第10話 そんなことが聞きたいの?

 ハルと会ったあの日からひと月が過ぎた。その間に俺は数回仕事をし、そのたびに最悪な気分になったが、歩道橋から飛び降りようとは思わなかった。状況がなにか良くなったわけではない。それなのに、あの時ほど思いつめることがなかったのは自分でも不思議なくらいだった。


 週に一回程度の仕事以外で外出することはほとんどない。必要なものは通販で頼めば済むし、とにかく人に会いたくないからだ。もし万が一、外で会った誰かのことを眠る直前に思い出してしまったらと思うと、人目を避けるようになっていた。


 ただし月に一度、例外があった。それは定期健診の日だ。一人暮らしを始めるときに、圭から義務付けられた。圭にとって俺は金を生む「商品」なわけだから、急に使えなくなったら困るんだろう。

 いつもの検診の帰り道、足は自然とあの歩道橋へと向かった。歩道橋の上から真下を見下ろすと、忙しなく車が行き交っている。


 あの日も検診の帰りだった。今夜は仕事だと思ったら嫌で嫌で仕方なくて、歩道橋の上に差し掛かった時に、「死のう」と唐突に思いついた。

 あの時ハルに会わなかったら、きっともうこの世に俺はいない。どちらの選択が正しかったのか、まだ俺には分からなかった。


「死ぬの?」

 急に後ろから声がして振り返る。そこにはハルの姿があった。

「また会えたね」

 そう言って微笑む。ドクンと心臓が跳ねた。


「……なんで、ここにいるんだよ」

「何でって……せっかく久しぶりに会えたのに、レイ君はそんなことが聞きたいの?」


 そう言われて言葉に詰まる。あの手紙を読んで言いたいことはたくさんあった。でも本当の名前も連絡先も知らないのに会えるはずがないと思って諦めていた。急に目の前に来られても、上手く言葉が出てくるはずがない。


「時間あるなら、また私のことを買ってくれてもいいよ。死ぬのなんて今度にしなよ」

 君は突然やってきて心をかき乱す。

「ほら、行こう!」

 ハルがくるっと背を向けると、黄緑色のロングスカートが風になびいた。




「なあ、今はどこに向かってるんだ?」

 ハルは住宅街の中を進んでいく。スマホで地図を確認する様子もないし、目的地への道のりは頭で分かっているんだろう。

「んー、ヒントはデートっぽいところかな」

 デートという言葉から連想される場所を、少ない知識からかき集める。

「……映画館、とか?」

「映画館もいいね。でも不正解。じゃあもう一つヒントをあげるね」

 そう言って自分の首元に手を伸ばし、服の中に隠れていたネックレスを取り出した。猫のシルエットが揺れる。


「これって、前の……」

「そう! 前のデートで茜君と選んだネックレス! 覚えててくれたんだ」

 ハルが嬉しそうに笑うから、なんだか恥ずかしくなる。

「まあ、な。俺と選んだというか、初めからハルの中で答えは決まってた気がするけど……」

 俺の言葉にハルはむくれた。

「そんなことないもんね。ほら、回答は?」

 さすがにそのままアクセサリーショップが答えってことはないだろう。それなら、モチーフになっている猫がヒントってことか。


「猫カフェ……いや、動物園か?」

「ピンポン! だいせいかーい」

 楽しそうなハルとは対照的に、俺は困ってしまった。

「正解はいいんだけど、前にも言ったように人の多いところは……」

「大丈夫。人のいない動物園だから」

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