第12話 2人でスーパーへ

 春らしい陽射しが窓から差し込む昼前。


 柘植野が玄関ドアを開けると、大柄な青年はもうマンションの廊下で待っていた。

 巨大なエコバッグを持っている。柄は、ゆるカワなのかダサいのか、ギリギリのラインのカラフルな鳥のイラスト。


「お待たせしました」

「待ってないですよ!」


 柴田は元気な返事をする。返事が廊下に反響して、あわあわと口を押さえる。

 コミカルな動きに柘植野は笑ってしまいそうになって、なんとか我慢した。


「柘植野さんがご飯パトロン様になってくれるなら」

「『様』はいらないですよ」

「ううむ。ご飯パトロンの好き嫌いは知っておかないと、ですから!」


 というわけで、2人ですぐ近くのスーパーへ向かう。柴田はママチャリを押している。


 高校のステッカーが3年分貼られたシルバーの自転車。柘植野は自転車を点検に出しているのか心配になった。

 でも自転車の点検に口を挟むのはご飯パトロンの仕事ではないので、言わないでおく。


「柘植野さんは『文渡あやと』さんってお名前なんですね」


 柴田は先日交わした契約書の書面を思い出したのだろう、「あやと」と味わうようにゆっくり言う。


「そう。父が司書で。本に関係する名前を、ってことでね。妹は『しほりしおり』です。『ほ』と書いて、『しほり』」

「へえ……お2人とも綺麗きれいなお名前ですね」

「ふふ。柴田さんのお名前も、素敵じゃないですか」

「『すぐる』って、優しい上に優秀、みたいでビミョーじゃないですか? 荷が重いというか」


 柴田は冗談めかして笑ったが、少し疲れた顔をした。


 柴田は実家の話をするときこういう顔をする。次からは家族の話題に話がれないようにしよう、と柘植野は思った。


 スーパーの入り口で柴田が買い物カゴを2つ取って、1つを柘植野に渡す。


「食べられないものを見つけたら教えてくださいね」


 重大なミッションのように真剣に、柴田は柘植野の顔をのぞき込む。いつのまにかメモ帳とペンを構えている。


「分かりました」

「……柘植野さん、イケメンですね」


 感心した口ぶりで言われる。よくできた細密画をめるみたいに言うから、柘植野は可笑しくなる。


「柴田さんはお料理に真剣だなあと感心していたのに」

「すみません……」


 柘植野が先に笑い出し、柴田も笑う。


 野菜コーナーはまぶしい光に照らされている。野菜の新鮮な彩りとあいまって、ここがスーパーで一番輝いたステージ。

 柘植野と柴田は観衆になって、みずみずしく輝くスター野菜たちを眺める。


「あ。きゅうり」

「苦手ですか?」

「瓜系が苦手です。冬瓜も。きゅうりは食べられますけど冬瓜は本当に無理です。スイカとメロンも。青っぽいにおいが苦手なんですかね。アボカドも。かぼちゃは食べられます」


 ふむふむ、と柴田はメモを取る。柘植野は「えー! メロンも!?」なんて言われるかと思っていたので拍子抜けした。

 人を否定しないのは柴田さんの美質だ、と思う。


「柴田さんは何が苦手なんですか?」


 とにかく料理が好きだという、この人にも苦手なものはあるんだろうか。


「んー。子供舌なんで……ゴーヤとか。あと山菜! 苦いのはちょっと……」

「あー。僕も苦手でした」

「慣れるもんですか?」

「アラサー突入して、急に味覚が変わりましたね」


 へえー、と柴田は期待の目をする。


「おれ、食べるのも好きなんです! 早く大人の味が分かるようになって、いろんなものを食べてみたいです」

「ふふ。焦らなくても、そのうち分かりますよ」


 2人は話しながら野菜のステージを離れて、季節の特設コーナーへ。先ほど話題にのぼった山菜がとりどりに並んでいる。


「お、フキだ!」


 柴田が嬉しそうな声を上げる。水煮ではなく葉の付いたフキが、陳列カゴに乗せられている。


「フキはお好きですか?」

「好きです! 苦くないし。柘植野さんはフキ食べられますか?」

「ええ。フキは好きです」

「じゃあ今日はフキの煮物にしましょうか。何と一緒に煮る派です?」

「実家は焼き豆腐でした」

「焼き豆腐! 新しい!」


 柴田はウキウキで豆腐コーナーに突き進む。

 実はフキの煮物は柘植野の好物である。

 でも、下処理が手間なイメージが先に立って、自分では作らない。

 今日の「ファンレター」は、フキの煮物への賞賛がメインになりそうだ。


 柴田はほかにも食材をカゴに入れていく。

 柘植野は自炊をしないので、朝食に食べるシリアルと牛乳とヨーグルトをカゴに入れた。


 柴田さんへのお礼にお菓子でも買おうかな、と和菓子コーナーをチラ見したら、桜餅が売っていた。


「ねえ、柴田さんは桜餅を買ったら食べますか?」

「桜餅! もちろん食べます。柘植野さんはどっち派ですか?」


 関東風と関西風がそれぞれパックに入って並んでいる。


「実家は関西風だったけど……。あのー、僕は桜味のもの全般が苦手です」


 ほほう、と言って柴田はメモにちんまりと「さくら味」と書き込む。


 一画一画は角ばっているのに、全体としては丸っこい印象の字。

 柘植野は、柴田さん本人みたいな字だ、なんて思った。

 大柄でがっしりしているのに、笑顔が明るくて親しみやすい性格の柴田さんらしい字。


 柴田は関東風の桜餅が好きらしく、柴田の分をカゴに入れてレジへ進んだ。


 たくさん買い込んで、柘植野がセルフレジで支払う。ご飯パトロンの前金は現金払いだけど、振込の方が楽だろうか?

 考えている間に柴田は愛車のカゴにマイバッグを詰め込み、サブのバッグを柘植野が受け取る。


「しゃべりながら買い物するの、楽しいですね!」

「そうですね」

「スーパーがこんなに楽しいと思ったの、久しぶりです」


 柴田は鼻歌を歌い出しそうなくらいご機嫌だ。

 柘植野は優しく微笑んで大柄な若者を見た。


 降って湧いたお隣の若者との奇妙な人間関係。

 でも「ご飯パトロン」と名前を付けてしまえばきっと大丈夫。契約書を交わして、役割を取り決めて、お金を支払って、一線を引いて。


 だから、柴田さんの楽しそうな笑顔につられて自然に笑顔になっても、心がおどっても、きっと大丈夫。

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