第5話 アッツアツのグラタン①

 グラタンにスプーンを差し込むと、サクサクっと音がする。それだけで、どうしてこんなに食欲がそそられるんだろう。


 すぐにチーズの香りが柘植野の鼻に届く。

 チーズって、香りだけでこんなにときめくんだな。

 唾液が湧いてくる。誰もチーズにはあらがえない。


 分厚くまぶされて焼き上げられたパン粉は、金色と言っても大袈裟おおげさではない。

 こんなのもう、とびきり贅沢ぜいたくな夕ご飯じゃないか。


 まずは具のないところをすくって、ホワイトソースを楽しみたい。

 こんがり色のついたパン粉の下から、とろりとミルク色のホワイトソースがあふれ出す。

 チーズの下の熱気が、おいしそうなにおいとともに広がってスプーンを曇らせる。


「わ、伸びる~!」


 スプーンを持ち上げるとチーズが伸びてついてくる。柘植野は子どもに戻った気持ちではしゃいでしまう。

 たっぷりと伸びたチーズが切れないうちに、ぱくりとスプーンを口に入れた。


「アッッッツ!!」


 熱々のホワイトソースが柘植野の舌を焼き、はふはふしながら悶絶もんぜつした。


「でもおいしい~……」


 ホワイトソースはさっぱり目。牛乳の味がシンプルに感じられて、柘植野の好みの味だ。ソースの中にひそんだ玉ねぎの、とろける食感もたまらない。

 故郷こきょうの母が作ってくれるホワイトソースに似ているから、好きなんだと思う。


 チーズはしっかり味のあるタイプで、それだけ食べたらしょっぱく感じそうだ。シンプルなホワイトソースがいい仕事をしている。


 そしてなんといってもカリカリのパン粉! 

 ザクッと音を立てて掘り返すのは爽快感すらある。歯を立てるとサクサクと音がして、心が浮き立つ。


 料理だけでこんなに楽しい気分になるなんて、いつぶりだろう?


 はふはふと食べていると、口の中でパン粉とホワイトソースが絡み合う。

 パン粉の香ばしさをプラスされたソースもまた、おいしいのだ。


 冷ましてからじっくり味わおうと思ったそのとき、柘植野のスマホが振動した。妹の柘植野しほりしおりからの着信だった。


「しほり? どうしたの?」

「お兄ちゃん!? そのグラタン食べちゃダメだよ!?」

「え、食べちゃった」

「えーっ!? どうして知らない人からもらったものを食べるの!? 小学生でも食べないよ!?」

「……言われてみれば確かに」


 柘植野はグラタンをまじまじと見て、首をひねった。


「しっかりしてよ! 変な薬でも入ってたらどうするの? どれくらい食べちゃったの?」

「ひと口。でもお隣さんは変な人じゃない……ような……気がするけど……分かんないよねそんなの……」


 柘植野の言葉は尻すぼみになって、自信なさげに消えた。


「今すぐ吐きなよ! 吐けるでしょ大人なんだから!」


 しほりの剣幕けんまくがちょっと怖い。

 いや、吐けませんが……。自分で吐いたことはちょっとないかな……。

 などとは言えない雰囲気だ。


「でもすごくおいしいんだよ。手をかけて作ってると思うよ。薬を混ぜ込むのにこんなにったものを作らないよ」

「もう~! お兄ちゃんはイケメンなんだからしっかり危機感を持ってよ!」

「いやでも会ったばっかりだし、1回会っただけで薬盛ろうってならない——」

「イケメンだからなるかもしれないじゃん! どんなお隣さんなの?」


 しほりは柘植野の言葉をバッサリ遮って、たずねた。


「いたって素朴な人だよ。大学進学で越してきたんだと思う」

「若い人なんだ……。じゃあお兄ちゃんの胃袋をつかむ作戦なのかも! 気をつけてね? じゃあね」


 しほりはブツッと通話を切った。柘植野はしばらく首をひねってグラタンを見つめた。


 僕がイケメンだから、好意を寄せられるかもしれない。お隣さんが急に胃袋を掴む作戦に出るかもしれない。


 「柴田さんはそんな人ではない」と断言する材料を、柘植野は少しも持っていない。

 グラタンをおすそ分けに来る裏の理由があっても、柘植野には知るよしもない。


 ——若い人とは適切な距離を保って、よき導き手として……。


 柘植野はモットーを繰り返したが、おいしそうなにおいにつられてグラタンに意識を引きつけられた。


 しんなりしてきたキツネ色のパン粉。

 ひとさじすくったところにあふれ出すやわらかなクリーム色のソース。そこからのぼるほかほかの湯気。

 焼き目のついたチーズからのぞく彩り鮮やかなブロッコリー。


 ……じゅわりと湧いてくる唾液には勝てなかった。

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