいと思えるくらい美味かった。

 今後もここでご飯が貰えそうだ。

 

 


24日目(残り4日)

 

 夢の中に妹が出てきて無性に会いたくなった。

 

 10分をうまく使って少しだけでも話したい。これが最後になるかもしれないし。

 

 家までは少し遠いがなんとかたどり着いた。服はカバンに入れて持ってきている。安心してほしい。



 ピーンポーン

 

 ・・・

 


 ピーンポーン

 

 ・・・

 


 また明日来るか...

 

 ガチャッ

  

 「なに?来なくていいんですけど」

 

 いたみたいだ。

 

 「そんな事言うなよ、お兄ちゃんだぞ〜」

 

 「兄ヅラすんな気持ち悪い」

 

 つい感動してしまった。

 

 「なに?急に黙って」 

 

 「いや、なんでも。久しぶりに妹に会いたくなってな」

 

 「なにそれ。それより、ちゃんと生活できてんの?女遊びばっかりしてるといつか本当に刺されるよ?」

 

 「もしかして、おれの事心配してくれてるのか?」

 

 「ンなわけないでしょっ。前からずうっと思ってたけど、お兄ちゃんってやってることはクズなのに変に頭良くて気持ち悪い」

 

 「やめろよ、照れるだろ」 

 

 「ほめてない!」

 

 こんなやり取りも久しぶりだな。すごく懐かしい。

 

 そろそろ時間だし、変身が解ける前に帰ろうか。

 

 「それじゃ、愛しの妹にも会えたことだし、そろそろ帰りますかね」 

 

 「二度と来んな!」

 

 「はいはい」

 


 この日、男はとても気持ちよさそうに眠っていた。


 

 神が定めた断罪の日まで残り4日である。




26日目(残り2日)

 

 今日は体調も天気もいい。散歩にでも行こう。

 


 しばらく歩いていると、聞き馴染みのある声が聞こえた。



 「う〜ん?おかしいな、この辺のはずなんだけど」

 


 おや?妹ではないか。少し離れたところでスマホとにらめっこをしながら歩いている。

 

 というか、なんでここに?もしやおれに会いにか?

 なんだかんだ言っておれのこと好きなんだよなー。

 

 と、ふと妹のいる先へ目を向ける。

  

 

 っ!!

 

 

 おれはとっさに駆け出した。

 

 大型トラックの運転手が居眠りしていたのだ。

 

 おれは何も考えずに必死で走り、その勢いで妹にタックルした。

  


 ドンッ

 

 「きゃっ!?」

 

 

 トラックは大きな音を立てて電柱にぶつかった。

 

 

 「おい!なんか凄い音がしたぞ!」

 

 「救急車!誰か救急車!」

 

 「あれ、あのねこ、たしか...」

 

 

 それにしても、キャラでもないことをやったもんだ。でも妹の命を救えたのなら、こんな終わり方も悪くないかもな...

 

 猫の顔であってもわかるほどに、満足げな顔をしていた。

 

 

 神も断罪の日より先に死ぬとは思わなかっただろう。





 


 「菊池さーん、菊池あおいさーん。体調はいかがですかー?」

 

 看護師が大きな声で呼ぶ。

 

 「そんなに大きな声出さなくても聞こえますよ、大門さん。元気です」

 

 念の為入院した病院の看護師で、まだ2日しかいないのに仲良くなった。

 

 どうやら空いているときに近くの動物病院でお手伝いをしているらしい。

 病院づとめなのにそんな時間があるのかと聞いたら、いても何もできないから毎日は来なくていいって、と言った。

 

 「えへへ~、この大きな声だけが取り柄だって言われてます」

 

 「えぇ...」

 

 こんな人がいて大丈夫なのだろうか。あおいは心配になった。

 

 「そういえば朝知ったんですけど、あおいさんって漢字で紺碧の碧の字かくんですねぇ。そういえば、昨日話したねこちゃん、ここ数日来てないみたいなんですよぉ」

 

 「話題がコロコロと...猫は気まぐれって言いますし、急に来なくなることもあるんじゃないですか?」

 

 「そうかもだけど、心配じゃないですかぁ」

 

 「まぁ」

 

 「まぁって!もっと心配してくd...」

 

 「ちょっと!あんたいつまで患者さんとしゃべってんの!仕事一つもやってないんだからさっさと戻って!」

 

 「・・・やってないんですか」

 

 「いやぁ、お恥ずかしいところを...」


 「後でまた話聞いてあげますから、ちゃんと仕事してきてください」

 

 「はぁ~い」

 

 彼女は元気に走っていった。



 はぁ...

 

 無意識にため息が出た。

 

 あおいはあの日のことを悔やんでいた。実際にはもっと兄と喋りたかったのだ。所謂ツンデレというやつである。

 

 (もっと話したいことあったのになぁ。昔からずっと素直になれない...退院したら行ってみよ。今度こそちゃんと会話するんだ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 


 





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 


 

 

 

 

 

 

  

 

 

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