第37話 完全個室のしゃぶしゃぶ

 水曜日の夜、浅井は柴田を呼び出した。


 柴田から、六本木駅に着いたと連絡が来てからもう10分が経つ。

 集合時間の30分前に連絡が来たので、浅井は急いで駆けつけたのだが、どれだけ迷っているのやら。


『すみません!!どこをどう歩いても改札に戻っちゃって!!』


 柴田の連絡に、浅井は苦笑する。

 六本木駅はそんな大規模なダンジョンではないし、改札に戻るトラップも仕掛けられてはいない。

 仕方がないので「絶対に動かないこと」と連絡して、柴田を迎えに行った。


 ようやく柴田と合流できた。

 柴田は顔に大きく「ごめんなさい」と書いてあるような表情をしている。かわいいな、と浅井は思った。


「だいぶ方向音痴だね」

「すみません……」

「ほら」


 浅井が手を差し出すと、柴田は素直につないでくれる。

 柴田に警戒心を持たれていないのはいいことだ。

 だが、恋愛対象として見られていないサインでもある。まだまだ距離を詰めていかないと。


 柴田は、妙にカラフルな配色の猫のイラストTシャツを着ている。

 もう少しマシな服を指定しておけばよかった。

 ドレスコードはない店だし、いいんだけど。


 浅井が予約しておいた店に案内すると、柴田は「えっ」と声を上げた。


「なんのお店ですか……? めちゃくちゃ高級そう……」

「しゃぶしゃぶだよ」

「そんな、贅沢な……。おれ今3,000円しか持ってないです~……」

「いいからいいから。こんな店で大学生にお財布出させないよ。はい、入りますよ~」


 手を引くと素直に着いてくる。そのまま個室に案内された。

 柴田は緊張の表情を浮かべている。


「いらっしゃいませ。先にお飲み物をおうかがいいたしましょうか」

「柴田くん何歳?」

「19です」

「じゃ、ウーロン茶2つ」

「あ、気にせず飲んでください」

「いいのいいの」


 今日は柴田を攻略しないといけないので、酔っている暇はないのだ。


 最初の肉が届いた。

 ぷくぷくと泡立つ金色の出汁だしにくぐらせると、鮮やかな赤から温かみのある白へ色が変わる。

 鍋から引き上げるとすぐに、肉のあぶらのとろけた香りが鼻にまで届く。


 フレッシュなぽん酢にサッと絡ませて、口に入れた。


「んー! おいしいです!」

「うまいな~これ。柴田くんが一緒に来てくれてよかった~」

「いや~そんな、ありがとうございます」


 柴田ははにかんで浅井を見た。


 やっぱり若い男の子は食べ物が好きだな。

 この調子でいろいろおごってやって、ハートを掴もう。


 コース料理が届き始めると、柴田は綺麗きれい所作しょさで食べる。

 火加減を見ては、具材を鍋に入れるのも忘れない。


「柴田くんって、きちんとしてるね。親御さんに教わったの?」

「あ……そうですね。一通り教わりました」


 柴田の表情が硬くなったので、浅井は柴田の苦手な話題は両親の話だと見抜いた。だがあえて踏み込む。


「どんな親御さんなの? もしかして結構お金持ち?」

「あ、そう……なのかな? 余裕はあると思います。その代わり、2人とも激務ですけど」

「子育てしてんのに激務? どうやって回してんの?」

「それは……おれが全部やってました」


 柴田はうつむいた。

 ここが柴田の触れられたくない部分だ。

 浅井はヘビのような舌なめずりを隠して、笑顔を作った。


 弱音を吐かせたい。

 人間は誰もが弱味を持っている。それを隠して生きている。

 しかし、自分の意思で弱味を打ち明けた相手には、強い信頼を抱いてしまうものなのだ。

 浅井はそれを狙っている。


「家事を全部? すごいじゃん! それで今の大学に受かったの?」

「浪人しましたけどね。それに親はもっと上に行けなかったから許してくれないし」

「厳しい~!! いやいや今のもいいところだよ。おれも柴田くんと同じ大学だけど、就活になったら全然高学歴扱いだし」

「そうなんですね」


 柴田は力なく笑った。無理をしているのがよく分かった。


 あ~。もう少し深掘りすれば、柴田くんの心の傷に届きそうだな。


 浅井は狡猾こうかつに話を続けた。


「でも家事全部やりながら学校通って部活やって——」

「部活はやってないんです。家のことがあるから」

「あ、そっか。でも受験勉強して、えらいなあ」

「いえ……」

「ん? 今は実家の家事は誰がやってんの?」


 そう聞いたとき、柴田の肩がびくりと震えた。

 おずおずと目をらされて、ここが「傷口」だ、と浅井は確信した。


「家事代行を雇ってます……。おれが合格して、家のことはどうするのって聞いたら、そう言われて……」


 柴田の声は震え始めた。


「え、家事代行を頼む金はあるのに柴田くんにやらせてたってこと?」

「……はい」


 浅井は正義感の薄い男だ。だが、さすがにそれはおかしいだろうと怒りを感じた。


 浅井はとりわけ、柴田の部活の機会が奪われたことに腹を立てた。

 浅井は小学校から大学までサッカーを続けた。

 いい仲間もできたし、何より就活のときに強いエピソードになる。

 学歴は求めるくせに、部活動の大切さには考えが至らないバカ親どもが。


「え?? それで柴田くんの部活の時間も奪って、受験勉強の時間も奪って浪人させた上にディスってきてんの!?」

「……そうなんです、おれは、ほんのちょっとの節約のために、何年もタダ働きして、みんなそれが当たり前で、誰も感謝してくれなくて——」

「泣いていいよ、柴田くん」

「はい……すみません……」


 浅井は柴田の肩に手を置き、慰めるようにさすった。

 柴田は拒まない。浅井に身体を触られていることも意識していないようだ。


 浅井はやすやすと柴田のパーソナルスペースに入り込んだ。

 同情の顔をしながら、内心ではいつものように薄く笑っている。

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