第25話 どん底の柘植野

 柘植野はバスタブに座り込んで、冷たいシャワーを頭からかぶっていた。


 頭突きしたから頭の骨までじんじん痛む。浅井の血が顔に飛んで気持ち悪い。

 だが顔をぬぐうことも、腰を上げてシャワーをお湯にするのも面倒だった。


 終わりだ、と思った。

 浅井がこの件を週刊誌に売ったら終わりだ。


 「人気作家、流血沙汰の暴行事件!!」の見出しが頭に浮かんで、「流血沙汰」と「暴行事件」は若干かぶっているな、と推敲すいこうしてしまうのは職業病だ。

 作家という天職を、自らの判断ミスで手放すことになったら……!


 僕の物語は途中で終わってしまう。読者が僕の物語を最後まで旅することはない。

 冒険は終わらせなければならないのに、僕は旅の道連れをつのっておきながら、旅を終わらせる責任を果たせない。


 相手が浅井なのが最悪だ。セフレ関係も暴露するだろう。もっと奔放だった過去まで掘り返されたら?


 ——あのひとはしたり顔でしゃしゃり出てきて、僕との交際についてあることないこと言うんだろうか。


 柘植野は右耳のしこりに痛いほど爪を立てた。痛い方がよかった。

 いつのまにか泣いていた。泣いた方が楽だった。

 編集者に連絡しないといけないのに、いつまでもぐずぐずと冷たい水を浴びて泣いていた。

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