第1話 涙の味のかぼちゃプリン

 鮮やかなオレンジが嬉しいかぼちゃプリン。こういうのは、底にカラメルが沈んでいるものだ。

 泣いている柴田においしいところを食べてほしくて、柘植野は深くスプーンを立てた。


 柘植野はこのプリンを去年も食べたことがある。やわらかすぎず、かぼちゃの煮物をすくっているかのような、ずっしりとした食感がおいしい。


「ほら、すぐるさん。口を開けて」

「うぐっ……。ひぐぅ……」

「甘いもの食べて、元気を出しましょう。ほら、あーん」

「ううう……。あーん」


 プリンを口に入れた柴田は、犬が嬉しくて耳を立てるように一瞬笑顔になった。

 しかしすぐに、ぐずぐずと泣き出してしまった。


◇◇◇


 柘植野は曜日感覚を失っていた。フリーランスの宿命である。カレンダーを見ても今日が何日なのか分からない。

 スマホを見てようやく、柘植野は今日が8月末の土曜日だと把握した。


 休日なら、もう今日は閉店していいかな……。まだ1,000文字しか書いてないけど……。


 柘植野がパソコンを閉じ、ぐったりとその上にしたとき。


 ピンポンピンポーン。


 ドアベルが素早く2回鳴った。


 柘植野はしゃっきり覚醒した。こんな鳴らし方をする可能性があるのは2パターン。

 すごく急いでいる柴田か、不審者だ。

 どちらにしても異常事態で間違いない。


 柴田は柘植野の隣の部屋に住む大学生で、夏休みを利用して自動車学校に通っている。

 2人の付き合いは3月に「ご飯パトロン」契約を結んでからで、8月8日に交際を開始して今に至る。

 しかし、柴田が今までにこんなドアベルの鳴らし方をしたことはなかった。


 柘植野は不審者だった場合に備えて、足音を消してそっとのぞき穴をのぞいた。

 魚眼レンズに、今にも泣き出しそうな柴田が大写しになった。


「優さん! どうしましたか?」


 柘植野は急いで玄関を開けた。


「おれ……自動車学校を放校になりましたぁぁぁ……!!」


 大柄で骨太な青年は、華奢な柘植野を押し込むように玄関に入ってきた。そして柘植野の肩でずびずび泣いた。


「ほ、ほうこう……??」

「方向音痴すぎて!! コースには出たんですけど逆走しまくってたら!! もう面倒見られませんって……!!」

「ああ、『放校』……。それはひどいですね」


 柴田を抱きしめながら、柘植野は「『放校』ってシステムがあるんだ……」と思った。


 柘植野は教習所のコースを逆走しまくる愛しい恋人を想像して、ちょっと引いた。そんなことは言わないけれど。


「おれがんばったのに!! 慣れてきたところだったのに!! もうちょっと気を長く持ってくれてもいいと思いませんか!?」

「そうですね。学校を名乗るなら、きちんと導いてほしいものです。優さんはがんばりましたよ」


 柘植野は優しく、柴田のツンツンと立った髪を撫でた。


「そうなんです! おれがんばったんです!」

「優さんががんばっていたのを、僕はよく知っています」

文渡あやとさん……!!」

「部屋で座っていらっしゃい。何か甘いものを買ってきますから」

「うう……。ありがとうございます……」


 柘植野は、愛しい人が冷淡な扱いを受けたことに腹を立てた。


 しかし、柴田は重度の方向音痴だ。確信を持って真反対の道に突き進むタイプの、アグレッシブな方向音痴だ。

 慎重さを持ち合わせていないわけではないのだが、進路に関しては「かもしれない運転」ができるとは思えない。

 柘植野は、柴田を公道に出さないという判断は、極めて正しい、とも思ってしまった。


 逆走しまくり、かぁ……。


 幸い、そんなことでは柘植野の愛情は薄れなかった。

 かわいそうな恋人に甘いものを食べさせてやりたくて、柘植野は灼熱の陽射しの中コンビニへ走った。

 まだ8月末なのに、コンビニには秋スイーツが並んでいた。

 そして買ってきたのが、かぼちゃプリンだ。


「ほら優さん、もう一回、あーん」

「あーん……。おいしい……」

「よかった。そんなに泣かないで。免許がなくても、東京なら不自由なく暮らせますから」

「いや、おれ長男だし、地元に戻らないと、いけない、のに……! うぐっ、ひぐっ」


 柘植野は言葉に詰まった。


 柴田の両親は、家事代行を雇う余裕がありながら、長男の柴田に家事をすべて押し付け、柴田の貴重な10代の時間を奪った人たちだ。


 長男だから地元に戻らないといけない……?

 柴田の両親は、やっと家を出た息子を、まだ家にしばり付けるのか?


 柘植野の唇は怒りで震えた。同時に泣きたくなった。

 柴田に「そんなことないですよ」と言うのは簡単だ。

 でも、両親の呪縛じゅばくは、そんな言葉では解けない気がした。


「文渡さんごめんなさい……。おれ、すごい悔しくてみじめで……。絶対親にもきょうだいにもバカにされる……」

「そんな言葉、聞かなくていいんです! あなたを愛している人たちの言葉だけ聞いて生きてください!」


 柘植野は、華奢な腕で精一杯柴田を抱きしめた。


「……ありがとう、ございます。でも、おれの親は、おれを愛してないわけじゃないと思う。おれがバカで、期待に応えられないから、厳しいだけなんです」

「……気にさわる言い方をしてごめんなさい。でも、あなたはバカではないですよ」


 柘植野は謝ったけれど、内心ではおびえていた。

 恋人とその両親との関係が、想像よりもこじれていたから。


 柴田は残りのプリンを食べて、柘植野のベッドで眠ってしまった。


 柘植野はさっきから、水の中に放り込まれたように苦しかった。理由は分からない。

 涙の跡をつけて眠る柴田の穏やかな寝顔を見ながら、記憶をたどる。


 ——地元に戻らないと、いけない、のに……!


 ここだ。ここでギュッと苦しくなった。


 優さんは、大学を卒業したら地元に戻るつもりなんだ。その隣に、僕はいるの?

 自動車の免許がなくても済む東京で、2人で暮らすのではいけないの?


 4年後だって、僕はあなたの隣にいたいのに、あなたはそうは思っていないの?


 愛しい人の寝顔を見る。

 普段は表情豊かで気づかなかったが、寝ている柴田はハッとするほど幼かった。


 そっか。まだ大学1年生だもんな。

 こんな年の差でお付き合いして、いきなり将来のことを考えてほしいって思う方がバカだ。


 ——恥ずかしい。


 28歳になって、ちょくちょく結婚式の招待状が届くようになった。12月までに3回の結婚式に出席する。

 僕はそういう年頃だから、焦ってた。


 恥ずかしくて、柘植野は手を強く握った。

 それから、いつまでも柴田の寝顔を見つめていた。


 僕が我慢すれば、いいことだから。

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